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現代東アラブ地域研究ネットワーク

シリア

■アラブ社会主義バアス党:シリア地域指導部人事

青山 弘之

ムハーバラートとは?
諜報機関・治安維持警察
武装治安組織
その他
参考文献

ムハーバラートとは?

ムハーバラート(mukhabarat)とはアラビア語で「諜報」(mukhabara)を意味する名詞の複数形で、諜報機関、治安維持警察、武装治安組織を指す。日本語では「ムハバラト」などと書かれるが、これは英語(ローマ字表記)の「mukhabarat」をヘボン式でカタカナ表記したもので、アラビア語の発音・表音に忠実に表記するのであれば、「ムハーバラート」と記されるべきであろう。

ムハーバラートという言葉は広くアラブ世界において用いられているが、シリアでは「ジハーズ・アムン」(jihaz al-amn、治安機関)と呼ばれることもある。またエジプトでは「マバーヒス」(mabahith、捜査案件を表す「マブハス」[mabhath]の複数形)がほぼ同義で用いられる。

権威主義体制を敷く多くのアラブ諸国は、ムハーバラートが国家による社会の支配や政策決定において重要な役割を担っており、そのさまは(サッダーム・フセイン政権時代のイラクがそうであったように)、「mukhabarat state」(ムハーバラート国家)と評されてきた。

シリアにおいて、ムハーバラートに含まれる組織は10余りあり、その任務によって二つのカテゴリーに分類できる。第1に体制内外の反対分子の監視、尋問、拘束、逮捕、投獄、拷問などを任務とする諜報機関・治安維持警察であり、軍事情報局、総合情報部、空軍情報部、政治治安部、民族治安局などからなる。第2に武力行使などを通じた政権の防衛を任務とする武装治安組織であり、共和国護衛隊や1985年に解体された革命防衛隊が含まれる。これらの組織・機関は、軍、内務省、バアス党のいずれかの所轄下にあり、制度上は大統領と直結していない。だがその幹部は、地縁・血縁関係、信頼関係、さらには「恐畏」の念(「恐れ」と「畏れ」が相半ばした念)によって大統領と個人的に結びついており、彼の命に従って(ないしは彼の意向に沿うように)自らが統括するムハーバラートを動員し、体制の維持・強化に努めている。以下では諜報機関・治安維持警察、武装治安組織についてそれぞれ解説する。

諜報機関・治安維持警察

軍事情報局


軍事情報局(Shu‘ba al-Mukhabarat al-‘Askariya)は、シリア軍参謀所轄のムハーバラート。地域課(Far‘ Mintaqa、別称ダマスカス課[Far‘ Dimashq]、ダマスカス市内の警備を担当)、尋問課(Far‘ al-Tahqiq)、特攻課(Far‘ al-Mudahama)、パレスチナ課(Far‘ Filastin、パレスチナ人とユダヤ教徒の監視が主な任務)、レバノン駐留シリア軍治安偵察機構課(Far‘ Jihaz al-Amn wa al-Istitla‘、2005年4月までレバノン実効支配を統括)などからなる。

歴代軍事情報局長は以下の通り。

氏名 役職 経歴など
ヒクマト・シハービー(Hikmat al-Shihabi) 1970年~1974年 中将。1974年から1998年1月まで参謀総長を務める。
アリー・ドゥーバー(‘Ali Duba) 1974年~2000年2月 少将。All4syria, February 4, 2011によると、2011年2月初め、チュニジア、エジプトでの政変の波及への対処と、アリー・マムルーク(ʻAli Mamluk)総合情報部長の影響力拡大に予防的対処するため、イブラーヒーム・フワイジャ(Ibrahim Huwayja)元空軍情報部長、アリー・アスラーン(ʻAli Aslan)元参謀総長、ムハンマド・フーリー(Muhammad al-Khuli)元空軍情報部長といった「古参」とともに人民宮殿実務局(Maktab al-ʻAmal fi Qasr al-Shaʻb)付顧問として復職。
ハサン・ハリール(Hasan Khalil) 2000年2月~2005年2月 (後述)
アースィフ・シャウカト(Asif Shawkat) 2005年6月~2009年7月 (後述)
アブドゥルファッターフ・クドスィーヤ(‘Abd al-Fattah al-Qudsiya) 2009年7月~2012年7月 (後述)
アリー・ユーヌス(ʻAli Yunus) 2012年7月~ (後述)

主な高官・工作員は以下の通り。

氏名 経歴など
アブドゥルカリーム・アッバース(‘Abd al-Karim ‘Abbas) 准将。2006年6月、パレスチナ課長に就任。デトレヴ・メフリス(Detlev Mehlis)委員長(2005年6月~2006年1月)のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー(Rafiq al-Hariri)元首相暗殺事件への関与を疑われた。
アリー・アスアド・アリー(‘Ali As‘ad ‘Ali) 准将。第225課長(固定電話、携帯電話、インターネット監督)在職中に職務範囲をめぐって、第237課(コンピューター課)長のフアード・サーリフ(Fu’ad al-Salih)准将と対立し、同准将を第237課長解任と総務課への異動に追いやることに成功した(時期は不明)。だが、検閲調査の結果、汚職や第237課人事に関するインターネットなどでの不正通信記録が発覚し、2010年6月末に逮捕された。通信公社インターネット局長を務めたこともある。
ムハンマド・ハーッジ・アリー(Muhammad Hajj ‘Ali) 准将。尋問課長(就任年不明)。
アドナーン・イブラーヒーム(‘Adnan Ibrahim) 准将。2006年3月まで特攻課長を務める。
シャフィーク・ガッサ(Shafiq Ghassa) 准将。特攻課次長を経て、2006年3月に特攻課長に就任。
ガーズィー・カナアーン(Ghazi Kana‘an) 少将。1982年から2002年10月までレバノン駐留シリア軍治安偵察機構課長を務め、レバノン実効支配を統括。2002年10月から2004年10月までに政治治安部長を務める。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。内務大臣在任中の2005年10月12日、内務省執務室で自殺。
リヤード・カナアーン(Riyad Kana‘an) 准将。2006年3月まで管理課(al-Far‘ al-Idari)長を務める。
アブドゥルファッターフ・クドスィーヤ(‘Abd al-Fattah al-Qudsiya) 少将。2006年4月まで共和国護衛隊治安機関(Jihaz al-Amn)司令官を務める(就任年不明)。その後、2006年4月から2009年7月まで空軍情報部長を務める。2009年7月から2012年7月まで軍事情報局長を務めたのち、2012年7月に同第2次長に異動となる。バッシャール・アサド(Bashshar al-Asad)大統領の「私設顧問」と目される。
ディーブ・ザイトゥーニー(Dib Zaytuni) 少将。国家安全治安局次長を経て、2006年6月、バッシャール・アサド大統領がアレッポ県課長に任命。
ムハンマド・サカー(Muhammad al-Saqa) 准将。タルトゥース課長を経て、2006年6月、ムハンマド・イブラーヒーム・シャッアール准将の後任として地域課長兼南部地域課(Far‘ al-Mintaqa al-Janubiya、ダルアー、スワイダー両県を統括)長に就任。
フアード・サーリフ(Fu’ad al-Salih) 准将。第225課長のアリー・アスアド・アリー准将と職務範囲をめぐり対立し、第237課長を解任され、総務課付への異動を余儀なくされた(時期は不明)。
アースィフ・シャウカト(Asif Shawkat) 中将。バッシャール・アサド大統領の姉(ハーフィズ・アサド[Hafià al-Asad]前大統領の長女)ブシュラー・アサド(Bushra al-Asad)女史の夫。2000年、軍事情報局内の第291課(士官課[Far‘ al-Dubbat])、第292課(個人課[Far‘ al-Afrad])、第293課(情報課[Far‘ al-Ma‘lumatiya])を統合して「軍治安課」(Far‘ Amn al-Quwat)を作り、その長となり、軍事情報局の実質的に統括。その後、2004年11月、同職を解かれ、軍事情報局次長に就任。2005年2月半ば、ハサン・ハリール軍事情報局長の退役に伴い、軍事情報局長代行となり、2005年6月に現職に正式に就任。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。2009年7月、軍事情報局長を解任され、中将に「昇進」するも、副参謀長に「左遷」された。異動の理由は定かでないが、国内安全保障対策の失敗への問責、他のムハーバラート高官との対立、バッシャール・アサド大統領との不仲などが考えられる。2012年7月18日、ダマスカス県内で爆殺される。
ムハンマド・イブラーヒーム・シャッアール(Muhammad al-Sha‘‘ar) 准将。アースィフ・シャウカト少将に近いとされる。1950年、ラタキア市生まれ。1971年に国軍武装部隊に入隊。2006年3月にアースィフ・シャウカト少将がタルトゥース課長から地域課長(南部地域課長兼務)に異動を命じ、同年6月にバッシャール・アサド大統領が解任。その後憲兵隊司令官を経て、2011年3月、内務大臣に就任。
アミーン・シャッラービー(Amin Sharrabi) 准将。2005年6月から2006年3月までパレスチナ課長代理を、2006年3月から6月までパレスチナ課長を務める。
ジャーミア・ジャーミア(Jami‘ Jami‘) 少将。2002年10月から2005年4月まで駐留シリア軍治安偵察機構課次長を務め、ルストゥム・ガザーラ准将を補佐。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。その後、ダイル・ザウル県内にある治安部局の一部局長に任命され、反体制武装集団の掃討を指揮していたが、2013年10月17日に戦死した。
ハサン・ハリール(Hasan Khalil) 少将。2000年2月から2005年2月まで軍事情報局長を務める。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。
ムニール・ジャルウード(Munir Jal‘ud) 准将。現職に就く前はレバノン駐留シリア軍治安偵察機構課次長としてルストゥム・ガザーラ准将の副官を務めた後、2006年3月にヒムス課長に就任。
ムハンマド・ズハイル・スィッディーク(Muhammad Zuhayr Siddiq) ハサン・ハリール少将が軍事情報局長在任中、局長執務室付少佐を務めていたとされる。ラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件へのバッシャール・アサド政権の関与をデトレヴ・メフリス委員長下のUNIIICに証言したいわゆる「キングメーカー」(shahid malik)。UNIIICでの証言後、2005年10月16日に重要参考人として滞在先のパリで身柄拘束され、フランスで観察処分に置かれていたが、2008年3月に失踪した。2009年4月、アラブ首長国連邦サルジャで偽造パスポート(スィッディークによると、ニコラ・サルコジ仏大統領が派遣したフランス諜報当局高官から受け取った偽造パスポート)で入国を試み、逮捕された。同年10月、アラブ首長国連邦国家治安裁判所(アブダビ)は有罪判決を下し、禁固6ヶ月と国外追放を宣告した。アラブ首長国連邦での逮捕を受け、シリアはインターポールを通じて偽証容疑での身柄引き渡しを求めてきたが、2010年4月、スィッディークは刑期を終え、欧州のある国に渡航、再び潜伏した。現在、スィッディークは国連の保護のもと、欧州に滞在しているとされるが、2010年10月にはドイツで暗殺未遂に遭うなど身の危険にさらされている。
サーリフ・ナジュム(Salih al-Najm) 2010年12月29日付エジプト日刊紙『ヤウム・サービウ』、および同日付エジプト日刊紙『ミスリー・ヤウム』が同年にエジプトで逮捕されたエジプト人スパイ、ターリク・アブドゥッラッザーク(Tariq ‘Abd al-Razzaq)の証言をもとに、イスラエルへの情報提供を行っていたと報じた人物。同報道によると軍事情報局付大佐であった彼は、イスラエルのモサドに2007年9月にイスラエル空軍が領空侵犯のうえ空爆・破壊したキバル(デイル・ゾール県)の核開発疑惑施設の建設、稼働状況に関する情報を提供した。イスラエルは、13年前、同大佐がフランス入院中に買収し、大佐はキバルの情報提供の報酬として750,000~1,500,000ドルの報酬を得た。しかしShukumaku.comが2011年1月6日に報道したところによると、彼は軍事情報局付大佐ではなく、科学研究委員会(Hay’a al-Buhuth al-‘Ilmiya)スポーツ・サロン監督で、現在、身柄を拘束され、裁判中。
ジャウダト・ハサン(Jawdat al-Hasan) 准将。対テロ部隊長と目される。2008年11月15日付日刊紙『ムスタクバル』の特集記事内のファタハ・イスラームのレバノン人メンバーの一人アフマド・マルイー(Ahmad Mar‘i)の証言に登場する人物。同証言では、2005年5月にシャーキル・アブスィー(Shakir al-‘Absi)をサイドナーヤー刑務所から軍事情報局パレスチナ課に移送後(同月に大統領恩赦で釈放)、レバノンのナフル・バーリド・パレスチナ難民キャンプに潜入させるなど、ファタハ・イスラームをめぐる工作活動を統括していた「黒幕」と断じられた。
ムハンマド・ハッルーフ(Muhammad Khalluf) 准将。2002年10月から2005年4月にまで駐留シリア軍治安偵察機構課次長を務め、ルストゥム・ガザーラ准将を補佐。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。
アリー・ハマーダ(‘Ali Hamada) 准将。2006年3月に管理課長に就任。
ウサーマ・ハリール(Usama Khalil) 第225課次長。第225課長のアリー・アスアド・アリー准将とともにフアード・サーリフ准将の粛清を行ったが、検閲調査の結果、汚職や第237課の人事に関するインターネットなどでの不正通信記録が発覚し、2010年6月末に逮捕された。
アブドゥルムフスィン・ヒラール(‘Abd al-Muhsin Hilal) 准将。2006年3月までラタキア課長を務める(後任は不明)。
ナズィーフ・マスウード(Nazih Mas‘ud) 准将。アースィフ・シャウカト少将に近いとされる。2006年3月にアースィフ・シャウカト少将がタルトゥース県課長に任命。
ムハンマド・ムフリフ(Muhammad al-Muflih) 准将。ハマー県の治安を担当。
アリー・ユーヌス(‘Ali Yunus) 少将。第293課長。2006年前半に軍事情報局第2次長兼務となる。ダーウド・ラージハ国防大臣、ハサン・トゥルクマーニー副大統領補佐官、アースィフ・シャウカト参謀副長、ヒシャーム・ビフティヤール・バアス党シリア地域指導部メンバーの暗殺(2012年7月18日)を受け、2012年7月に軍事情報局長に就任した。
ザーヒル・ユースフ(Zahir al-Yusuf) 通信インターネット部門責任者。准将。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。

総合情報部


総合情報部(Idara al-Mukhabarat al-‘Amma)は内務省所轄のムハーバラート。1971年まで国家治安(Amn al-Dawla)局と称する。外務課(al-Far‘ al-Khariji)、管理課(al-Far‘ al-Idari)、拘置課(Far‘ al-Sijn)、情報課(Far‘ al-Ma‘lumat)、尋問課(Far‘ al-Tahqiq)、諜報課(Far‘ Mukhabarat al-Tajassus)、特攻課(Far‘ al-Mudahama)、内務課(al-Far‘ al-Dakhili、別称第251課[Far‘ 251])、などからなる。

歴代総合情報部長は以下の通り。

氏名 在任 経歴など
アドナーン・ダッバーグ(‘Adnan Dabbagh) 1970年~1976年  
ナズィーフ・ズライイル(Nazih Zurayyir) 1976年~1984年  
フアード・アブスィー(Fu’ad al-Absi) 1984年~1987年  
マージド・サイード(Majid Sa‘id) 1987年~1994年  
バシール・ナッジャール(Bashir al-Najjar) 1994年~1998年  
アリー・フーリー(‘Ali al-Huri) 1998年~2001年9月  
アリー・ハンムード(‘Ali Hammud) 2001年9月~12月 少将。2001年12月から2004年10月まで内務大臣を務める。
ヒシャーム・ビフティヤール(Hisham Bikhtiyar) 2001年12月~2005年1月 退役少将(2005年1月に退役)。ハサン・ハリール(Hasan Khalil)軍事情報局のもとで次長(就任年不明)を務めた後、2001年12月から2005年1月まで総合情報部長を務めた。その後2005年6月、アラブ社会主義バアス党シリア地域指導部民族治安局長に選出。
アリー・マムルーク(‘Ali Mamluk) 2005年6月~2012年7月 (後述)
ディーブ・ザイトゥーン(Dib Zaytun) 2012年7月~ (後述)

主な高官・工作員は以下の通り。

氏名 経歴など
バッサーム・アブドゥルマジード(Bassam ‘Abd al-Majid) 少将。サイード・サンムール(Sa‘id Sammur)総合情報部第一次長の内務大臣就任を受け、2009年4月、総合情報部第一次長に就任。それ以前は憲兵(al-Shurta al-‘Askariya、国防省所轄)長を務めた。
サーイル・ウマル(Tha’ir al-‘Umar) 准将。テロ対策課長。Intelligence Online, December 2, 2010によると、2010年11月16日から20日にかけて、アリー・マムルーク(‘Ali Mamluk)少将に随行し、英国のロンドンを訪問。
ディーブ・ザイトゥーン(Dib Zaytun) 少将。2009年5月まで総合情報部第一次長を務め、2002年2月から2012年7月まで政治治安部長を務める。その後、ダーウド・ラージハ国防大臣、ハサン・トゥルクマーニー副大統領補佐官、アースィフ・シャウカト参謀副長、ヒシャーム・ビフティヤール・バアス党シリア地域指導部メンバーの暗殺(2012年7月18日)を受け、2012年7月に総合情報部長に異動となった。
バフジャト・スライマーン(Bahjat Sulayman) 少将。1980年代半ばまでリフアト・アサド(Rif‘at al-Asad)前民族安全保障担当副大統領の執務室で務め、その後、バースィル・アサド(Basil al-Asad)准将の側近となった経歴を持つ。1999年4月のムハンマド・ナースィーフ(Muhammad Nasif)少将の退役を受け、総合情報部長兼内務課長に就任。2005年6月、総務(al-Maqarr al-‘Amm)課付に異動。2009年4月、在ヨルダン大使に任命された。デトレヴ・メフリス(Detlev Mehlis)委員長(2005年6月~2006年1月)のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー(Rafiq al-Hariri)元首相暗殺事件への関与を疑われた。
サイード・サンムール(Sa‘id Sammur) 少将。軍事情報局地域課長として「情報・文化ファイル」を担当した後、2006年6月、総合情報部第一次長に就任。2009年4月、総合情報部第一次長職を解かれ、内務大臣に就任。アースィフ・シャウカト(Asif Shaqkat)少将に近いとされる。
マルワーン・ダンヌーラ(Marwan Dannura) 准将。外務課パレスチナ係長。軍事情報局長在任中のアースィフ・シャウカト少将を補佐し、レバノンのトリポリや西ベカーアの親シリア諸組織のメンバーを動員して、イスラーム主義組織、パレスチナ組織の活動を兵站支援するとともに、アイン・フルワ・パレスチナ難民キャンプとシリアのムハーバラートの連絡調整をPFLP-GC幹部に担当させていたとされる。
フアード・ナースィーフ(・ハイル・ビク)(Fu’ad Nasif [Khayr Bik]) 少将。2005年6月、総合情報部内務課長に就任。ムハンマド・ナースィーフ(Muhammad Nasif)の甥。
ムハンマド・ナースィーフ(Muhammad Nasif) 退役少将。1970年代半ば以来、総合情報部次長兼同内務課長として同部を実質的に統括。1999年4月に定年により次長職と内務課長職を解かれ、退役。その後同年9月、総合情報部次長に就任(復職)。2006年2月、ファールーク・シャルア(Faruq al-Shar‘)外務情報政策担当副大統領の補佐役となり、同年4月に正式に同副大統領補佐官に就任。ハーフィズ・アサド(Hafiz al-Asad)前大統領時代以来、ヒズブッラー、アマル運動、そして両組織と関係が深いイランといったいわゆる「シーア派ファイル」を担当。レバノン日刊紙『ディヤール』(al-Diyar)2010年12月27日付によると、2010年末に脊髄の手術を受ける。
ハサン・ハッルーフ(Hasan Khalluf) 少将。軍事情報局パレスチナ課長(2003年頃に就任)を経て、2006年6月に総合情報部次長に就任。
ズハイル・ハマド(Zuhayr Hamad) 少将(2009年7月昇進)。2009年7月、第二次長(情報課長兼務)に就任。2010年8月末に情報課長職を解かれる。アリー・マムルーク(‘Ali Mamluk)少将定年後、総合情報部長への就任が濃厚と見られている。Intelligence Online, December 2, 2010によると、2010年10月19日、アリー・マムルーク少将に随行し、イタリアのローマを訪問。
ガッサーン・ハリール(Ghassan Khalil) 准将。2010年8月末に共和国護衛隊付から情報課長に異動。
フアード・ファーディル(Fu’ad Fadil) 在ブリュッセル局長。Intelligence Online, December 2, 2010によると、2010年10月19日、アリー・マムルーク(‘Ali Mamluk)少将に随行し、イタリアのローマを訪問。
ハーフィズ・マフルーフ(Hafiz Makhluf) 准将。内務課ダマスカス班長。ハーフィズ・アサドの妻のアニーサ・マフルーフ(Anisa Makhluf)の弟ムハンマド・マフルーフ(Muhammad Makhluf)の次男、ラーミー・マフルーフ(Rami Makhluf)の弟。総合情報部を実質的に統括。Intelligence Online, December 2, 2010によると、2010年11月16日から20日にかけて、アリー・マムルーク少将に随行し、英国のロンドンを訪問。この訪問が彼にとって初めての海外訪問。
   

空軍情報部


空軍情報部(Idara Mukhabarat al-Quwa al-Jawwiya)は空軍所轄のムハーバラート。ハーフィズ・アサド(Hafiz al-Asad)前政権のもと、1980年代まで国内で治安維持活動、国外で諜報活動を行っていた。1990年代以降その地位を低下させたと考えられているが、2010年7月、ヒムスの空軍情報部がマーヒル・アサド(Mahir al-Asad)大佐の統括のもと、サウジアラビア当局と協力し、麻薬密輸に関与するビジネスマンなどの摘発を行った。

歴代空軍情報部長は以下の通り。

氏名 在任 経歴など
ムハンマド・フーリー(Muhammad al-Khuli) 1970年~1987年10月 (後述)
イブラーヒーム・フワイジャ(Ibrahim Huwayja) 1987年10月~? 少将。All4syria, February 4, 2011によると、2011年2月初め、チュニジア、エジプトでの政変の波及への対処と、アリー・マムルーク(ʻAli Mamluk)総合情報部長の影響力拡大に予防的対処するため、イブラーヒーム・フワイジャ(Ibrahim Huwayja)元空軍情報部長、アリー・アスラーン(ʻAli Aslan)元参謀総長、アリー・ドゥーバー(ʻAli Duba)元軍事情報局長、ムハンマド・フーリー(Muhammad al-Khuli)元空軍情報部長といった「古参」とともに人民宮殿実務局(Maktab al-ʻAmal fi Qasr al-Shaʻb)付顧問として復職。
イッズッディーン・イスマーイール(‘Izz al-Din Isma‘il) ?~2006年4月  
アブドゥルファッターフ・クドスィーヤ(‘Abd al-Fattah al-Qudsiya) 2006年4月~2009年7月 (前述)
ジャミール・ハサン(Jamil Hasan) 2009年7月~ (後述)

主な高官・工作員は以下の通り。

氏名 経歴など
イッズッディーン・イスマーイール(‘Izz al-Din Isma‘il) 少将。軍事情報局南部地域課長を経て、空軍情報部長に就任(就任年不明)。2005年4月に定年を迎えた後も「予備役」として部長職にとどまったが、2006年4月、リフアト・アサド(Rif‘at al-Asad)前民族安全保障担当副大統領と接触を試みたことをマーヒル・アサド(Mahir al-Asad)大佐に疑われ、退役を余儀なくされる。
ハイサム・サイード(Haytham al-Sa‘id) 1980年代初めのヒンダーウィー事件の首謀者と目された人物。2003年まで諜報課(Far‘ al-Tajassus)長を務める。
ジャミール・ハサン(Jamil Hasan) 少将(2009年7月昇進)。空港課(Far‘ al-Matar)長などを経て、2009年5月に総合情報部第一次長に就任。アブドゥルファッターフ・クドスィーヤ少将の空軍情報部長から軍事情報局長への異動に伴い、2009年7月、空軍情報部長に就任。
ムハンマド・フーリー(Muhammad al-Khuli) 少将。1970年から1987年10月まで空軍情報部長を務める。ヒンダーウィー事件発生後の1987年10月に空軍司令官に就任。1999年6月に定年で退役。All4syria, February 4, 2011によると、2011年2月初め、チュニジア、エジプトでの政変の波及への対処と、アリー・マムルーク(ʻAli Mamluk)総合情報部長の影響力拡大に予防的対処するため、イブラーヒーム・フワイジャ(Ibrahim Huwayja)元空軍情報部長、アリー・アスラーン(ʻAli Aslan)元参謀総長、アリー・ドゥーバー(ʻAli Duba)元軍事情報局長といった「古参」とともに人民宮殿実務局(Maktab al-ʻAmal fi Qasr al-Shaʻb)付顧問として復職。

政治治安部


政治治安部(Idara al-Amn al-Siyasi)は内務省所轄のムハーバラート。国内の政治勢力(政党・政治組織、活動家)の活動監視を主な任務とする。学生・学生運動課(Shu‘ba al-Tullab wa al-Anshita al-Tullabiya)、指名手配者観察処分追跡対象者課(Shu‘ba al-Matlubin wa al-Muraqabin wa al-Mulahaqin)、政党課(Shu‘ba al-Ahzab al-Siyasiya)、政府機関治安課(Shu‘ba Amn al-Mu’assasat al-Hukumiya)、都市課(Shu‘ba al-Madina)などからなる。

歴代政治治安部長は以下の通り。

氏名 在任 経歴など
アフマド・サーリフ(Ahmad Salih) 1970年~1987年  
アドナーン・ハサン(‘Adnan Hasan) 1987年~2002年10月  
ガーズィー・カナアーン(Ghazi Kana‘an) 2002年10月~2004年10月 (前述)
ムハンマド・マンスーラ(Muhammad Mansura) 2005年1月~2009年2月 (後述)
ディーブ・ザイトゥーン(Dib Zaytun) 2009年2月~2012年7月 (後述)
ルストゥム・ガザーラ(Rustum Ghazala) 2012年7月~ (後述)

主な高官・工作員は以下の通り。

氏名 経歴など
ルストゥム・ガザーラ(Rustum Ghazala) 少将(2012年7月現在)。2002年10月から2005年4月までレバノン駐留シリア軍治安偵察機構課長を務める。レバノン駐留シリア軍撤退後、ダマスカス郊外県課長に就任したが、ジハードとタウヒードのためのジュンド・シャーム機構の掃討などに投入された対テロ部隊(Quwat Mukafaha al-Irhab)を率いているとも言われる。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。ダーウド・ラージハ国防大臣、ハサン・トゥルクマーニー副大統領補佐官、アースィフ・シャウカト参謀副長、ヒシャーム・ビフティヤール・バアス党シリア地域指導部メンバーの暗殺(2012年7月18日)を受け、2012年7月に政治治安局長に就任した。
ムハンマド・マンスーラ(Muhammad Mansura) 少将。政治治安部次長を経て2004年10月に政治治安部長代行となり、2005年1月から2009年2月まで政治治安部長を務める。長年にわたり対クルド人政策に携わってきた。デトレヴ・メフリス(Detlev Mehlis)委員長(2005年6月~2006年1月)のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。2009年2月に退役。退役に際して任期延長が成されなかったことの背景に、ダマスカスでのヒズブッラーのイマード・ムグニーヤ(‘Imad Mughniya)暗殺事件発生を許したことがあったなどと報じられた。

民族治安局


民族治安局(Maktab al-Amn al-Qawmi)はバアス党シリア地域指導部所轄のムハーバラート。アラビア語の「al-Amn al-Qawmi」は「国家安全保障」と訳出されるが、民族や民族主義にかかるバアス党のイデオロギー用語に即して敢えて直訳した。国内での諜報活動を主な任務とする。

歴代民族治安局長は以下の通り。

氏名 在任 経歴など
アブドゥルカリーム・ジュンディー(‘Abd al-Karim al-Jundi) ~1969年 1969年に暗殺される。
ナージー・ジャミール(Naji Jamil) 1970年~1978年  
アブドゥッラウーフ・カスム(‘Abd al-Ra’uf al-Kasm) 1987年~2000年6月 その後首相を務める。
ムハンマド・サイード・バヒーターン(Muhammad Sa‘id Bakhitan) 2000年6月~2005年6月 ダマスカス県刑事治安課(Far‘ al-Amn al-Jina’i)長(1994年~1998年)、ハマー県知事(1998年~2000年)を歴任した後、2000年6月から2005年6月まで民族治安局長を務めた。現在はバアス党シリア地域指導部副書記長兼財務局長(2005年6月に就任)。
ヒシャーム・ビフティヤール(Hisham Bikhtiyar) 2005年6月~2009年7月 (後述)

国民安全保障会議


国民安全保障会議(Majlis al-Amn al-Watani)は、2009年7月に制定された法令第36号に基づき、新設された会議。同会議の発足と合わせて、バアス党シリア地域民族治安局は解体された。

歴代の国民安全保障会議議長は以下の通り。

氏名 在任 経歴など
ヒシャーム・ビフティヤール(Hisham Bikhtiyar) 2009年7月~2012年7月 (後述)
アリー・マムルーク(‘Ali Mamluk) 2012年7月~ 少将。2005年1月に総合情報部長代行となり、同年6月に総合情報部長に正式に就任。少将。前職は空軍情報部調査課(Far‘ al-Tahqiq)次長。シリア・サウジ関係(サウジ・ファイル)の調整を担当しているとされる。Intelligence Online, December 2, 2010によると、2010年10月19日、ズハイル・ハマド少将とフアード・ファーディル在ブリュッセル局長を随行し、イタリアのローマを訪問。また2010年11月16日から20日にかけて、サーイル・ウマル准将、ハーフィズ・マフルーフ准将を随行し、英国のロンドンを訪問。英国滞在中、英国の諜報機関高官とカーイダ対策などを協議するとともに、Matrix Chambersの弁護士ら(ラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件での国連の調査時にシリア側を弁護)と会談したと思われる。さらに2010年11月22日にはフランスのパリを訪問し、バッシャール・アサド大統領の訪仏に向けた事前協議を行った。ダーウド・ラージハ国防大臣、ハサン・トゥルクマーニー副大統領補佐官、アースィフ・シャウカト参謀副長、ヒシャーム・ビフティヤール・バアス党シリア地域指導部メンバーの暗殺(2012年7月18日)を受け、2012年7月に国家安全保障会議議長に就任した。

発足時の事務局メンバーは以下の通り:

氏名 経歴など
ファールーク・シャルア(Faruq al-Shar‘) 外務大臣を経て、2006年2月に外務情報政策担当副大統領に就任。
ハサン・トゥルクマーニー(Hasan al-Turkmani) 一等中将。参謀総長、国防大臣を経て、2009年6月に非常事態担当副大統領補佐官に就任。2012年7月18日、ダマスカス県内で爆殺される。
ムハンマド・サイード・バヒーターン(Muhammad Sa‘id Bakhitan) バアス党シリア地域指導部副書記長兼財務局長
ヒシャーム・ビフティヤール(Hisham Bikhtiyar) (旧)バアス党シリア地域指導部民族治安局長。少将。2012年7月18日、ダマスカス県内での「爆弾テロ」に巻き込まれ重傷を負い、7月20日に死去した。

メンバーにはムハーバラートの高官・工作員だけでなく、文民を含まれるとされる。軍事情報局、総合情報部、政治治安局、空軍情報部を統括することを主たる任務としていると言われるが、活動実績など不明点が多いほか、大統領との関係も明確でない。だが発足の背景には、イラン、ヒズブッラー、ハマース、対欧、対イスラエル、レバノン国際法廷といった問題で人的資源を増強するという意図があったと考えられる。

武装治安組織

共和国護衛隊


共和国護衛隊(al-Haras al-Jumhuri)はシリア国軍参謀本部所轄、ないしは大統領直属と考えられるシリア最強のムハーバラート。1976年に大統領の警護と体制維持を目的に設立された。1990年代以降のハーフィズ・アサド(Hafiz al-Asad)政権、そしてバッシャール・アサド(Bashshar al-Asad)現政権の最大の権力基盤。

歴代共和国護衛隊司令官は以下の通り。

氏名 在任 経歴など
アドナーン・マフルーフ(‘Adnan Makhluf) 1976年~1995年 (後述)
アリー・ハサン(‘Ali al-Hasan) 1995年~?  
アブドゥルファッターフ・クドスィーヤ(‘Abd al-Fattha al-Qudsiya) ~2006年4月(治安機関[Jihaz al-Amn]司令官) (前述)

主な高官・工作員は以下の通り。

氏名 経歴など
バースィル・アサド(Basil al-Asad) 准将。バッシャール・アサド大統領の兄(ハーフィズ・アサド前大統領の長男)。大統領治安(al-Amn al-Ri’asi)隊司令官として、共和国護衛隊を実質的に統括。1994年1月に事故死。
バッシャール・アサド(Bashshar al-Asad) 大将。バースィル・アサド准将の死を受け、共和国護衛隊を統括。2000年7月の大統領以降、マーヒル・アサド(Mahir al-Asad)大佐に指揮権を移譲したと考えられる。
マーヒル・アサド(Mahir al-Asad) 大佐。バッシャール・アサド大統領の弟(ハーフィズ・アサド前大統領の四男)。バッシャール・アサド大統領就任後、共和国護衛隊を実質的に統括していると考えられる。デトレヴ・メフリス(Detlev Mehlis)委員長(2005年6月~2006年1月)のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー(Rafiq al-Hari0072i)元首相暗殺事件への関与を疑われた。
ズールヒンマ・シャーリーシュ(Dhu al-Himma Shalish) 准将。バッシャール・アサド大統領のいとこ(リフアト・アサド[Rif‘at al-Asad]前民族治安担当副大統領の妻の甥)。デトレヴ・メフリス委員長のもとでUNIIICによりラフィーク・ハリーリー元首相暗殺事件への関与を疑われた。
スライマーン・スライマーン(Sulayman Sulayman) 大佐。共和国護衛隊治安局(Maktab al-Amn)長(2008年8月現在)。
マナーフ・トゥラース(Manaf Tulas) 准将。ムスタファー・トゥラース(Mustafa Tulas)元国防大臣の二男。バッシャール・アサド大統領の「学友」。
アドナーン・マフルーフ(‘Adnan Makhluf) 少将。。アニーサ・マフルーフ(Anisa Makhluf、バッシャール・アサド大統領の母)の甥。1976年から1995年まで共和国護衛隊司令官を務める1997年に死去。

革命防衛隊


革命防衛隊(Saraya al-Difa‘ ‘an al-Thawra)は、ハーフィズ・アサド(Hafiz al-Asad)政権を護るため、1971年に弟のリフアト・アサド(Rif‘at al-Asad)が結成した武装組織。1980年代前半の最盛期には、3機甲旅団、1機械化旅団からなり、兵員は20,000人に及んだ。また諜報機関も擁していた。1970年代半ばから1980年代半ばにかけて、シリア・ムスリム同胞団の掃討やレバノン内戦への軍事介入において、特殊部隊、共和国護衛隊とともに主導的役割をになった。だが、1983年末のリフアト・アサド准将によるクーデタ未遂以降勢力を弱体化させた。クーデタ未遂後、リフアト・アサド准将は司令官を辞し、ムハンマド・ガーニム(Muhammad al-Ghanim)、ムイーン・ナースィーフ(Mu‘in Nasif、リフアト・アサド准将の娘タダームル・アサド[Tadamur al-Asad]の婿)が後任司令官となった。最終的には、1985年に解体され、その人員の多くは共和国護衛隊などに吸収された。

特殊部隊


特殊部隊(al-Wahdat al-Khassa)は、1968年にアリー・ハイダル(‘Ali Haydar)のもとに結成された軍の特殊部隊。最盛期には、10,000人から15,000人の奇襲部隊員・空挺部隊員、装甲車両、ヘリコプター、重火器を擁した。1970年代半ばから1980年代半ばにかけて、シリア・ムスリム同胞団の掃討やレバノン内戦への軍事介入において、革命防衛隊、共和国護衛隊とともに主導的役割をになった。またシリア、レバノン両国で諜報・治安警察活動を行った。しかし1980年代以降、その兵力の一部が共和国護衛隊に吸収され、その勢力を弱めた。

司令官はアリー・ハイダル(在任1968年~1988年、少将)、アリー・ドゥーバー(‘Ali Duba、在任1988年~1994年7月。軍事情報局長を務めてきたアリー・ドゥーバー[‘Ali Duba]の甥)、アリー・ハビーブ(‘Ali Habib、在任1994年7月~2004年5月、その後、参謀副長[2002年1月~2004年5月]、参謀総長[2004年5月~2009年6月]、国防大臣[2009年6月~]を歴任、一等中将[2009年6月昇進])などが歴任してきた。

その他

諜報機関・治安維持警察」、「武装治安組織」であげたムハーバラートの他にも、憲兵(al-Shurta al-‘Askariya、国防省所轄)、軍事治安局(al-Amn al-‘Askari)などがある。またシャフィーク・ファイヤード(Shafiq Fayyad)准将(その後中将まで昇進)が1980年代に司令官を務めていた第三旅団(al-Firqa al-Thalitha)は国内の治安維持(暴動などの弾圧)を任務とした。

また以下のムハーバラートの高官・工作員は、これまで見てきたムハーバラートのどの機関に所属しているのかが定かではない。

氏名 経歴など
ジャワーン・アブドゥッラー・イブラーヒーム(Jawan ‘Abd Allah Ibrahim) カーミシュリー市出身のクルド人。シリア国民救国戦線の公式サイト(http://www.savesyrien.com/)で2010年10月に公開されたビデオで、2004年の「カーミシュリーの春」の首謀者がシリア・クルド・イェキーティー党のフアード・アリークー(Fu’ad ‘Aliku)であると証言。
ヤースィル・サッバーグ(Yasir Muhammad Sabbagh) 2010年5月にイスラエル軍が襲撃したガザ支援船に乗船していたとされる工作員。バルカン半島地域でイランの諜報機関との連絡調整を任務にしていたとされる。
ジハード・シハーダ(Jihad Shihada) 准将。戦略調査研究センター(Markaz al-Buhuth wa al-Dirasat al-Istratijiya)治安局長として核開発プロジェクトを統括しているとされる。Intelligence Online, December 2, 2010およびUPI, December 2, 2010によると、2010年末、バッサーム・ムルヒジュ(Bassam Murhij)准将に随行し、中国の北京を訪問。この訪問の際、北朝鮮の平壌も訪問し、核開発をめぐる折衝を行ったと見られる。
ムハンマド・スライマーン(Muhammad Sulayman) 准将。ドゥライキーシュ村出身。バッシャール・アサド(Bashshar al-Asad)大統領の「右腕」、「影」などと報じられたムハーバラートの幹部。士官学校機械工学科卒、軍事アカデミー工学科修了。ソ連で戦車技術を学び修士を取得。共和国護衛隊工学科に配属され、武器開発・購入を担当。バースィル・アサド(Basil al-Asad)死後、バッシャール・アサドの側近になり、バッシャール・アサド政権発足とともに、大統領府安全保障軍事局長に就任したとされる。しかし所属や任務には不明な点が多く、①治安担当大統領顧問としてヒズブッラーとの連絡と武器供与を担当していた、②北朝鮮との核開発協力を統括していた、③イランとの連絡を担当していた、④国内の治安対策担当、軍令担当として参謀本部、国防省に命令を発信していた、といった諸説がある。2008年8月2日深夜から3日未明にかけてタルトゥース市で発生したムハンマド・スライマーンなる人物の暗殺された。暗殺はイスラエルの工作員が海上から銃殺したとの説が有力である。葬儀にはマーヒル・アサド(Mahir al-Asad)大佐、アースィフ・アシャウカト(Asif Shawkat)少将が参列した。
アイマン・ハブル(Ayman al-Habl) 科学研究調査センター(Markaz al-Dirasat wa al-Buhuth al-‘Ilmiya)内科学学院(Ma’had al-Kimiya’)所長。2010年にエジプトで逮捕されたエジプト人スパイ、ターリク・アブドゥッラッザーク(Tariq ‘Abd al-Razzaq)の証言によると、13年間にわたってイスラエルにシリアの核開発などに関する情報を提供し、シリア当局によって逮捕され、2010年11月に処刑された。
フサーム・ターヒル・フサーム(Husam Tahir Husam) ラフィーク・ハリーリー(Rafiq al-Hariri)元首相暗殺事件発生時にレバノンに赴任していた。元首相暗殺事件をめぐってレバノンで身柄拘束されていた彼は脱走を図り、2005年11月28日、ダマスカスで記者会見を開き、事件へのシリア政府の関与をUNIIICで強要されたと暴露した。
バッサーム・ムルヒジュ(Bassam Murhij) 准将。ムハンマド・スライマーン准将の暗殺後、大統領府安全保障軍事局長に就任。Intelligence Online, December 2, 2010およびUPI, December 2, 2010によると、2010年末、ジハード・シハーダ准将、在シリア・イラン大使文化担当のアリー・ザーダ(‘Ali Zada)を随行し、中国の北京を訪問。この訪問の際、北朝鮮の平壌も訪問し、核開発をめぐる折衝を行ったと見られる。

参考文献

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