アサド大統領は、バアス党の最高意思決定機関である中央委員会の会合で、ガザ地区に対するイスラエルの侵攻について言及、現下の戦闘が真実をめぐる戦争だとしたうえで、パレスチナで起きていることは、シオニストの言説の覇権を世界的に打破するものだと述べた。
また、大義に訴えることは、祖国防衛につながり、パレスチナ人民は自らの大義に訴えることに成功したと指摘、西側首脳がイスラエルを支援するために行う攻撃は、母親が子供を守るために行う攻撃に等しく、イスラエルとは植民地主義の嫡出子だと非難した。
アサド大統領は以下の通り述べた。
***
話す価値がある唯一のこと、それはパレスチナ情勢、とくに最近ガザで起きたことだ。ガザで起きたことは、長年、そしておそらく何世代にもわたる歴史的事実を変容させた。そして、それは、戦争の結果に関係なく、予見可能な将来においても変わることはないだろう。ガザは破壊され…、パレスチナ人民は強制移住させられ…、パレスチナ人民は死に絶えた。明らかになった事実がある。これらの事実は我々が考え、学び、目に留めておかねばならない教訓だ。なぜなら、それは、シリアのこれまでの状況、そしてその他のアラブ諸国、そしておそらくはアラブ諸国以外の国々の現状と大きく重なり合っているからだ。なぜなら、原理はどの国民、どの祖国においても一つだからだ。
この戦争におけるもっとも重要な点は、70年前にパレスチナ問題が表面化して以来、あるいはおそらくは19世紀以来、物語を支配してきた世界シオニズムが初めて、この物語への支配を失いつつあるということだ。なぜなら、西側が物語、文化、政治、習慣、伝統を通じて知性を支配するために作り出したツールであるSNSが、あらゆる側面で世界を支配し、成熟したからだ。成熟したという言葉で意図しているのは…、それを利用する者が成熟したということだ。諸人民はその利用において成熟し、魔法が魔法使いを打ち崩し、シオニズムは、米国を含む最重要拠点においてさえ、その物語を失ってしまった。米国の巷がパレスチナを支援するようになったという意味ではない。しかし、シオニズムの物語をめぐって多くの疑問が生じるようになった。この状態は、戦争当初のシリアにおいて我々が身を置いていた状況と大きく重なり合っている。シリアを含むアラブ諸国がSNSを恐るべき新たなツールとみなして、それに多くの制限を課していた時…、これらの国には規制をかけ、インターネットを完全に遮断するなどした。だが、シリアで我々が行ったのは、その逆だった。まずは、この戦争を…敵のやり方で戦わねばならず、自分たちのやり方で戦うだけでは不十分だとして、我々はすべての規制を撤廃した。
第2に、民衆への信頼に基づいて、そうした。広範な民衆が、自分の祖国を防衛できなければ、国家には意味はない。国家そのものは祖国を防衛しようとする願望はない。戦争当初、我々には、自分たちの力が民衆の意志のなかにあるのであって、武装部隊、政治的言説、そしてこの手の重要な事柄のなかにあるのではないとの原理を持っていた。大衆を育む保育器という場合、それは意志を作り出す保育器のことを言っている。それは必ずしも世界の世論に浸透することではない。我々はそうは考えてはいなかった。だが、我々は、社会としてシリア国内の社会を擁護することはできた。
シリアの戦争と、パレスチナでの戦争、ウクライナでの戦争、中国、南シナ海、ベネズエラなどでの戦争との間で重なり合っているのは、西側、とりわけ米国が仕掛ける戦争が二義的に領土を制圧しようとする一方、一義的には真実を制圧しようとしているということだ…。今日、戦争は真実をめぐる戦争だ。真実を勝ち取る者…、もちろんこの真実が真実か虚偽かは別問題だが…、そうした者が戦争と戦いを制する。だから、戦争当初にシリアの裏切り者たちがもっとも恐れたのは、世界が、あるいは世界ではなくシリアだけであっても、彼らが裏切り者だということを知ることだった。テロリストが革命家ではなく、傭兵だということをシリア人が知ることだった。一方、イスラエルが今日世界でもっとも恐れているのは、世界がそのテロの真実を知ることだ。だから、戦いは今日、真実をめぐる戦いなのだ。我々は、米国が世界を、ドルや艦隊に先立って、真実で支配したことを知らねばならない。この真実は第2次世界大戦以来始まっており、我々は映画、物語、読み物を通じて、西側がナチスの敵だと信じ込んで暮らし、ナチズムがロシア、当時のソ連の主敵であることを忘れてしまっていた。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のナチズムの台頭がアメリカの支援によるものだったことを、我々のほとんどは知らない。誰もが疑問に思っている…。ドイツの崩壊とヨーロッパへの制約がどのような意味をもっていたのかを。どのようにナチズムの台頭と軍隊の設立を許したのかを。それは米国の支援…、米国の資金…、債務…、投資…によってだ。フォード社さえも投資していたと思う。それは戦争勃発後も続き、支援も続いた。おそらく戦争勃発の最初の1年間は続いていたと思う。ナチスの計画が変わると、西側の支援も変更され、欧州はあの戦争に反対の姿勢を示すようになった。
この物語の続きは、西側が偉大な上陸作戦だというノルマンジー上陸作戦でナチズムに勝利した、そう皆考えている。ヒトラーの敗北が開戦の約2年後のモスクワの戦いから始まっていたことを知る者は少ない。西側陣営、とりわけ米国はナチズムに何らの行動もとっていなかった。スターリンは米国に介入を要請したが、米国はこれを拒否した。ナチズムと共産主義が互いを破壊し合い、欧州も崩壊後に支配したい、と米国は考えていた。
ロシアの勝利の第2段階は、スターリングラード包囲での大きな戦闘の後の1942年だった。ロシアの進攻は1944年夏まで続いた。つまり、約3年にわたって、西側はナチズムとは戦っていなかった。つまり、西側全般ではなく、とくに米国のことだ。ロシアが勝利を手にしようとしていたことを知り、進攻を決定し、勝利を盗み、ロシアが東欧、ドイツなどに進軍するのを阻止した。これが進攻の理由だった。
続きがある。かの有名なニュルンベルク裁判は米国との協力を拒否したナチスの指導者らに対するものだった。協力した者はみな、米国、そして西側諸国で保護され、名誉を与えられた。米国初のミサイルはナチス・ドイツが製造したものだった。NATOはドイツ士官らの手で作られた。ドイツ中央銀行総裁は、ヒトラーにもっとも近い人物だったが、米国で保護され、名誉を与えられた。バンデーラの組織の指導者をはじめとするウクライナのナチス指導者らは、西ドイツ本国と米国の間で死亡した。米国に世界を支配させることになったこの偽りは、ホロコーストにおいてもまったく同じだった。600万人のユダヤ教徒が殺害された証拠は一切ない。ホロコースは実際に起こりはした。誰もそのことは否定し得ない。収容所があったことは事実だ。だが、この問題が、人道や真実としてではなく、政治的に利用されている証拠だた。あの戦争で2600万ものソ連人が殺害されたことを話さず、どうして600万について語れるというのだ。600万人の方が尊いのか? 同じような行為はあらゆる面で行われてきた。ユダヤ教徒に限られる殺戮、拷問の仕方ではなかった。ナチスはあらゆる場所で同じことをした。だが問題は政治利用され、事実が捏造され、その後欧州以外の地域への輸送が促された。その場こそがパレスチナだ。
つまり、我々は、戦いが真実をめぐる戦いと呼び得るものであると言いたい。それは同時に意識をめぐる戦いでもある。意識がなければ、真実を獲得することはできない。だから、我々は今日、この社会がシリアで複雑なプロパガンダを前にして、当時経験がなかったにもかかわらず、不屈の精神で抵抗したことに驚いているのだ。世界が我々に対抗していた。今日もその一部は対抗し続けている。この社会の一部は、複雑でない非常に単純な嘘、単純な噂に埋没してしまっている。つまり、多くのメダルを獲得した世界的な競泳選手のようだと言っているのだ。他の競泳選手が出したことのない記録を達成し、1インチも沈むことがなかった選手。ここに意識の問題、そして意識をめぐる戦いがある。我々はこの問題を真剣に考えねばならない。もちろん「難解」で根深い問題として、情報を伝える国家機関の問題がある。これは国家にとって慢性的な問題だ。ちなみに、我々は社会的な慣習についての情報を発信したがらず、それらを社会から手に入れ、責任を伴う行動、とくに政府の行動のなかに定着させる。だが、しかし、嘘は毎日数十件、場合によっては数百件あり、いずれにせよ、それら数十件、あるいは数百件を追跡して、声明を出すことは不可能だ。そこには国家の欠陥が確実にあるだろう。だが、社会の一部において意識の欠落があるのだ。私は、愛国主義が持つ側面、国家への忠誠に関わる側面、そして、もっとも過酷な種類のプロパガンダに段階的に対峙し得る側面について話をしている。これらの諸側面そのものが時に一部の噂を埋没させ得るものだ。このことは、我々が党として考え、役割を果たすべき主題だ。これは、いかなる社会であっても党が果たす役割だ。どの社会においても、どの政党においてもだ。これが党の役割、一義的に意識を作ることだ。
つまり、すでに述べた通り、第1の点は、パレスチナ、ガザについての真実だ。そして、もう一つの側面は、パレスチナ問題の所在だ。シリアにおいて、パレスチナ問題という主題は、無意識に存在している。つまり、我々は歴史的関係において、そしてまた我々が同じ地域の民、そして同じ伝統を有する者である点において、それを問題と考えることはない。他の一部のアラブ諸国ももちろん、人民のありようについては同じだと思う。国としてのありようについてはここでは言及しないが…。だが、世界では、オスロ合意以降状況は異なっている。ほとんどの人々がパレスチナ問題は終わり、解決したと考えている。既存の紛争や対立は、数十年に及ぶ長い紛争を経て生じた当然の対立であり、対立はいくつかの衝突があって当然だと。
だが、過去数年にわたってパレスチナで起きたこと、それはガザだけでなく、ガザにおいて頂点に達した事態によって、この問題が国際的な地位を取り戻した。オスロ以前の地位、和平プロセス以前の地位をだ。この問題は今日、シオニストの軍隊のような「人道的」なプロの正規軍が、過激で、狂信的で和平を嫌うテロ・グループと戦っているという問題ではもはやない。この問題は本質へと回帰した。それは、占領者が土地の所有者と戦い、侵略者が被侵略者と戦うというものだ。これが問題の本質であり、この本質が世界において欠落していた時、この問題も存在していなかった。あるいは、世界的に死滅していた。今日、この問題は復活したのだ。
シオニストたちは、問題を幾世代にわたって風化させるようとする自分たちの政策が常に問題を忘れさせると考えていた。つまり、どんな商品もそうであるように、時間とともに腐食すると。彼らはなぜそう考えているのだろうか? 人民ではないからだ。人民でない者は、大義(問題)を担うことなどできない。また、大義(問題)が死滅するか、しないかということが何を意味するかを理解できない。当然だ。シオニストは問題が時とともに熟成し、風化することを期待し、その逆を期待していなかったからだ。熟成し、成熟し、さらに燃焼することで、より激しい抵抗とより強い不屈の姿勢が生み出される。
パレスチナ人民は、数世代にわたって自らの大義を担ってきた。おそらく、我々は第4世代、あるいはそれ以降の世代だろう。ガザにおいて、西岸において、48年の領土において、彼らが本物の人民であることが立証された。それで十分だ。大義を持つことで、人民がいることが立証される。大義を捨てれば、世界に自分たちがユダヤ人、あるいは自称「歴史的イスラエル国民」と同類だということを立証することになっていただろう。自分たちが本物の人民であることを立証したがゆえに、イスラエル国民が幻想だと立証し、「土地なき民、民なき土地」という物言いを無に帰したのだ。この問題は、我々にとって、そして世界にとって、それが嘘であることを明確に立証していることを意味しているにもかかわらず、パレスチナ人民の絶滅についての話や議論が始められた。イスラエルの旗を掲げ、自分たちが紀元前6世紀に消滅した「イスラエル」の民の末裔だなどと言うものはいない。これまで述べた通り、パレスチナにやって来たユダヤ教徒は、カスピ海の東方にいた「ハザール人」のユダヤ教徒で、異教徒だった彼らはユダヤ教徒に8世紀に帰依し、欧州に渡り、その後この地域にやってきたのだ。つまり、彼らと絵絶滅した「イスラエル」の民との間には何の関係もない。なぜなら絶滅した「イスラエル」の民が暮らしていた地理、そして歴史は、エジプトとパレスチナの間にあり、ユーフラテス、すなわち今日のイラクにあった国だからだ。
だから、この民が本物ではないとき、我々は今日、この民が雑多な民であることを目にする。つまり、子どものおもちゃのレゴブロックのようなものだ。身長1メートルの人間の像、あるは10メートルの人間の像、さらには本物の人間のような像を作ることができるブロックからできている。だが、そこには魂がなく、動くことはない。生きることもできない。なぜなら、社会とは文明が積み重さなって作り出されるからだ。そこには、地理、歴史、文化、教義、そして社会を建設するさまざまなものがある。
「イスラエル」は文明が積み重なることで作られたものではない。政治的決定によって作り出されたものだ。政治は人民を作り出すも、文明を築き上げることもできない。政治が人民を作り出そうとすると、それは怪物を作り出すことになる。怪物とは、自然の法則、人類の法則、そして周りで暮らす他の人民と矛盾して生きる異常な状態を表す言葉だ。
自然の法則と合致することで、正常で安定した人間が創造される。自然の法則に反することで、この世では取り返しのつかないコンプレックスを抱えた複雑で病んだ個人や社会が創造される。そうした個人や社会は、動揺し、怯え、罪を犯すまで凶暴になる。これこそが我々が今日入植者たちのなかに見ているものだ、彼らがいかにパレスチナ人を殺し、その血を楽しんでいるのかを目の当たりにしているのだ。これがこの民が動揺した民であることの真実だ。我々はこの真実をヒステリックなまでに完全に暴力的で犯罪的でありながら、同時に崩壊するほどにまで臆病なシオニストの軍の振る舞いのなかに見ることできる。
パレスチナ人民が自らの大義を貫徹することに成功したというのは何を意味するのか? もっとも重要な教訓は、大義が人民を守り、人民が祖国を守るということだ。だから、西側は、ソビエト連邦崩壊後の新たな社会が教義なき社会、大義なき社会、物質主義思想以外のイデオロギーしかない社会、だとの宣伝を行った。即席の大義はファストフードのようで、健康な食品ではなく、物質主義的な即席の思想は諸国民の支配をもたらしている。
だから、我々は外交について知らねばならない。シリアが行ってきた外交措置について多くの理論を導き出す者もいる。なぜ、我々はこの場でこのようなことをしてきたのか? なぜ我々は群れと共に歩まなかったのか? つまり、戦術とは一時的なものだ。この群れがどこに進むかは分からない。例えば、イラク戦争において、米国の航空機がシリア領空を通過するという単純なことを米国が我々に要求した際、なぜ我々はこれに従わなかったのだろうか? 高高度を飛行するので、シリア国民には見えないはずなのにだ。西側、とりわけ米国の政策が、あなたを一時的に守るとして支援を求めてくることは知られていない。だが、それによって西側の政策は強力なものになる。そして強力になった時、あなたを攻撃し、殲滅することになる。黒い雄牛が食べられた時、白い雄牛も食べられることは知られず、こうしたことも理解されない。近視眼的にしかものを見ようとはしていない。
近視眼から我々を守るもの、それは大義という考えだ。だから、大義なきままに行われる外交は、戦略なき戦術のようなものだ。それは目的を伴わない訓練のようなものだ。つまり、訓練を行うのは、目的に達するためだ。シリア人ではないある人との最近の会話のなかで、政治におけるシリアの賢さが話題になった。その人は、シリアがどのようにさまざまな局面を克服したのか、そして必ずしも新しくない、古い諸々について話した。これに対して私はこう言った――違う、そうではない、賢さが守るのではない。賢い者は1回でも10回でも成功するが、11回目に失敗するかもしれない。だが、国の問題における失敗は致命的で、間違える余地はない。我々は過ちを犯す人間であり、間違えて当然だ。私はこうも言った――シリアの姿勢を守っているのは原理、原則であり、この原則は大義に基づいている。大義があれば、原則もある。原則があれば、この原則に従った外交もある。戦術は持続的に間違えるかもしれないが、原則的な大義において間違いを犯してはならない。
クウェート戦争(湾岸戦争)について話していた者もいたので、古い例に立ち戻ることにしよう。ハーフィズ・アサドはこうした機会を利用し、米国の側につくことに長けていた。だが、シリアの原則のすべてが日和見主義へと変容した。米国の側につくことは、原則なき日和見主義だった。なぜなら米国は当時唯一の超大国で、民族主義政党の党首以外に、誰一人としてクウェート占領を拒否することがパレスチナに占領、ゴラン高原の占領、それ以外の場所の占領と同じだと考えなかった。原則となる大義について考える者はいなかった。占領という問題が大義として対処すべき大義を創り出すとは考えなかった。残念ながら、世界が身を置いている現状、原価の雰囲気のなかで、我々は多くの無原則に対峙している。だからこそ、我々は大義に基づいて行動を構築しなければならないのだ。
パレスチナ問題においては、莫大なコストにもかかわらず、ガザでの抵抗運動の攻撃を批判するパレスチナ人誰1人の声も聞かなかったことに注目しよう。なぜだ? 大義があったからだ。一方、シリアにおいては、国家が何を提供したのかという者もいる。もちろん、一部だ。一部の日和見主義者だ。国家は何を提供したのか? あなたは国家に何を提供したのか? 何もしていないではないか。このように言う者は日和見主義のために存在するような者だ。もらうだけで、与えようとしない。西側の政策と同じように、すべてを手に入れ、何も提供しようとしない。この問題は重大だ。我々が大義を失えば、祖国を失う。これが有効な概要だ。大義とは、我々がイデオロギー的になることでも、デマゴーグになることでもなく、大義にかかる大いなる原則を探すことだ。なぜなら、我々の心理とメンタリティがこれを求めるのは、それが利益につながるからではなく、ただ心理状況に合致しているからだ。利益について話す場合、いろいろな利益に基づく必要があろう。だが、それは真の利益でなければならず、狭量で日和見主義的なものであってはならない。
同じ枠組み、すなわちガザの教訓から今日よく聞かれる質問にはどのようなものがあるだろう? これまでの戦いで誰が負けたのか? 誰が、戦いにおいて勝ったのか、そして負けたのかを言うことはない。ほとんどの戦争で失った兵士、評判、国内の多くのもの以上に多くの兵士を失ったイスラエル人の方か? あるいは、数万の命を失い、一部地域において都市をほぼ完全に破壊されたパレスチナ人の方か? つまり、我々が客観的になりたいと考えるのなら、この敗北、あるいは勝利を決める者は戦っている当事者自身、両当事者の見方だと言うことができる。個々人はそれぞれ異なった側面から戦争を見ている。だから、我々がシリアでの戦いを、大きな戦いであれ、小さな戦いであれ、評価したい場合、さまざまな側面から見ることができる。だが、そこには、比較材料と真実があり、これらから飛躍することはできない。比較材料と真実に基づき、我々は現在行われているような無原則で表面的な議論とは異なった方法で外から戦いを見ることができる。世界最強とされる軍隊と比較しても、イスラエル軍はこの地域だけでなく、世界最強の軍隊の一つだ。少なくとも、テクノロジーと破壊力という点で確実にこの地域最強の軍隊だ。これに対して、抵抗運動の戦闘員の諸派は、この軍隊の一個旅団にも満たない。このように言うこと自体、前例のない侮辱であり、道徳的ではなく、軍事的な意味において、イスラエル軍にとってスキャンダルだ。(イスラエルの)鼻を明かしたのだから。
第2の点、すなわち第2の真実は、最初の数日間に、首脳らと合わせて、西側の艦隊がイスラエルに行った積極的な関与である。これらの艦隊は、イスラエルを軍事的に支援するためにやって来たのではなかった。支援はそもそも行われており、中東、欧州の各所に貯蔵施設もあり、イスラエルに奉仕している。では、なぜこうした行動をとったのだろう? それはイスラエルが崩壊していたからだ。このことは、イスラエルがまず植民地主義の嫡出子であることを裏付けるものだ。こうした関与は、母親が子供を守るために行うものであり、それ以外の解釈はない。党を脅迫したり、イランを脅迫したりするためのものではない。こうした言葉は正しくない。なぜなら、艦隊は湾岸や地中海に展開しており、それらを数百キロメートル動かして、バランスを変えようとする必要などないからだ。だが、真のメッセージは、崩壊したイスラエルのコミュニティに向けられていた。このことは、このコミュニティが雑多であることを示している。つまり、このコミュニティは、イスラエルが今日のように建国される以前は、世界各所で包囲と戦いに直面し、殺戮を余儀なくされていたが、19世紀から国際的な支援が行われてきた。我々はこのコミュニティが持つ求心力と復元力に着目している。
もう一つの点は、真実や情報の発信においてパレスチナ人が持つ優位性だ。電力、インターネット、通信がそれを阻止しようと、パレスチナ人は広報活動を行ってきた。実際、それは我々にみなにとって驚くべきことだった。これは、先ほど述べた通り、シオニズムの物語が敗北したのとは対照的だった。なぜなら、それは世界のさまざまな物語を支配し、つまりは1世紀以上の歴史を持つハリウッドのすべて映画が、全世界を一つの物語に向わせてきた。これに対して、パレスチナ人は、すでに述べた通り、こうした物語に対するシオニズムの覇権をもっとも重要な舞台である米国においてさえ打ち破ることに成功した。
もっとも重要な比較は道徳の比較だ。我々は、シオニシトが軍として、あるいは入植者として、どのようにパレスチナ人捕虜を取り扱ってきたかに注目している。大きいか、小さいか、民間人なのか、軍人なのか、児童なのか、老人なのか、女性なのかは問題ではなく、野蛮に取り扱ってきた。これに対して、シオニストの捕虜に対して示したパレスチナ人の道徳は、その取り扱いにイスラエルの各機関が恐れをなすほどのものだった。彼らは、シオニストの捕虜たちの反応をさまざまな方法で隠ぺいしようとした。だが、それは不可能だった。困難な比較でなく、不可能な比較だった。一方の当事者であるシオニストは大衆ではない、あるいは捏造された嘘の想像上の大衆に過ぎない。それに対して、もう一方の当事者は、正真正銘の当事者なのだ。この勝利は文明の勝利のだ。
この手が我々にとってどう重要なのか? いわゆる「第五列」において重要なのだ。「第五列」は、もともとはスペインで起きた話だったと思う。当時は四つの部隊が存在したが、司令官がどのように(マドリードに)進攻するのかと問われて、内部で活動する「第五列」(スパイ)がいると答えたという逸話だ。「第五列」は我々の現在の理解では、必ずしも内通者や裏切り者ではない。むしろ、憤りを感じているグループのことだ。彼らは他者を憤らせたいと考え、憤りを感じている。なぜなら、他者を憤らせると、自分たちがあるべき場所にいると感じることができるからだ。他者が自分と同じレベルでつまらないと思いたいと考えているつまらない人間もいる。なぜなら、あるべき場所、あるべき環境にいること感じられるからだ。臆病な人間もいる。みなが自分と同じように考えていると思い、自分にとって都合の良い話をしたがる利害関係者もいる。こうした人々は何か測る時、私は捕虜何人に対して捕虜何人が対応するのかなどと質問して比較は行わない。捕虜何人に対して、殉教者何人、我々が破壊した戦車の数に対して、我々が失った国民の数は、などとも訊かない。大義、祖国、国民にかかわる問題はこのように測られるものではない。損得を勘定する取引上ではないからだ。
こうした問題を表面的に議論されてしまうことに問題があるのだ。そのほとんどが善意によるものなのだろうが、それは非常に危険でもある。我々の大義が議論される方法について慎重にならねばならないのだ。それは先ほど私が提起したのとまさに同じポイントだ。例えば、なぜシリアは西側諸国に対して特定の姿勢をとらないのかと訊かれたなら、イラクの例に立ち返りたい。(イラク)戦争前の2002年にイラクを宗派主義的に分割しようとする意志があることを熟知していた。この宗派主義的な分割は、シリアに持ち込まれた。(シリアに対する)戦争が始まった当初の言説は完全に宗派主義的なものだったと着目していた。シリアの社会的意識がなければ、国は数週間、ないしは数ヵ月で爆発していただろう。つまり、我々は、常に長期的なヴィジョンを示し、既存の対話を無に帰すような物的な勘定の問題ではなく、国の大義にかかる話し方に立脚して比較を行わねばならない。なぜなら、そうすることが政治的言説の一部をなしており、政治的言説、プロの演説、アマチュアの演説は異なっているからだ。アマチュアでも、政治的な姿勢を経済と同じように数値で評価することはできる。戦前の経済は7%の成長率で、国はロケットのように上昇を遂げていたと言う者がいる。だが、7%は全体の成長につながっていたのかと言う者もいる。しかし、それは正しくない。戦前の経済状況について訊かれたら、違う、と答える。経済状況は一部の人が考えているほど良好ではなかったからだ。数値は良かったが、現状はあまりよくなかった。おそらく、このことが戦争状態の確立に貢献し、西側はこれを目にして悪用していった。おそらく我々のほとんどは、この真実を目にしていなかった。我々はこうした表面的な言説に注意し、政治的であると同時に愛国的な計測方法に基づき、論理的で説得的な言説で対抗しなければならないのだ。
これまでの説明で、勝敗についての答えを出すことはでき、それによって、シオニスト政体は、アラブ世界、あるいはイスラーム世界、中東、そしておそらくは世界全体のほとんどの人々が想像している以上に弱いということが明らかになっている。イスラエルは死に至る内面的な要素を持っているがゆえに脆弱なのだが、アラブという酸素によって延命している。残念なことに、多くのアラブ人が理解していない多くの物事があり、我々は今日、アル計画を目のあたりにしている。それはまた「第五列」の話にも通じている…。パレスチナ人をガザ地区からヨルダン方面の「代わりの祖国」に強制移住させようとするイスラエルの計画だ。「代わりの祖国」とはいつから公然と言われるようになったのか? 50年以上も前からだと思う。それはイスラエルが建国される以前は公には叫ばれていなかった。「我々は、パレスチナ人を別の場所に移住させる、もっとも近い場所はヨルダンで、ガザの住民をシナイ半島、あるいはエジプト方面に移住させることとまったく同じだ」。アラブのすべての戦術がこうした計画を現実のものへと変えてしまったのか? 今日も同じ方法で示されているのではないか? 強制移住。ガザと西岸の戦争は強制移住のための戦争ではないのか? 我々は、さまざまな地域で「なぜ我々とここかしこで妥協しないのか」と訊いてきた「第五列」に訊いているのだ。アラブの妥協はアラブ人に何をもたらしたのか? 大統領や国王も含めて立場が重要なのではない。国家元首たちは数十年も米国に妥協した。それで米国は喜んだのだろうか? 国の原則を犠牲にして妥協することで祖国を守るというモデルはあるのか? 「第五列」の論理が正しいのなら、私はその一部になろう。我々みなが「第五列」の一部となり、国益を実現するだろう。だが、すべて真実は逆であると立証している。今日、こうした計略はとどまることなく動いていることは明らかだ。イスラエルは大イスラエルとして自らの計略をとどまらせることはない。イスラエルとともに(この計略を)始めた者はみな、この計略が近隣諸国から最果ての国に至るなかで蚊帳の外に置かれることをよしとしないだろう。
現時点の現実は同じだ。ガザが爆撃を受けた2009年以前にパレスチナで起きたこと、そしてその後繰り返される攻撃、さらには西岸に対して始められた攻撃。西岸の若者たちの抵抗は、ハマース、ファタハのいずれのものでもなく、パレスチナ人だけのものだ。それ以上に重要なのは、作戦を通じた抵抗だ。生み出された作戦、抵抗の作戦は、1948年に領内(パレスチナ)で始まった。それらすべては、抵抗運動を支援するというシリアの伝統的な政策が正しいことを立証している。我々が抵抗運動への支援、抵抗の貫徹という場合、抵抗の原則を貫徹しているのであれ、どのようにするか、どう支援し、どう動くは重要ではない。我々にはそのほかの細目についても関心はない。我々が抵抗運動について原則以外のことに言及したことは1日たりともない。それゆえ、それは抵抗の代償が屈服の代償よりも少ないという原則が正しいことを立証している。なぜなら、抵抗の代償は、急速にもたらされるがゆえに対処可能だが、屈服の代償はゆっくり押し寄せ、慢性疾病のように人間を知らず知らずのうちに徐々に食い尽くし、回復不可能にし、最終的には徐々に死に至らしめるからだ。いずれにしても代償を支払うのであれば、なぜ尊厳をもって支払おうとしないのか? それが問題だ。つまり、代償を払うことになる。遅かれ早かれ、払うことになるのであれば、自らがその時を選び、尊厳をもって支払う方が良い。
抵抗運動を守ることは祖国を防衛することだというシリアの原則が正しいことは立証された。なぜなら、ガザは今日、パレスチナを守り、パレスチナはシリアを守り、パレスチナはすべてのアラブ諸国を守っているからだ。同じことは、レバノンの抵抗運動についても言える。レバノンの抵抗運動は南部を守り、レバノン全土を守り、シリアを守り、アラブ人をも守っている。抵抗運動を支援するというシリアの姿勢が正しいことも立証された。なぜなら、抵抗運動は、宗派主義に対するもっとも強力で効果的な解毒剤であることが立証されているからだ。それは、包括的な主題、包括的な愛国的主題、包括的な民族的主題なのだ。諸々の抵抗運動を表現するとして使われてきた宗派主義の諸概念、さらには諸々の呼称が死滅したことを、我々すべてが今日目の当たりにしている。ハマースやヒズブッラーのことを話す者は今日1人もいない。抵抗運動が今日話されているのだ。パレスチナにおける抵抗運動、レバノンにおける抵抗運動。こうした主題は包括的なものであり、それは些末で些細なこと、そしていわゆる「ルワイビダ」的なものを排して支配的なものとなっている。ハディースとして聞いたことがあるかと思うが、抑圧者のことだ。一字一句正確に言うことはしないが、預言者は、嘘つきが信じられ、真実が騙され、信頼できる人が裏切られる時代が来るだろうとしたうえで…、ルワイビダが声を上げるだろうと仰られた。ルワイビダとは何かと訊かれると、世間の事柄について云々するとるに足らない人間のことだと答えられた。この問題が14世紀も前から存在していたことを想像してもらいたい。ルワイビダは人間社会の一部なのだ。そして今日もっとも深刻なルワイビダはSNS上に存在する。だが、それはルワイビダとは呼ばれておらず、今日では専門家と呼ばれている。彼らのほとんどが専門家なのだ。
パレスチナ、とりわけ最近になってガザで起きたことは、西側が植民地主義的であることに変わりがないことを立証した。つまり、西側は自らが提起した原則を信じてきた西側の人々にあることを暴露した。民主主義、自由、人道といった偉大な原則が、大いなる偽りの表現だったと立証されたことをだ。西側諸国の人々、そして西側に魅了され、「欧州では、米国では、どこどこの国では、これこれの経験によって、どのようにこのようなことをしているか」などと言って議論を始めていたアラブ世界を含む地域の人々にとって現実は変わってしまった。だが、これこそが西側の真実なのだ。これらの人々はその場から姿を消し、一言も話すことはなかった。つまり、完全な沈黙に苛まれ、彼らの手に落ちたのだ。
また、西側の政策の無益さ、そして西側政策の失敗も明らかにされた。つまり、今日、西側はあらゆる場所で戦争への向かっている。それはウクライナで始まり、軍事情勢はロシアとの紛争に至り、その結果は経済に及んだ。石油価格の高騰、急激なインフレ、投資の減退、経済の崩壊。彼らは急激な崩壊を回避するため、対症療法で対応しようとしているが、それによって国家の非介入を前提とする資本主義経済の根幹が揺らいだ。だが、国家はこの体制を担っており、自らの歴史的な過ちが立証されても、そのことを立証しようとはしない。共産主義体制はかれらの成功によって崩壊したというのはもちろんそれは幻想だ。共産主義は自らの体制と政策の失敗によって崩壊したのだ。いくつもの海峡が危険に晒されている。バーブ・エル・マンデブ海峡は今、イスラエルの眼前で閉ざされている。ホルムズ海峡も脅かされている。南シナ海、イラクの米軍基地も同じだ。大規模な包囲が始まった。世界の大部分が包囲されるのではなく、西側が包囲されるようになった。つまり、勢力分散を余儀なくされた状態にあるのだ。西側勢力は傲慢さに苛まれた。だが、実際のところ、我々今、西側諸国の力の限界に気づき始めており、西側諸国はこれまでの愚かな政策すべての代償を払い始めているのだ。
パレスチナの戦争が成果をもたらすことは立証された。抵抗運動もだ。テクノロジーは武器より重要で、教義はテロや犯罪の残忍さよりも強力だ。攻撃は防衛のための最善の手段だ。武力で奪われたものは、武力以外では取り返せない。敵を前にしてひれ伏すことは、選択肢ではなく、自殺行為だ。つまり、これらの原則は、私が述べた通り、ガザで最高潮に達した過去の戦争から我々が学んだ非常に大きな教訓だと考えている。それに先立って、最近の抵抗運動の勝利の礎となったさまざまな経験や過去の成果がなかったら。我々がこれらの教訓から恩恵を得ることはできなかったろう。
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中央委員会は、16日から次回の中央委員会拡大会合に出席する代表者を選出するための選挙の準備にかかる行程案を審議するための会合を開催しており、党中央指導部書記長を務めるアサド大統領が議長を務めている。
SANA(12月17日付)が伝えた。
AFP, December 18, 2023、ANHA, December 18, 2023、‘Inab Baladi, December 18, 2023、Reuters, December 18, 2023、SANA, December 18, 2023、SOHR, December 18, 2023などをもとに作成。
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