アサド大統領はアレッポ市のサハービー・ジャリール・アブドゥッラー・ブン・アッバース・モスクでイード・アル=アドハーの集団礼拝に参加:「歴史の都市であるアレッポとは今であり、未来を記している」(2022年7月9日)

アサド大統領は、アレッポ県アレッポ市のサハービー・ジャリール・アブドゥッラー・ブン・アッバース・モスクでイード・アル=アドハー(7月8日)の集団礼拝に参加した。

集団礼拝は、宗教関係省イスラーム法学評議会の評議員であるマフムード・アッカーム師の指導のもとに行われ、アサド大統領のほか、ムハンマド・アブドゥッサッタール・サイイド宗教関係大臣、イスラーム教法曹会関係者、市民らが参加した。

集団礼拝を終えたアサド大統領は、アレッポ市の住民らに対して以下のように述べた。

過去数年にわたり、アレッポ訪問を断念していたが、住民との連絡は絶えなかった。彼らは会うたびに私にこう言ってくれた。「アレッポはあなたに会いたくてたまらない。私たちはあなたにあいたくてたまらない」。私も会いたくてたまらないだけなら、アレッポに住んでいたいと答えていた。だが、責任ある地位にある者にとって、こうした困難な状況下、人々が苦難に苛まれ続けているなかで何かをもたらすのが義務だ。昨日(アレッポ市を)訪れたのは、国家が、長らく苦しんできたアレッポの市民に与えるべきものがあったからだ。それが前進するための一歩に過ぎなかったら、問題の解決策とはならない。だが、一連の問題を解決するための一歩になるだろう。
(アレッポに会いたくてたまらないという)思い、そしてアレッポと私の関係についていうと、私が何を言っても充分でなない。なぜなら、関係は、父が私を私の兄弟とともに初等教育を終えた1976年に(アレッポに)派遣して以来、45年も続いているからだ。この時の訪問は、子供だった私がダマスカスの外、つまりアレッポ市で初めて経験した休みだった。この時のことは覚えてないし、なぜだかそのことを気にしたこともなかった。私は優れた子供、あるいは優秀な生徒だったからだろうか? 航空士官学校に通う青年だったハーフィズ・アサド大統領のアレッポ市に対する愛を、息子たちに伝えたかったからだろうか、アレッポを幼い頃から愛している私の子供たちにしているように。

私はアレッポと愛に満ちた関係を築き、それは青年期を通じて育まれ、今日のようなかたちになった。大統領になってからの毎年の夏の休暇は海で、冬の休暇はアレッポ市で過ごした。だから、私とこの都市、そして「アレッポは私の目の奥にある」という私の言葉を覚えてくれているその住民との愛情について話すのであれば、こう言いたい。この愛はおそらく目の奥で始まり、心臓の奥で始まり、頭のなかで始まる。こうして始まり、育まれて、深い愛情になる時、それは血となる。なぜなら、血はすべての細胞をめぐるからだ。真の愛とは人体の一カ所に留まるものではない。すべての細胞に拡がるものだ。これが私とアレッポ住民の関係だ。

アレッポは歴史を通じて常に、その歴史、文明、住民の創意、愛国心において偉大な都市である。アレッポは同時に、戦争の標的であり、敵の正規軍、非正規軍、この地域、あるいは別の場所からやって来た手先たちが努力を結集させてきた。アレッポは偉大であるがゆえ、その住民はこの戦争を耐え抜き、対決することを決心した。戦いに勝利し、戦いの後に建設に従事し、建設という戦いにおいて勝利することを決心した。

この戦争を通じて、シリア人どうし、あるいはアレッポ市を愛する人どうしの関係は変化した。愛は新たな段階に移行し、アレッポは前に向かって歴史的に跳躍した。おそらく、歴史的な段階を上昇し、その住民は、偉大なる物語、忍耐と不屈の物語、自らの歴史や祖先、この都市が数千年にわたってもたらしたすべてにふさわしい愛国心の物語が記された。アレッポの住民が記したこの物語は、我々シリアの市民にとって、歴史の教訓であり、愛国心のなかの教訓である。

昨日、アレッポの多くの地区を訪れた。また、この戦争を通じてシリア国内のさまざまな地域を訪れた。これらの場所はいずれも、地理的な意味においてだけでなく、方法、思考、標的といった意味においても、テロリストの通り道になった場所だ。だが、その跡は振り払われるだけの埃であり、歴史のごみ箱、未来のごみ箱に捨てられるゴミに過ぎない。

我々は発電所を訪れ、西側、とりわけ米国の航空機がどのようにこれを破壊したのか、その後にテロリストがどのようにやって来て、地雷を敷設し、残された物を爆破し、シリアのどの場所であれ残った部品を使えないようにしたのかを見た。彼らはアレッポだけでなく、光と関係があるすべてを標的とした。

我々はタッル・ハミースの揚水ステーションに行って、彼らがどのように同じようなことをしたのか。、どのようにタドムル市を破壊したのかを見た。我々は彼らがどのようにアクサー・モスクを破壊しようとしているのかを見ている。我々は一つの方法論について話している。彼らがモスクや教会を破壊した時も事態は同じである。目的はこの都市の住民とその信仰を切り離すことにあった。だが、もちろんそんなことは不可能なのだ。

彼らが工場を破壊し、略奪をしたとき、彼らはアレッポの創意を抹殺できると考えていた。市場を破壊し、さまざまなサービスを破壊した時、彼らはアレッポの住民の祖国への信仰を抹殺し、彼らの心の希望を抹殺できると考えていた。だが、彼らは失敗した。なぜ、失敗したのか? それが歴史というものだからだ。

歴史とは、知識、出来事、経験、教訓の積み重ねだ。それが時代と歴史の違いだ。時代とは、多くのことが起きはするが、我々がそこから学びとることのない日付だ。しかし、歴史とは、たとえそれが1日であっても、我々は教訓を得ることができる。それこそが歴史であり、それこそが違いだ。だから、アレッポは時代の都市、UNESCOにおいて13000年という歳月を経たとされる古代都市ではない。歴史のなかで、我々がその古さを特定することは困難だが、アレッポ住民の経験を計ることはできる。しかし、我々はそれを一つの方法で計ることができる。それは、アレッポの住民がこの戦争を通じて行ってきたことによってだ。

我々はスークに行った。ご存知の通り、その多くの再建が始まっている。サクティーヤ第1スーク、ハーン・ハリール、そして今はサクティーヤ第2の再建に直接取りかかっており、近く、それ以外のスークにも再建される。どれだけの努力、資金を費やそうと、我々はこれを続けていく…。この戦争で起きたこと、とりわけアレッポで起きたのは、歴史の道筋、道のりからの逸脱に過ぎない。我々はこの道のりを正し、あるべき場所に戻す。この戦争で起きたのは、いくつかの石が破壊されただけで、我々はこれらの石を元の場所に戻す。アッラーがアレッポに創造したかたちに、あるいはおそらくは人類がもたらされた時のように、生活を元通りにするまで、戻し続ける。

アレッポは前に向かって歴史的な跳躍をした歴史的な都市であると言う時、我々は建設的にこういうことができる。アレッポの民は歴史を記してきた。シリアの民は歴史を記してきた。だが、実際のところ、誰も歴史を記してはいない。なぜなら、歴史とは過去であり、過去とは、誰かがそれを巻き戻して、何かを記すことなどできない過ぎ去った時だからだ。そのような概念なのだ。だが、歴史的事件が起きる時、歴史的な人物が現れる時、歴史的な子国民が登場する時、それが真に記すものは、現在であって、歴史ではない。だから、こう締めくくりたい。アレッポの民と、歴史の都市であるアレッポとは今現在であり、未来を記しているのである。明けましておめでとう。

SANA(7月9日付)が伝えた。








AFP, July 9, 2022、ANHA, July 9, 2022、al-Durar al-Shamiya, July 9, 2022、Reuters, July 9, 2022、SANA, July 9, 2022、SOHR, July 9, 2022などをもとに作成。

(C)青山弘之 All rights reserved.

SyriaArabSpring

Recent Posts