ダーイシュ(イスラーム国)は週刊機関紙『ナバア』の社説でトランプ米大統領と会談したシャルア暫定大統領を厳しく批判(2025年5月16日)

ダーイシュ(イスラーム国)は週刊機関紙『ナバア』の社説で、ドナルド・トランプ米大統領と会談したアフマド・シャルア暫定大統領を厳しく批判した。
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— زين العابدين | Zain al-Abidin (@DeirEzzore) May 15, 2025

「トランプの門前で!」と題された社説の全訳は以下の通り。

「トランプのもとに直に至ることこそが唯一の方途である。なぜなら、米政権内部には数多くのイデオロギー主義者がおり、それを乗り越えるのは困難だからだ──そういう考えだ」。ある十字軍主義者はこう述べて、ジャウウラーニーが米国の満足を得て、トランプ的なステップを勝ち取ることを妨げる障害を表現した。それゆえ、解決策はトランプと通訳も隔てもなく直接会い、彼の門前でひれ伏し、その戸口でへりくだることであった! 革命という装いを纏った現代の偶像崇拝のなかで、その首謀者は、神聖なる月に啓示の地でこの卑屈な行為に至ったのだ!
灰色に染まった者たちはかねてより、イスラーム国と、ジャウラーニーおよびそれに類する者どもとの間の対立は、政治的な党派対立に過ぎず、方法論や信条によるものではないと喧伝してきた。今日、その音声、映像と音声が明らかにしたのは、対立の真実だ。それは、タウヒードとシルク(多神教)、イスラームと民主主義の対立なのだ! 奴らの主であるムハンマド、彼に祝福と平安あれ、と、奴らの主であるトランプの対立であり、トランプと会談し、満足を勝ち取ることは「歴史的偉業」となり、「革命家たち」は、米国の制裁が解除したとして、これを祝い、ウマウィーイーン広場で踊っている。だが、神の制裁を誰が解除できるというのか?!
トランプとジャウラーニーの会談は、広い構図において何ら不自然なものではない。パズルのピースは今も同じ筋書きのもとに収まっている。その筋書きとは、まずイランをシリアの舞台から排除し、続いてハイエナをアサドの後釜に据えることだ! トルコとアメリカの監督のもと、それは共同監督のもとで進められてきたイスラームに対する戦争と、国際的利益を守ることを核とした国際社会の取引のテーブルの上でのひとまとまりの動きに過ぎない。
政治的に見れば、サウジアラビアとカタールからの数十億ドル、トルコによる諸々の誓約がトランプを説得し、多忙な日程のなかでわずかばかりの時間を割いてジャウラーニーと会談し、彼に「偉大なチャンス」を与えたことは間違いない。湾岸の暴君どもが、自らの主である米国に、多くの魅力的な商業取引を捧げたのだ。だが、ジャウラーニーという「若造」がトランプに捧げ得るものとは何なのか? 彼が持っているのは、権力への執着と、裏切りと欺瞞という大いなる遺産だけだ!
革命家たち、そして彼らに与するジハード主義者たちは、ジャウラーニーの過去および将来の譲歩を、祖国の未来のための政治的取引だと正当化する。だが、それは、米国とユダヤを満足させることでしか成り得ないように見える。では、彼らは満足させられるのか? それは、ジャウラーニーが政権を握る何年も前に始まっていた失敗した取引だ。確かに、それによって、彼に大統領の座を与た。だが、彼の信仰と名誉を奪い取り、その名は今や、シャルア(法)と名誉に敵対する象徴と化してしまった。
方法論的に見て、ジャウラーニーはイブラーヒームの宗教を矛盾し、全力で敵対した。彼が、それを、ユダヤ国家の防御壁を強化し、彼らへの忠誠の絆をより強固にすることを目的とする「アブラハム合意」に置き換えようとするのも不思議ではない。これはまさに、トランプがジャウラーニーに突きつけた米国の要求に明確かつ露骨に現れていた。それは、正常化の名のもとにユダヤに忠誠を誓うこと、イスラーム国と戦うこと、ユーフラテス東部の牢獄に囚われているその捕虜たちをしっかりと拘束すること、である。これこそが、アメリカがトルコに対してジャウラーニーをアサドの後釜に据えることを許した根本なのだ。では、ジャウラーニーはユダヤの代理人として突き進むのか、あるいは国境警備協定で満足するのか?
少し戻って、ジャウラーニーがイラクにおけるイスラーム国の経験を揶揄し、自分はその再来にはなりたくないということを思い出してみよう。諸君らは、それが何を意味していたのかが今わかっただろうか? 彼が意図していたのは、それが持つもっとも輝かしく、純粋な忠誠、断絶、決裂だったのだ。彼が非難していたのは、純粋なるタウヒード、信者への忠誠、不信仰者との完全なる断絶以外の何ものでもなかった。これこそが、ジャウラーニーがイスラーム国から逃げ出し、トランプ、マクロン、(ムハンマド・)ビン・サルマーン、エルドアンらの懐に飛び込んでいった理由なのだ。「本当に信仰の代わりに不信心を選ぶ者は、公正な道から迷い去った者である」。
ジャウラーニーに突きつけられた米国の要求のなかには、シリア人以外の戦闘員たちを排除するというものがあった。彼らは長らく彼のもとでともに戦ってきたにもかかわらず、その裏切りから逃れることはできない。彼は最終的に、彼らのグループ──無所属であろうとなかろうと──を解体し、自らの利益のために使用してきた彼らのプロジェクトを終わらせようとしているのだ。我々は、この機会を利用して、これらの者たちに対して、至高なるアッラーに対する誠意ある呼びかけ、忠告、免責としてこう語りかけたい。イスラーム国の指導者たちは、何度も諸君らに忠告し、その忠告は偽りないものだった。だが、諸君らは背を向け、抗った。その結果、諸君らは、警告していた通りの代償を払うことになったのだ、と! この呼びかけは、諸君に対して開かれている。国際社会の満足を得るためにジャウウラーニーが切り捨てるカードに自らをしないで欲しい。諸君らのシャーム(シリア)への旅路がこのような結末で終わらせるようなこれほどの損失があるだろうか。悔い改めて戻るのだ。農村や郊外に広がる諸君らの背後に展開するイスラーム国の戦列に加わるのだ。扉を叩く者には、応えがある。
別の観点から見ると、この出来事は、背教者の政権が語る主権が幻想であることを反映している。国際的な支持と満足がなければ、それは何ものでもない! 今やジャウラーニーの文民国家は、トランプからの憐れみのまなざしと機会を待っているだけだ。これは、あらゆる尺度に照らしてみても、完全な隷属なのだ。
トランプとジャウラーニーの会談は、後者にジハード主義者としての過去に背教宣告を行う機会となり、多少の政治的報酬を引き出すことになるかもしれない。しかし、それだけでは到底十分とは言えず、ジャウラーニーとその仲間は、米国の圧力と脅迫のもとで、自らの忠誠を証明し続けなければならないのだ。
ジハード戦争においては、彼らが期待するあらゆる政治的恩恵は、ジハード戦争に対する戦争、あるいは彼らが実現しようとする不信仰者のための利益へと還元される。こうして、「裏切り」と「報酬」の間には、「パブロフと犬」の実験のような条件反射状況が生じる! それは、数々の実験によって従わせ、その行動を制御することに成功した者のやり方である。「心理学」の研究によれば、こうした方法に基づいて、多くの諜報機関が自らの戦術を設計してきたのだ。
東方の供犠たちがトランプの門前でひしめき合う一方で、十字軍どもは「ダービク」の丘に群がり、戦死者たちの遺骨を探している。彼らが生きている間に奉仕することに失敗したジャウウラーニーは、彼らが死に、遺骨となってから奉仕するに至ったのだ。こうして、現代のダービクは今も、不信者と偽善者たちの意に反して、イスラームと不信仰との戦いの舞台にあり続ける。ジハード戦士たちは、至高なるアッラーとその使徒の約束を確信しつつ、信仰に満ちた確かな足取りで進み続けている。
改めて、一連の出来事は、イスラーム国が各派の手法を評価する深い洞察力を有しているかを立証している。それは、感情、行き過ぎ、妥協とは程遠いものだ。だからこそ、カリフ制の兵士たちよ、アッラーが諸君らに授けた恩恵に対して大いに心から感謝せよ。諸君らに与えられたその導きに、諸君らに与えられたその書とスンナへの固い結びつきに。
これこそが、流血をもってしても祝福される勝利であり、成果なのだ。俗世とその飾りなどは消え去ってしまえばよい。諸君らのイスラームと、アッラーの道における諸君らの堅固さを保とう。なぜなら、朝には信者でありながら、夜には不信者となるような時代のなかで、多くの者がそこから逸脱し、現世の目的のために自らの宗教を売り渡しているからだ。
なぜならこの時代には、人が朝には信者であっても、夜には不信者となり、宗教を一時の世俗的利益と引き換えに売り渡すような時代なのだから。
最後に、暴君ジャウラーニーは、トランプとの会談後にこう表明した。シリアは平和の国である、と。しかし、預言者、彼の上に祝福と平安あれ、はこう言っている。そこは戦いの地である、と。諸君らはどちらの言葉を信じるのか?

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