『ワタン』(10月8日付)は、リフアト・アサド元副大統領がシリアに帰国したと伝えた。
同紙のフェイスブックのアカウントは以下の通り伝えている。
フランスでの投獄を防ぐため、アサド大統領はリフアト・アサドの言動に対して寛大に対応、シリアへの帰国を認める。
リフアト・アサドは、欧州で反体制派として30年以上近く過ごした末に、昨日(10月7日)晩ダマスカスに戻った。
『ワタン』が得た情報によると、リフアト・アサドは昨日、ダマスカスに戻った。裁判所で判決が下され、スペインでも財産と資産を没収され、フランスでの投獄を回避するためである。
複数筋が『ワタン』に語ったところによると、バッシャール・アサド大統領は、リフアト・アサドが行ったことをすべてを許し、他のあらゆるシリア市民とまったく同じように、しかし厳しい規則のもとでシリアに戻ることを許した。彼がいかなる政治的、社会的役割を担うこともないだろう。
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リフアト・アサド氏の経歴は以下の通り。
- 1937年8月22日、ラタキア県カルダーハ市で生まれる。
- 1958年、シリア軍に入隊。
- 1966年2月のクーデタ(2月23日運動)で、治安部隊を率いてアミーン・ハーフィズ国家革命評議会議長とムハンマド・ウムラーン国防相を逮捕。
- 1969年、サラーフ・ジャディード少将の腹心で情報局長のアブドゥルカリーム・ジュンディー大佐を打倒。
- 1970年、革命防衛隊を設立。
- 1971年、バアス党地域指導部のメンバーに選出される。
- 1970年代半ばから1980年代初めにかけて、革命防衛隊を率いてシリア・ムスリム同胞団の武力弾圧を主導。
- 1983年11月、ハーフィズ・アサド大統領が心臓発作で倒れたのを機に権力掌握を画策。
- 1984年3月、アブドゥルハリーム・ハッダーム(当時外務大臣)、ズハイル・マシャーリカバアス党党地域指導部副書記長とともに副大統領(無任所)に就任。
- 1984年5月、側近や護衛とともに有効実務使節団としてモスクワを訪問(事実上の国外追放)。その後、ジュネーブを経てパリに移動。1985年と1992~1998年にシリアに一時帰国・滞在するも、それ以外はロンドン、パリ、マルベリャ(スペイン)などに滞在。
- 1984年11月、国家安全保障担当副大統領を任じられる。
- 1998年2月8日、ハーフィズ・アサド大統領は1998年政令第8号を発し、リファアト・アサドを副大統領職から解任。
- 2014年、フランス司法当局は、9000万ユーロ相当の資産購入にかかるマネー・ロンダリング、脱税、横領の容疑でリフアト・アサド氏を起訴。
- 2017年、スペイン司法当局はマネーロンダリングの捜査に関連して、リフアト・アサド氏の資産銀行口座を凍結。
- 2020年6月、パリの裁判所はリフアト・アサド氏に懲役4年の有罪判決を下すとともに、フランス国内の資産没収を命じた。
AFP, October 8, 2021、ANHA, October 8, 2021、al-Durar al-Shamiya, October 8, 2021、Reuters, October 8, 2021、SANA, October 8, 2021、SOHR, October 8, 2021などをもとに作成。
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