BBCアラビア語放送(9月30日付)は、アルメニアとの戦闘状態にあるアゼルバイジャンに派遣されたというシリア人へのチャットによるインタビュー記事を掲載した。
インタビューに応じたアブドゥッラー氏(仮名)は、9月23日にシリア北部からアゼルバイジャンの戦闘地域に派遣された数百人のなかの1人。
派遣されたシリア人の年齢は17歳から30歳、戦闘訓練を受けていないという。
アブドゥッラー氏は、シリア北部で暮らす多くの住民と同じく、困難な経済・生活状況に苦しんできた。
反体制組織の「シリア対応調整者」によると、同地の住民の81%は収入が月50米ドル以下で、78%が必需品すら十分購入できていないという。
アブドゥッラー氏は、自分と家族の生活のため、月収2,000米ドルでアゼルバイジャン行きを承諾したが、同地で何が彼を待ち構えていたかは承知していなかったという。
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アブドゥッラー氏はチャットで次のように綴った。
「国民軍ハムザ師団司令官のサイフ・アブー・バクルが先週、私に、アゼルバイジャンに行き、月2,000米ドルで国境の軍事拠点を守ろう、と提案してきた。まだ、戦闘は起きていなかった。私たちはシリア北部からフール・カラス村(アレッポ県北部)に移送された。そこで国民軍は私たちから持っていたお金、電話、衣服を取り上げた。我々が誰か特定されないようにするためだ」。
アブドゥッラー氏は家族と連絡するために電話を一度は取り返したが、家族といつ再会できるか分からないという。
アブドゥッラー氏は続けた。
「その後、我々はトルコ南部のガジアンテップ空港に連れて行かれ、そこから4時間かけて空路、イスタンブールに移動した。それから、アゼルバイジャン航空でアゼルバイジャンに移送された。私たちは自分たちが国境の軍事拠点に配備されていることに気づいた。そのときはまだ戦闘は起きていなかった。我々は戦闘訓練も受けていなかった」。
アブドゥッラー氏は、9月27日にアゼルバイジャンとアルメニアとの間で戦闘が発生した時のことをこう綴った。
「彼らは私たちを兵員輸送車に詰め込んだ。私たちはアゼルバイジャンの服を着せられた。各人が自分の武器(カラシニコフ)で武装した。ここにいるほとんどが、貧しい民間人で、お金が欲しかっただけだ。軍人ではない」。
「車が止まり、我々は発砲があって驚いた。敵がどこにいるかも分からなかった。敵が我々に砲撃してくると、若い連中は怖くて泣き始め、もといた場所に戻りたいと言った。それから、私たちの脇に砲弾が落ちて、シリア人4人が死に、3人が負傷した」。
アブドゥッラー氏によると、彼が駐留している軍事拠点でシリア人10人の遺体を目にし、70人が負傷したが、十分な治療を受けられていないという。
アブドゥッラー氏とのチャットは、通信状態が悪化してしばらく途絶えたが、その後、次のようなメッセージが送られてきたという。
「戦闘が始まってから、私たちはここにいる司令官にシリアに戻りたいと伝えようとした。だが、阻止された。前線に戦いに行かなければ長期間投獄すると脅迫された。我々はほぼ流罪の身だ」。
AFP, September 30, 2020、ANHA, September 30, 2020、al-Durar al-Shamiya, September 30, 2020、Reuters, September 30, 2020、SANA, September 30, 2020、SOHR, September 30, 2020などをもとに作成。
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