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反体制人権活動家のハイサム・マーリフ氏はロイター通信(6月21日付)に対して「体制が市民に対して殺戮と無差別逮捕を続けているこうした悲惨な状況下でどうして対話が行えようか」と述べ、アサド大統領の20日の演説を批判した。
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地元調整委員会のアーディル・ウスマーン報道官は、アサド大統領の20日の演説に関して、BBC(6月21日付)に対して「体制に多くを期待していない。なぜなら我々はその行動を見てきたからだ…。彼らは何よりもまず治安対策による問題解決を狙っている」と述べた。
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シリア人権委員会は、2011年3月半ばから6月11日までの抗議デモ弾圧などによる犠牲者が1,724人に上ると発表し、全員の氏名を公表した。
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シリア・クルド・イェキーティー党は声明を出し、アサド大統領の演説を「暴力停止に向けた実務的な措置を欠いている」と批判した。
アサド大統領が6月20日以前の犯罪を対象とした新たな恩赦(2011年政令第72号)を発令した。
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大統領府声明によると、アサド大統領は、イドリブ県マアッラト・ヌウマーン市住民の使節団と会談した。
アサド大統領は会談で、「生命の危険にさらされつつも、殺戮から市民を守ろうと決心した住民の大いなる勇気、崇高な愛国心」に敬意を表したという。
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SANA(6月21日付)によると、アーディル・サファル内閣は政党法準備制定委員会(ファールーク・アブー・シャーマート委員長)が作成した政党法案を発表し、国民に意見を寄せるようインターネットを通じて呼びかけた。
同法案は38条からなり、宗教政党、エスニック政党などを禁じているほか、公認申請にあたって、50人の発起人の署名、2,000人以上の党員、各県で党員が5%以上いること、などが条件として定められている。また、外国からの支援や武装の禁止などが明記されている。
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『ハヤート』(6月22日付)によると、国民対話委員会会合がファールーク・シャルア副大統領のもとで開催され、対話会合の日程などについての審議がなされた。
SANA(6月21日付)によると、ダマスカス県のウマウィーイーン広場で、アサド大統領を支持するデモが行われ、「数百万人」が参加した。
またダマスカス県以外でも、ヒムス県、アレッポ県、ラタキア県、ダイル・ザウル県、イドリブ県、ダルアー県の各所で同様のデモが行われ、SANAによると「数千人のシリア人が参加し…包括的改革計画を支持した」。
これに対し、反体制活動家らも各地で反体制デモを組織して対抗しようとした。
だが、『ハヤート』(6月22日付)は、複数の活動家の情報として、ヒムス市、ハマー市、マヤーディーン市(ダイル・ザウル県)でアサド政権支持者と反体制派が衝突、これに治安部隊が介入し、11人が死亡、複数が負傷したと伝えた。
これに関して、シリア人権国民機構のアンマール・カルビー代表は、「シャッビーハ」がヒムス市、ハマー市、マヤーディーン市で反体制デモの参加者に発砲したと主張した。
ロイター通信(6月21日付)は、マヤーディーン市住民の話として「どちらが(暴力行為を)始めたのか言うのは難しいが、軍の装甲兵員輸送車が反体制デモ参加者のなかに突入し、人々に発砲した。1人が死亡したことが確認され、7人が重傷を負っている」と伝えた。
またヒムス市の住民2人も、体制支持派の集会に対抗するために反体制デモを組織した人々が発砲されたと述べた。
一方、ダルアー県でも、複数の目撃者によると、治安部隊がダルアー市ダルアー・バラド地区で抗議行動を行う数千人を排除するために発砲した。
この抗議行動は、マハッタ地区での政権支持者による集会に対抗するかたちで行われたという。
またアレッポ県では、ロイター通信(6月21日付)が複数の目撃者や住民の情報として、アレッポ市でも治安部隊が展開し、市内の主要道路を封鎖したと伝えた。
さらに複数の人権活動家によると、アレッポ大学で学生数十人が逮捕され、またタッル・リフアト市のモスク前で反体制デモを行った複数の住民も逮捕された。
フランスのフランソワ・フィヨン首相は、シリア情勢に関して「安保理が長らく沈黙することはあり得ない」と述べた。
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ロシアのウラジーミル・プーチン首相は訪問先のパリで、ロシアがシリアへのいかなる介入にも反対しているとの立場を繰り返し、重要なのは暴力の停止と政治改革の実施であると明言した。
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国連の潘基文事務総長はアサド大統領に、自らが宣言した改革の「早急な実施」を呼びかけた。
潘事務総長は、改革が「実質的で信頼できるものでなければならない…。それは、変革、民主主義拡大という広範なプロセスのなかで行われなければならず、いかなる当時者も排除してはならない」と述べた。
AFP, June 21, 2011、Akhbar al-Sharq, June 21, 2011、June 24, 2011、al-Hayat, June 22, 2011、Kull-na Shuraka’, June 21, 2011、June 23, 2011、Naharnet,
June 21, 2011、Reuters, June 21, 2011、SANA, June 21, 2011などをもとに作成。
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