シリアに「アラブの春」が波及し、各地で抗議デモ発生(2011年3月15日)

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各地で抗議デモが発生

アフバール・シャルク(3月15日付)などは、シリア各地で自由、改革、汚職撲滅を求める抗議デモが発生し、数千人が参加した。

フェイスブックの「シリア革命2011」、「シリア怒りの日」などのページでは、3月15日12時からシリアのすべての都市、カナダ、米国、英国、フランス、ドイツ、オーストラリアで、自由、改革、腐敗撲滅を求める平和的デモを実施するよう呼びかけられていた。

「アラブの春」発生以来、シリアで反体制デモが発生するのはこれが初めて。

デモは治安当局の介入により矯正排除され、アフバール・シャルク(3月16日付)によると、各地での逮捕者は約300人に達した。

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「シリア革命2011」には約38,000人、「シリア怒りの日」には約12,000人によってフォローされている。

反体制活動家は、デモに先立って、携帯電話のSNSでデモへの参加を呼びかけるメッセージを数千通発信した。

だが、シリア・アラブ・テレビ(3月15日付)は、シリア国内でのデモに関する報道が偽報道だと断じ、メッセージ配信の背後にはイスラエルがおり、シリア人活動家はそれに促されるかたちで数千通のSNSを発信したと報じた。

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ダマスカス県ハミーディーヤ市場(ハミーディーヤ地区)およびハリーカ地区には、最大規模の約200人が集まった。

デモ参加者は「アッラー、シリア、自由のみ」、「シリア国民は馬鹿にされない」、「シリア人よ、どこにいる」、「自由なシリア、専制は出ていけ」、「平和的に、平和的に」といったシュプレヒコールを連呼した。

人権活動家筋がAFP(3月15日付)に明らかにしたところによると、「デモはウマイヤ・モスク前に集まった5人によって始められ、ハミーディーヤ市場(ハミーディーヤ地区)を通ってハリーカ地区に向かった」。

複数の消息筋によると、治安当局は当初、デモの解散を求めたが、まもなく数台のバスが到着し、アサド大統領を支持するカウンター・デモを開始し、反体制デモの強制排除に乗り出した。

その際、3人が逮捕され、携帯電話を押収された。

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アレッポ市のサアドゥッラー・ジャービリー広場(サアドゥッラー・ジャービリー地区)、ウマイヤ・モスク近くでも同様のデモが行われた。

サアドゥッラー・ジャービリー広場(サアドゥッラー・ジャービリー地区)のデモは、まもなく治安当局によって強制排除されたが、参加者はカビール・モスク近くに移動しデモを続けた。

複数の目撃者によると、シャイフ・マクスード地区、バーブ・ファラジュ地区では、晩に激しい銃声が聞こえたという。

またアイン・アラブ市でもデモが発生したが、治安当局が催涙ガスを発射しこれを強制排除した。

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複数の消息筋によると、ダルアー市および周辺の村々では、治安当局が若者たちの集会の摘発を行った。

ダルアー市ではサラーヤー広場で反体制デモが発生し、「シリア国民は馬鹿にされない」、「マフルーフよ、出て行け」と連呼した。

治安部隊はダルアー市と周辺の村々を結ぶ街道を閉鎖し、デモ拡大の抑止を試みた。

また軍・治安部隊は、ナワー市を包囲した。

こうしたなか、ダルアー県のアバーズィード部族は、政権打倒を呼びかける落書きをして逮捕された子息が釈放されない場合、デモを断行すると表明した。

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ダイル・ザウル県では、ダイル・ザウル市のバースィル広場で、ハサカ県ではカーミシュリー市のアンバル広場などで、同様のデモが発生した。

ダイル・ザウル県、ハサカ県では電話、インターネットが一時不通となった。

ラタキア県のラタキア市では、シャイフ・ダーヒル地区でデモが計画されたが、治安当局に阻止された。

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カイロ、キプロス、ベルリンのシリア大使館前でも反体制デモが発生した。

カイロの大使館前には数十人が集まり、「バッシャールを打倒して…、シリアに自由を」、「独裁者は出ていけ、出ていけ」、「思うように暮らしたい」などと書かれたプラカードを掲げて、「自由が来る…ハミーディーヤ市場(ハミーディーヤ地区)を解放して」、「自由よ、エジプトからシリアへ」、「国民は政権打倒を望む」などと連呼、非常事態令の解除、政治犯の釈放を求めた。

これに対して、カイロのシリア大使館現地スタッフらが街頭に出て、「バッシャールよ、貴方こそ安全と安定」「平和的でない、これはイスラエルの陰謀だ」と連呼し、反体制デモ参加者ともみ合いになった。

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反体制系サイトがサイバー攻撃を受ける

反体制系のウェブサイトと目されるスーリーユーン・ネット、クッルナー・シュラカーが何者かのサイバー攻撃を受けた。

反体制派の反応

3月16日に内務省前での政治犯家族による反体制デモを計画しているスハイル・アタースィー女史は、ジャズィーラ(3月15日付)やBBC(3月15日付)などの取材に応じ、各地でのデモに関して、突発的な要因によるものであり、デモ実施の日程などが予め宣言されることはないだろう、と述べた。

アタースィー女史は、デモがフェイスブックなどの呼びかけによって発生したというよりは、むしろ人々の恣意的な運動によるものだとの見方を示した。

アタースィー女史はまた、「シリア国民は、エジプトやチュニジアと同様、反体制勢力よりも先に行動に出た」としたうえで、「デモは今日突然組織された。我々がこのデモを組織したのではないが、その始まりは火花のようだった」と述べた。

さらに「今日デモを組織した自由を希求する人々が誰なのか我々は知らない…。約150人から200人が参加していた。3人の若い男女が逮捕されたが、我々は彼らがどうなったか今のところ分からない。デモは包囲され、逮捕が断行された」と付言した。

そのうえで、デモ参加者が「社会のあらゆる集団に属する人々から構成されていた。政権が宗派を分断するために行っているこの恐怖政治は徒労だった。彼らはすべての宗派から輩出されていた」と指摘した。

シリア政府の対応

アサド大統領はダマスカスを訪問したスペインのトリニダード・ヒメネス・ガルシア=エレーラ外務大臣と会談した。

SANA(3月15日付)などによると、会談でアサド大統領は、中東地域諸国への外国の軍事的介入に関して「問題を複雑にし、危険な結果をもたらす」と述べた。

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ファールーク・シャルア副大統領は定例の記者会見を行い、アラブ諸国における政変について、「1948年以来、アラブ諸国民のなかでフラストレーションがつもってきたことが原因」との見方を示した。

また、事態に対処するため「抜本的改革と期待されている改革のバランス」をとることが重要だと付言した。

AFP, March 15, 2011、Akhbar al-Sharq, March 14, 2011, March 15, 2011, March 16, 2011, March 18, 2011、Aljazeera.net, March 15, 2011、BBC, March 15, 2011、al-Hayat, March 16, 2011、Kull-na Shurakā’, March 17, 2011、al-Nahār, March 16, 2011、SANA, March 16, 2011などをもとに作成。

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