サウジアラビア首脳とシリアのマムルーク国民安全保障会議議長がサウジアラビアで会談:サウジアラビアは、イラン、ヒズブッラーのシリアからの撤退を反体制派支援停止の条件として提示(2015年8月8日)

『ハヤート』(8月8日付)は、サウジアラビアの複数の高官筋の話として、サウジアラビア首脳が7月7日、シリアのアリー・マムルーク国民安全保障会議議長をジェッダに招いていたと報じた。

この「奇跡の会談」は、ロシアのヴラジミール・プーチン大統領とサウジアラビア国防大臣のムハンマド・ビン・サルマーン皇太子がサンクトペテルブルクで会談した約20日後に、ロシアの仲介により実現したという。

『ハヤート』が得た情報によると、マムルーク議長は、シリアのムハーバラートの高官1人と外務在外居住者省の高官1人を伴い、ジェッダを訪問したが、アサド大統領はこのことを承知していなかったという。

ジェッダを訪問したマムルーク議長に対して、ヒズブッラー、イラン、そしてイラン寄りのシーア派民兵が退去すれば、サウジアラビアは反体制派への支援を停止し、危機解決をシリア人に委ね、国連監視下で大統領選挙、国会選挙を進めることを提案したという。

これに対して、マムルーク議長は、ヒズブッラーへの対応についての議論が行われた会談の最後に、「検討の余地」を与えるよう答えたという。

なお、この会談には、ロシア使節もオブザーバーとして出席したという。

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なお『ハヤート』(8月8日付)の報道に先立って、シリア政府に近い立場をとるレバノン日刊紙『アフバール』(7月31日付)も、6月19日のプーチン大統領とムハンマド国防大臣の会談を受けるかたちで、マムルーク議長がロシアを訪問した、と伝え、この訪問を「奇跡の訪問」と称していた。

それによると、19日の会談で、プーチン大統領は、ムハンマド国防大臣に対して「シリア軍が現地で善戦し、サウジアラビアとトルコ以外にシリアで体制転換が起きることを望んでいる国は世界にいないなか、テロとの戦いでの協力が必要だ」との持論を説明、ムハンマド国防大臣もこれに理解を示し、シリアの治安機関幹部とサウジ首脳の会談案が浮上したという。

またプーチン大統領は29日にモスクワを訪問したワリード・ムアッリム外務在外居住者大臣との個別会談で、シリアの治安機関幹部とサウジ首脳の会談案を説明し、アサド大統領への同意を求めたという。

この段階で、会談案を承知していたシリア政府高官は、アサド大統領とムアッリム外務台がい居住大臣の2人だけで、プーチン大統領の提案を受けたアサド大統領はこれに同意し、マムルーク議長の派遣を決定したのだという。

その後、ロシアの諜報機関との調整を経て、マムルーク議長はロシアの特別機でダマスカス国際空港からサウジアラビアの首都リヤドに飛び、ムハンマド国防大臣らと会談したのだという。

なお、『アフバール』では、仲介国であるロシアが、サウジアラビアに配慮し、イランを排除したかたちでシリア・トルコ・サウジアラビア・ヨルダンによるダーイシュ(イスラーム国)掃討に向けた四カ国同盟の結成を提案していたこと、ムハンマド国防大臣がシリア政府との対立関係の主因がシリアとイランの同盟関係にあると述べたこと、などが紹介されているが、『ハヤート』の取材に応じたサウジアラビアの高官はこれを否定している。

また、会談場所、会談をアサド大統領が承知していたか否かについても両紙の間には食い違いが多い。

しかし、両紙とも、シリアの治安機関トップとサウジアラビア首脳の会談そのものについては事実として報道している。


AFP, August 7, 2015、al-Akhbar, July 31, 2015、AP, August 7, 2015、ARA News, August 7, 2015、Champress, August 7, 2015、al-Hayat, August 8, 2015、Iraqi News, August 7, 2015、Kull-na Shuraka’, August 7, 2015、al-Mada Press, August 7, 2015、Naharnet, August 7, 2015、NNA, August 7, 2015、Reuters, August 7, 2015、SANA, August 7, 2015、UPI, August 7, 2015などをもとに作成。

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