クナイトラ県で活動していた反体制組織のゴランの騎士旅団の創設者・司令官のマアーッズ・ナッサール氏が移住先のベネズエラの職場で何者かによって殺害された。
ナッサール氏は2018年にシリア南部がシリア政府の支配下に復帰したことを受けて、家族や他の司令官らとともにイスラエルに脱出、2年にわたって同国に滞在したが、イスラエル国籍の取得を拒否し、ベネズエラに移住していた。
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ゴランの騎士旅団は、2014年10月10日に結成された武装組織で、イスラエルの支援を受けていたが、2018年にシリア南部がシリア政府の支配下に復帰して以降、支援は停止されていた。
米『インターセプト』紙(2018年1月23日付)は、ゴランの騎士旅団が、イスラエルによるシリア南部での「安全地帯」設置構想に関与していたと暴露していた。
同紙の報道によると、この「安全地帯」は、幅40キロに達し、イスラエル占領下のゴラン高原からクナイトラ県、ダルアー県の奥地を網羅かたちで想定されており、イスラエルで活動する米国(Israeli-Amerian)のNGOがその設置に直接関与していた。
イスラエルは「安全地帯」を設置するための第1段階として、2016年から人道支援団体や武装組織関係者を通じて、反体制派が支配する地域へのアクセスの経路を確保、その見返りとして援助、イスラエル国内での医療提供、そして生活必需品の供給を行った。
イスラエルは続いて2017年夏から「第2段階」として、反体制派500人あまりを教練、これを「国境警備隊」として編成し、指揮所をビイル・アジャム村、ハミーディーヤ村、クナイトラ市に設置、ドゥルーズ派が多く住むハドル村から、当時反体制派の支配下にあったジュバーター・ハシャブ村に至る地域に配置しようとしていた。
また「安全地帯」では、反体制派の指導者、市民社会組織の指導者、NGO、保健関係者らが教育、保健、農業などのプロジェクトに携わることが想定されていた。
イスラエルは、「安全地帯」設置に向けた取り組みの一環として、2017年7月にシリア南部に代表団を派遣、当時米国とヨルダンが支援していたジャイドゥール旅団、アバービール軍、そしてゴランの騎士旅団の司令官らと会談を行った。
また、2017年9月にクナイトラ県のラフィーダ村で開催された会合では、ジャイドゥール旅団、ゴランの騎士、シリア革命家戦線などの地元の武装集団の司令官、宗教団体や医療団体の関係者らと会談し、資金や武器の供与などにおけるさらなる協力について議論がなされた。
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イナブ・バラディー(11月19日付)によると、ゴランの騎士のメンバーらは、司令官らがイスラエルに脱出した2018年、シリア政府との和解に応じ、占領下ゴラン高原に隣接する地域での活動を許され、現在に至っている。
AFP, November 19, 2024、ANHA, November 19, 2024、‘Inab Baladi, November 19, 2024、The Intercept, January 23, 2018、Reuters, November 19, 2024、SANA, November 19, 2024、SOHR, November 19, 2024などをもとに作成。
(C)青山弘之 All rights reserved.
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