アサド大統領はスカイ・ニュース・アラビア語放送(8月9日付)のインタビューに応じ、誰がシリアで破壊を行ってきたのがテロで、テロに与し、戦争を企て、侵略を行った者に責任があり、シリアは侵略を受けた側であって、テロを擁護している側ではないと述べた。
また、難民問題をめぐっては、この数年で50万人がシリアに帰国したものの、近年のシリア国内での生活状況の悪化によってこの動きは止まってしまったと述べ、水、電気、学校、住居、医療がなければ難民の期間は実現しないと力説した。
麻薬の密売については、戦争が起こり、国家が弱体化することでこうした取引が繁栄すると指摘、こうした状況下で責任を負うべきは、シリアに混乱を作り出した国々であって、シリアの国家ではないと主張、麻薬密売に対処することはシリアにとってもそれ以外の国にとっても利益をもたらすと述べた。
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領との会談の可能性については、日程も準備もできていなければ会う理由はないとしたうえで、シリア側の目的は明白で、トルコのシリア領内からの撤退にある一方、エルドアン大統領はシリアにおけるトルコ軍の駐留を合法化しようとしていると非難、エルドアン大統領が提示する条件のもとでの会談はあり得ないと述べた。
アサド大統領の主な発言は以下の通り。
理論的には、さまざまな問題をめぐってシリアが求められた、あるいは課された要求のすべて、例えばシリアの権利や国益の放棄といった要求に我々が従っていれば、この戦争は避けられたかもしれない…。だが、実質的な側面において、我々はこうした方向には向かわなかった。仮にこの方向に向かっていたとしたら、戦争は避けられたが、より大きな代償をその後支払わされることになっただろう…。
同じ目標に向かうには、さまざまな方法があるかもしれない。だが、重要なのは、政策なのか、それとも愛国的なヴィジョンなのか?
我々のヴィジョンは、シリアの国益、そしてシリアをテロから守り、シリアの決定の自主性を守ることだった。過去に遡ったとしても、我々は同じ政策を打つだろう。
私たちは(当初から甚大な被害が生じるとは)期待していなかった。なぜなら、どのような計画が準備されているか知らなかったからだ。我々がシリアのために何かが用意されていることを知っていたし、戦争が一時的なものではなく長期にわたるものになることを初めから知っていた…。だが詳細については、誰も予想していなかった。
(戦争中に恐怖を抱かなかったかとの問いに対して)脅威を恐れない者は、正常でバランスの取れた人間とは言えない。恐怖とは人間の本性の一部だ。人間が恐怖を抱くのは当然のことだ。だが、恐怖には、パニックから不安、そしてその中間といったさまざまな形態がある。我々は確かにパニック状態には陥らなかったが、その一方で、総じて恐怖のもとで暮らしている。私が個人として標的になった訳ではないが、誰もが標的になっていた。何年にもわたって、我々はみな、街だけでなく住居にも迫撃砲が撃ち込まれるなかで暮らしてきた。だから、恐怖と不安は私たちの潜在意識の一部となっている…。
(自分は国家の指導者ではあるが)最終的には人間であり、他人と交流を持ちながら過ごすのが普通の状態だ。何年にもわたって、恐怖とともに生きることができないという状態が続くなかで、恐怖は日々ともに暮らすものの一部となる。想定されたシナリオに関して言うと、実際にはその通りにはならなかった。なぜなら、そうしたシナリオは(リビアのムアンマル・)カッザーフィー(大佐)、イラクのサッダーム・フサイン(大統領)のために恐怖を煽るために作り出されたものだからだ。シリアにおいて、我々は恐怖を煽るために作り出され、メディアで流布されていたシナリオを認識していた。しかし、概してそれらのシナリオは我々の頭のなかには想定されていなかった。我々が存在をかけて戦っているなか…、標的はバッシャール(自分)ではなく、シリアだった。このことを念頭に置けば、恐怖を煽るために彼らが宣伝しようとした個々の事件に執着する必要はなくなるだろう。
シリア大統領を退任させる必要について彼らが話していた時、そのイメージは次のようなものだった。問題は個人の問題で、この個人は、その資質や属性はさておき、祖国よりも重要であるはずない。
このようなイメージを我々はシリア全体で認識していた。それは、私に限られたものではなく、国家や国民もそのように認識していた。大統領の退任を求める要求は国内にはなかった。大統領が職や責任を離れるのは…、それは外圧や対外戦争によるものではなく、国民がそれを望む時である。国内の事情によるのであれば、当然のことだが、対外戦争の場合は、それは退任ではなく逃亡と呼ばれるべきものとなる。だが、逃亡についてはまったく議題に上らなかった。
(大統領の退任を求めるデモは)各県でもっとも好調な時でも、多く1,000人あるいは数千人規模だった…。これが第1だ。第2は…、世界でもっとも豊かで強大な国々、そして国民の大部分が大統領(自分)に反対していたのに、どのように存続したのか考えてみて欲しい。物事の理にかなっていない。つまり、大統領が支持する大義を大多数の国民が支持していたから存続したのだ。
国家が殺戮や強制移住を行っていたとするなら、責任は国家にある。だが、テロがあり、国家はテロと戦っているのだ。テロが殺戮、破壊、焼き討ちを行ってきた…。反体制派が祖国を破壊する悪しき国家があると主張していたとしても、私の知る限りそのような国家は存在していない。テロこそが破壊を行い、国家は憲法と国民の慣習に基づいて、国家を防衛する役割を担っている。テロと対決することが祖国を破壊することを意味するとうことになるのか? 我々がテロを放置していたら、国家は生き延びたのか?! こうした主張は論理的とは言えない。つまり、責任を負うべきは、テロに与した者であって、テロに対して防衛を行ってきた者ではない。責任を負うべきは戦争をしようとした者、戦争を計画した者、侵略した者であり、侵略された者ではない。
我々は自分たちが大国だなどとは最初から主張していない。世界と戦う力があるなどとも言っていない。我々は(イランやロシアといった)友好国に支持を求めるのは当然のことだ。なぜならそうした支援を必要としているからだ。彼らが我々に寄り添ってくれたことが、シリアが不屈の精神で持ちこたえることに重要な影響を与えた。これは自明だ。だが、友好国であっても、戦争、戦闘、そして不屈の精神において我々にとって代わることはできない。これも自明だ。真の不屈の精神とは国民の不屈の精神だからだ。
数千万人の国民、そして世界でもっとも古い民と社会(であるシリアには)…、蓄積がある。今日、我々には大義への信仰、経験、知識があり、権利を遵守し、この戦争が準備されるにあたって、そして戦争が開始された時に作られたゲームのルールを認識、熟知している。これらすべて、そして今は言及しないがその他の多くの要因が不屈の精神を作り出したのだ。それは大統領の問題でも、高官の問題でも、国家の問題でも、単なる軍隊の問題でもない。
合言葉はこの計画を認識することだ。我々は外国が仕掛けてきた罠にはまっていない。認識することは、いつであれ成功と不屈の精神の基礎をなしている。
実際のところ、アラブ諸国間関係は40年前に私が政治的な意識を持った時から形式的なものだった。なぜか? 理由は簡単だ。なぜなら、我々の考え方は国家レベルに基づいていて…、何ごとに対しても実質的な解決策も実質的な思考も提示していないからだ…。シリアの(アラブ連盟への)復帰が形式的な否かというと、それはアラブ諸国間関係の性質による。アラブ諸国間関係は変化しただろうか? 私は抜本的に変わったとは考えていない。アラブ諸国における我々に影響を与えるリスクの大きさを認識し始めてはいるが、解決策を生み出す段階には至っていない。問題の解決策が提示されなければ、関係は形式的なものにとどまるだろう。
問題を抱えた場合、二つの段階がある。第1は、問題を見極め、理解し、特定すること、第2は、対処法を確定することだ。我々は第1の段階におり、まだ第2段階に至っていないというのが私の認識だ。
アラブ諸国に対して、制度構築ができるようになることを期待している。アラブの問題は、制度に基づいて関係を築かないことにある…。二国間関係、そしてアラブ連盟を介した多国間関係が脆弱なのはそのためだ。なぜなら、アラブ連盟は真の意味において組織とは言えないからだ。
(反体制派とは)端的に言って、国外でではなく、国内で作られた反体制派を言う。国内で作られた反体制派には大衆基盤、愛国的なプログラム、愛国的な意思がある…。愛国的な意思、誠実な愛国的意識…。反体制派がいるのは当然のことだ。なぜなら、我々は人間だからだ。一つの家のなかであっても意見の対立はあるなかで、祖国のレベルで多くの問題をめぐって意見が対立しないことなどあるのか?
「国外の」という言葉は悪い意味ではない。国外とつながりのある国内の反体制派であっても、国外の反体制派であっても、祖国とつながりがあるかもしれないからだ。問題は、外国、あるいは国内との関係ではなく、どこに基盤を置いているかだ。国民なのか、外国の諜報機関なのか、問題はそこだけだ。
過去数年間で、シリアには少なくとも50万人以上が帰還したが、そのなかの誰も投獄されてはいない。なぜ帰還が止まったのか? 生活状況が原因だ。水、電気、子供たちが学ぶ学校、保健医療がないなかでどのようにして難民は帰還できるというのか? 生活の基本にかかわるこれらが原因だ。
我々は過去数年間の事件に関与したすべての人の罪を対象とする恩赦法を施行した。もちろん、いわゆる血の権利にかかる犯罪は除外されている。
疑いを持っている者は現実に立ち返るといい…。50万人あまりが帰還したと言った。もし国家が彼らを投獄するのであれば、なぜ彼らは帰還したのか!
(難民帰還を阻害している要因は)テロが破壊したインフラだ。我々が連絡を取り合っている難民のほとんどがそう言っている…。
現在、我々と人道問題にかかわっている多くに国連機関と対話を行っている。彼らとは帰還プロジェクト、資金提供の方法にかかる実質的な議論を始めたところだ…。
もし、我々がシリアでこうした取引(麻薬取引)を奨励する国家だとしたら、そのことは、我々がテロを奨励し、破壊と殺戮を行う国家であることを意味する。なぜなら、両者の結果は一つだからだ…。我々が国民をテロと麻薬のただ中に置けば、我々は自分たちの手で社会と祖国を破壊することになる。どこに利益があるのか? だから、麻薬の問題が、米国、そして続いて西欧諸国、一部地域諸国によって、シリアに敵対するための政策として利用されようとした時、我々はこうした現象と戦うことにもっとも熱心で協力的な存在となった。なぜなら、それは字義通り危険な現象で、国家がそれに与することは論理的でないからだ。悪党は国家とは取引しないということを付言したい…。公然と取引がおこなわれるようになっているがゆえに、彼らは国家と取引することはない。
第1に、麻薬取引は中継ぎなどのかたちで存在しており、それはとどまることはない。これが事実だ。だが、戦争が起きて国家が弱体化すると、この取引は繁栄していくことになる。これは当然なのだが、この場合、責任を負うのはシリア国家ではなく、シリアでの混乱の創出に貢献した国々だ。にもかかわらず、我々はこの数ヵ月、あるいは数週間にわたり、我々を訪問した複数のアラブ諸国の高官らと対話し、そのなかでこの問題は議題の一つだった。なぜなら、我々はこの現象を排除するという共通の利益を彼らと共有しているからだ。
(米国との交渉は)まったくない。数年間にわたって対話は途絶えており、今のところ、米国が変化することを期待していない。なぜなら、米国は要求するだけ要求し、手に入れるだけ手に入れても、何も与えることはないからだ。これが1974年以降50年にわたる米国との関係の本質だ…。だから、シリアにおける我々の政策は、いかなる試みに対しても門戸を閉ざさないというものだ。あの時こうしていれば、こんなことにならなかった、と言わなくて済むようにするためだ。だが、近い将来、米国との交渉によっていかなる成果ももたらされることはない。
(イスラエルとの関係正常化は)最終的にはない。彼らは1990年の和平プロセス当初から我々の姿勢を承知している。イスラエルが領土を変換しなければ、時間をかける必要もない。
(イスラエルは)イランのプレゼンスがあると主張して、基本的にはシリア軍を狙っている。イスラエルが敵である限り、我々がテロリストの計画を一部でも頓挫させることができるまで、それ(イスラエルの攻撃)は続くだろう。一連の爆撃はシリア軍が戦いにおいて段階的に勝利を収めるようになったのをきっかけに始まった。なお、我々はまだ戦争が終わっていないことを心に留めておくべきだ。
(トルコとの関係改善の可能性について)前提条件なき会談という言葉は、日程なき会談を意味する。日程なき会談とは準備なき会談を意味する。準備なき会談は結果がないことを意味する。ならば、なぜ私と(レジェップ・タイイップ・)エルドアン(大統領)は、例えば一緒にソフトドリンクを飲むために、会談するというのか?! 我々は明確な目標に達したい。我々の目標はシリアの領土からの(トルコ軍の)撤退だ。これに対して、エルドアンの目的は、シリアにおけるトルコの占領の合法化だ。だから、エルドアンの条件のもとで会談はできない。
テロは実際にシリア内に存在する。だが、それはトルコが作り出したものだ。ヌスラ戦線、シャーム自由人は、トルコが作り出し、今もトルコから資金供与を受けている一つの勢力が持つさまざまな名前に過ぎない。
(パレスチナのハマースとの関係について)ハマース指導部のなかには、シリアが(「アラブの春」波及当初)彼らに支援を求めてきたと言う者もいる。しかし、彼らがどのように我々を支援し、シリアという国家を防衛するというのだ。彼らは軍隊を持たず、シリアに数十人しかいないのに。こうした言葉は正しくないのだ。我々がたびたび発表してきた姿勢は不誠実だとされたが、それは我々がハマースを支援していたからではなく、彼らが当時自分たちをレジスタンスだと主張していたからだ…。どうすれば、レジスタンスを自認する者が…、米国やトルコによる占領、イスラエルの侵略を支援できるというのか。
ハマースのこうした立場は裏切りと偽善が入り混じったものだ。一方、今日の我々の関係に関して言うと、それは一般原則の範囲内での関係だ。我々は自ら権利を取り戻すため、イスラエルに敵対するすべてのパレスチナの当事者を支持する、これが一般原則である。
(ハマースとの関係を回復させる可能性は)今のところない。彼らはシリア国内に事務所をもっていない。そうしたことを話すのは時期尚早だ。我々には優先順位があり、シリア国内での戦いが今のところ我々にとっての優先事項だ。
シーザー法は間違いなく(復興や経済再建における)障害となっている。だが、我々は幾つもの方法を駆使してこの法律を乗り越えてきた。それゆえ、最大の障害ではない。最大の障害はテロリストによってインフラが破壊されたこと、投資家のシリアの市場とのかかわりを阻害している戦争のイメージにある。また時期も大きな障害だ…。経済関係は数週間、数ヶ月で打撃を与え、破壊することができるが、それを復活させるには数年がかかる。こうした(回復と経済関係正常化の兆しが数ヶ月以内に経済的成果につながると期待するのは非論理的で非現実的で、成果に至るには多大な努力と疲労が必要だ。
(レバノン大統領選挙への出馬を表明しているスライマーン・フランジーヤへの支持の是非に関して)我々はレバノンの危機に介入はしないがゆえ、どの候補者を支援する、支援しないなどと話すことはできない。レバノン人に問題解決の意思がなければ、シリアであれ、それ以外の外国の当事者が介入しようとも、レバノンの危機解決を支援することはできない。これが問題なのだ。レバノン人をさらなるコンセンサスへと導かねばならない。そうすれば危機解決について話すことができるようになる。
我々シリアは、20年ほど前にレバノン・ファイルを放棄し、レバノンとの正常な関係を構築しようとしている…。
地震はシリアにとって数百年にわたって経験したことがなかった新たな事態だ。定義することさえ困難な感情が生み出された。だが、できる限りの救援活動を行い、瓦礫の下敷きになり、数日にわたって生死の間をさまよった人々を救い出そうとする人たちがいた。まさに、畏敬の念を感じる人道的な姿勢だった。
戦争においても、人道的な姿勢は際限なく存在する。テロリストの命令を拒否し、学校に行かず、殺害された教師たち。電気を復旧させようとして殺された電気技師…。しかし、もっとも心を揺さぶられる人道的な姿勢は戦死者の遺族の姿勢だ。母親、父親は何人もの息子たちを失いながらも、なお祖国防衛のために息子たちを戦地へと送り出した。忘れることのできない人道的な姿勢があった。
私個人に関して、私が大統領になる際に、ハーフィズ・アサド前大統領は何らの役割も果たさなかった。なぜなら、彼は私が大統領になることを保障するいかなる民間の職も軍の職も与えなかったからだ。私は彼の死後、(バアス)党を通じて大統領となった。このことに関して、彼がなくなる数週間前においてでさえも、彼と話し合うことはなかった。彼は当時病に伏していたからだ。同じことが私と息子(ハーフィズ)についても言える。我々は家族の関係だ。彼とはこうした問題について議論することはない。特に、彼はまだ若く、学者としての未来があり、学業はまだ終わっていない。彼がそれを希望している。公職(大統領職)について言うと、それを望む個人を国民が受け入れるかどうかにかかっている。だが、実際のところ、私は彼とこのことについて詳細に議論したいとは考えていない。今も、そして今後も。
(後悔している決断はあるかとの問いに対して)個人的にこの問いをいつも自分に投げかけてきた。我々は自分たちが下した決定の多くに納得しておらず、自分たちが下さなかった決定に納得することもあったと言ったら驚くことだろう。例えば、憲法などの改編について、我々は彼ら(反体制派に)これらを実行すると言ったが、戦争は続いた。平和的とされたデモに我々は当初平和的に対処した。同胞団主義者らのグループなどが多く紛れ込み、警官などに発砲したことを承知していたにもかかわらず、また平和的でないと知っていたにもかかわらず、平和的なデモとして対応してきた。だが、当時に戻ることができたら同じことをしただろうか? 答えは「した」だ。なぜか? 物事への対処というのは、必ずしも個人の満足に基づいて行われるのではなく、人々の理解に基づいて行われるものだからだ。多くの人々が平和的でもだと信じていたら、憲法に問題があると考えていたら、一連の措置を講じ、これらの人々に問題が憲法や平和的デモではないこと、そして問題がもっと大きなものだということを理解してもらわねばならない。もちろん、彼らは納得した。だが、遅かった。
多くのことに我々は納得していなかったが、再び同じことをするだろう。
ロシア、イランとの関係は、シリアが友好国を正しく選択する方法を知っていることを立証するものだ。トルコとの関係については、遠ざかっていると訊く者がいるだろうか? トルコは隣国だ。トルコとの関係をめざすのは当然だった。トルコが撤退し、関係改善に向けた異なった状況が将来生じたら、我々がトルコと良好な関係を構築するために同じ政策に立ち返るのは当然だ。
我々はいかなるアラブ諸国に対しても敵対的な行動をとったことはなかった。我々がアラブ連盟に復帰した時でさえ…、いかなる側の当事者も非難しなかったし、なぜそんなことをしたのかと問いたださなかった。逆に我々は、過去は過去で、常に未来に目を向けていると言った。それよりも良い方法はあるか? より良い方法があるのなら、アドバイスして欲しい。我々に異論はないが、歴史を通じて衝突も問題も望んではいない。これが我々の政策の一部、あるいは本質だ。
AFP, August 9, 2023、ANHA, August 9, 2023、al-Durar al-Shamiya, August 9, 2023、‘Inab Baladi, August 9, 2023、Reuters, August 9, 2023、SANA, August 9, 2023、SOHR, August 9, 2023などをもとに作成。
(C)青山弘之 All rights reserved.
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