アサド大統領がロシア1チャンネルに単独インタビューに応じる:「我々はゼレンスキー大統領のピエロとしての側面を特に気に入っている。政治においても、時として暗い雰囲気を変えるためにピエロが必要だ」(2023年3月17日)

アサド大統領はロシアを公式訪問中(3月15~17日)にロシア1チャンネルの単独インタビューに応じ、その映像が18日に放映された。

インタビューは通訳を介してアラビア語で行われ、全文はSANA(https://www.sana.sy/?p=1859969)を通じて公開された。

インタビューでのアサド大統領の発言内容は以下の通り。

私が(ヴラジーミル・)プーチン大統領に初めて会ったのは2005年、つまり18年近く前のことだ。昨日は、当時話していた言葉と同じ言葉で話をした。なぜ世界は変わったか? 国際社会および地域において幾度となく変化が生じた。ロシア国内外、およびシリアの状況は、二つのことによっている。第1に、プーチン大統領と私の性格だ。我々は、私的な発言においても、公式の発言においても率直で明白な人間だ。だが、より重要な点があると考えている。各々がよって立つ文化的基盤とは何なのか? 植民地主義の文化、傲慢さとは縁遠く、他者を尊重するロシアの文化があると考えている。これは大衆の文化だ。この大衆の文化が政治行動に反映されるとき、関係は常に安定し、信頼と尊敬が生まれる。実際に即して言うと、我々は地理的にも経済的にも小さな国だが、歴史的な役割ゆえに、我々の地域において特別な重要性があるのだろう。とはいえ、我々は大国ではないが、ソ連と関わっていた時でさえ、1日たりとも、異なった国家と関わっていると感じたことはなかった。そこには文化の役割が隠されている…。西側諸国は、弱小国と関係を持とうとするとき、これらの国の利益を犠牲にしてでも、自らの要望に沿う従属国に変えようとする。これに対して、我々とロシア、あるは旧ソ連との関係は、友人を探そうとするものだ。友人として役に立とうとすれば、弱小国ではなく、強国にならねばならない。つまり、ロシアの論理と西側の論理は完全に相反するものであり、ここに、シリアと西側の関係と、シリアとロシアの関係の違いが隠されている。私とプーチン大統領との関係は、こうした大きなイメージ、今から約70年前からの古いイメージから理解できる。

彼ら(米国やNATO)は(シリアで)何をしてきたか? 彼らが行ってきたことは、人道主義の諸原則とは真逆で、偽りだ。西側の巧妙さとは、我々に様々な概念を与えたことにあると考えている。だが、彼らはこれらの概念に、自分たちの方法で内容を与えた。世界の大部分がこれらの概念を信用している。自由という概念は美しい概念だ。だが、自由は他人を殺す自由にもなり得る。自由を破壊し、悪しきことを行う自由にもなる。この美しい概念は、醜い内容を持ち得る。民主主義も同じだ。民主主義は多くの人々が国の決定に参加することだ。だが、彼らにとって、民主主義とは、彼らが押し付けたいネオ・リベラリズムにかかわる諸概念を受け入れる自由だけだ。彼らが望むことを受け入れることが民主主義だ。民主主義とは、あなたが彼らにとっての手先になった時に、あなたを民主的だと分類するためのものだ。つまり、西側が提起する概念とは偽りの概念だ。西側の政治は、嘘、偽りのうえに成り立っている。もっとも優れた西側諸国において、正直であるのなら、この政策から逸脱することになる。何よりもまず、この概念に時間を奪われてはならない。これらの概念を、西側とは異なる諸国民である我々にふさわしいかたちで定義しなければならない。西側は今日、多数派ではなく、少数派だ。世界の大多数の国は、西側ではない。なぜ、我々は西側に従属するのか、なぜ我々は自分たちの概念、利益、ビジョンに従わないのか? なぜ我々は西側に依拠して物事を計るのか、なぜ、西側が原典なのか? これは劣等感を表している。西側は野蛮だ。西側はどのように文明を築いたというのか? 600年前に発見したとして、アメリカ大陸の財産を盗み、この財産によって、テクノロジーを生み出し、諸国民を隷属させるためにそれを利用した。自分自身の財産で築いたのではない。600年を経た今も、同じことが行われている。我々は西側に従属するのか? それは誤りだ。世界では今、西側の政治が、人間性の破壊、文明の破壊しかもたらさないとの意識が高まっていると考えている。それは、人間性を破壊し、そうすることで、真の文化も破壊する、と。だから最初に言った。答えは質問のなかにある。彼らは殺戮と欺瞞を行っている。地震が発生したら、彼らにとって、軍事的な戦争に代えて、この地震をシリア国民に対する地政学的な戦争にしたてる好機となる。結果は一つだ。彼らは地震に憤りを感じておらず、喜んでいる。これこそが、率直に言わねばならない真実だ。

ロシアと西側の問題がウクライナの問題、あるいはクリミア半島の問題をもって生じたと考えるのは誤りだ。ロシアと西側との問題は、ピョートル大帝の時代から300年にわたって続いている。ロシアは、弱小国であることを求められている。これは確かだ。ロシアには西側に頼っている者もいる。ロシアが西側に譲歩すれば、楽になるだろうと考えている。だが、実際に何が起きたか? 第1次チェチェン戦争、第2次チェチェン戦争、西側の支援を受けたテロが起きた。西側はテロを支援して、ベスラン学校を襲撃させ、子どもたちを殺させた。劇場を襲撃させ、人質にとった。テロは今もロシアに侵入しようとしている。ロシア分割と弱体化が、300年にわたって西側が常にめざしてきたことだ。だが、300年経っても、教訓を得るには不十分だった。だから大きな問題となっている。同時に、我々シリアにとって、我々の地域を植民地とした西側諸国は、英国であれ、フランスであれ基本はシリアを占領してきた。今は米国はシリアの領土を占領している。彼らは何ら変わっていないし、政策も変わっていない。撤退しても彼らは変わっていないし、経済交渉においても変わっていない…。シリアに対する戦争は、西側が変わらないことを立証した…。では、我々は何をしなければならないか? 強くならねばならない、それだけだ。森のなかにいたとする。森の強者が弱者を食い物にする。国際法など存在しない。それは紙のうえにあるだけだ。国際法を守る機関もない。NATOはある。だが、NATOは国際法を守るツールか? そうではない。つまり、強くならなければ、誰も負けた理由を教えてくれない。我々が親切だったと彼らに言っても、誰も尊敬はしてくれない。強者の世界にいること、それが唯一の解決策だ。他の解決策があると言いたいのだが、そう言えば欺いたことになる。

我々はロシア軍がやってきた2015年以降に限って、話(ロシア軍をどう見ているか)を始めることはできない。我々とあなた方には60年という歳月のなかで共通の家族ができた。今、シリアの子どもたちの多くが、(ロシア人と)共通の父母を持っている。これらの家族が戦争のなかで居続けることは、近しい性格を共有していなかったら不可能だった。我々にはオリエントの民であることが共通している。ロシア正教会にはシリア正教会と歴史的関係がある…。互いに支え合ってきた。だから、共通の社会文化があり、それは無から生み出されたものではない…。もう一つ、70年以上に及ぶ両国の関係は、とりわけ軍事面においてこうした関係を強化してきた。ロシアの専門家はシリア国内の様々な組織において数十年にわたって存在してきた。また、こうした交流はロシア軍が2015年にやって来た時にも存在した。こうした関係が拡大したとしても何ら不思議ではなかった…。文化的な性格は通常こうした状況下でより似通ったものになる。日々の些細な問題の多くが文化の違いのなかで積み重なってはいくが、こうしたことが目に見えることはなかった。こうした点から、シリア国民にとって、もっとも重要なのが、他者に対して優越感を誇示しない穏健な国民であることだと見ていることが明らかだ。戦争が始まり、テロが拡散し、シリアの多くの家族、そして個人がテロによって命を落とすようなって以降に顕著なもう一つの点は、シリア国民にとって、ロシア軍の兵士がウクライナ戦争にも似た熾烈な戦争からシリアを救い出すべくやって来てくれたことだ。ウクライナ戦争においてはNATO、そしてその同盟国のすべてがロシアを敗北させようとしている。一方、シリアでは、同じ同盟国がテロリストを支援し、シリアの国家、国民を破棄しようとしてきた。違いは一つだけ、それは名前だ。シリアでは、彼らはアル=カーイダ、あるいはそこから派生したダーイシュ(イスラーム国)、ヌスラ(戦線)、ムスリム同胞団などだった。ウクライナでは、それはナチだ。原理は同じだ。過激派は同じだ。ナチとダーイシュは同じ場所で相まみえるのだ。

シリアで戦争が始まった時、多くのボランティア(義勇兵)らがシリアの国家を支援するためにやって来た。この経験が別の経験をもたらし、ボランティアの行為は自発的なもので、ボランティアがボランティアを連れてくることはあり得ない。自らやってくる。自発的な動機がなければならない。シリアのボランティアがウクライナでロシアの側に立って戦うために赴くのであれば、彼らも同じ方法で赴くことになるだろう。彼らは国家を経由することなく、政治的な決定、政治的な願望を伴わず、直接赴くだろう。多くのシリア人がこうした感情を抱いていると考えている。実際に赴いた者がいるかどうかを承知してはいない。我々には情報がない。だが、シリア国民の感情は、シリア軍に対する感情と同じく、(ロシアの)勝利への願望だと考えている。なぜなら、この戦争におけるロシアの勝利はシリアに二つの面で直接影響を与えるからだ。第1は、ロシアが友好国だという面からだ。友人が強ければ、自分も強くなる。第2は、国際情勢への反響という面では、現状は我々にとって悪い状態にある。この状態がロシアの勝利で変わるのなら、それは国際情勢の改善というかたちで我々にも良い影響を及ぼす。

いかなる人間にも、自分が正しいと考える行為を行う権利がある。また、こうした行動が否定的な影響をもたらしたり、シリアの国益に害を与えたりする行為でなければ、もちろん追及はしない。

彼ら(西側)は戦争前からこうした悪意にある方法を常に駆使してきた。悪意のある方法は、彼らの政策と同様に、その性格の一部でなのだ。ロシアとは特に関係はないが例をあげよう。関係が良好に思われた2008年に、私はフランスを訪れた。その時のシリアへの門戸解放の目的は、我々にイランを説得させ、欧州諸国内で売らんの濃縮を行わせるというものだった…。戦争下でも、彼らは、免責と引き換えに大統領職をあきらめるよう説得しようとしてきた。側近と財産を伴って行きたいと言うのなら、問題はない、財産は差し押さえないと言っていた…。彼らはこうした試みを行うのをだいぶ前からあきらめていると考えている。彼らはシリアが西側のやり口を理解していると承知していた。西側は我々を騙さないという。我々には西側との長い経験がある。彼らはあらゆる試みを断念し、連絡をとってくることはなくなった。その方がいい。

人は他人の影響を受け、影響される。一義的に家族、友人、妻、子供、きょうだいの影響を受けることは確実だ。家族どうし、夫婦が互いに支え合わなければ、いかなる人であれ、その行動に悪影響があることは間違いない。私は職業人であり、彼女(アスマー・アフラス夫人)も職業人だ。彼女はただの主婦ではない。だから、戦争のような困難な状況かにおいては、互いを支え合うことには課題を伴った。彼女が外出したきり、砲撃などによって戻らないかもしれない。互いを支え合い、信頼しようとする感情がなく、恐怖の感情だけなら、互いに悪影響を与えていたことは確実だ。信頼が培う相互関係があった。愛国的な仕事に従事している。恐怖は良い結果をもたらさない。恐怖は、自分を守ることはない。死ぬ者は死ぬ。我々は人として、運命を信じている。死ぬのであれば、その時に死ぬという運命なのだ…。もう一つは助け合いだ。家族どうしはどのように助け合うのか? もちろん、子供たちは戦争中は幼かった。彼女は第1に国を愛し、戦争という状況とそこで必要なものについての明確はビジョンを持ったシリア市民として非常に積極的に役割を果たしていた。こうした複雑な状況においても問題を深く捉えるビジョンを備えている。彼女は、対話や会合、さらにはさまざまな分野で戦争の悪影響に対処するために提起されたさまざまなアイデアに貢献することで、非常に重要な支えとして行動した。戦争はすべてに被害を与える。インフラ、経済、文化、社会のあらゆる側面に被害を与える。こうした分野で彼女ができることにはきりがなかった。彼女は積極的な役割を果たし、とりわけ地震発生に伴う現状においても、役割を果たしている。彼女は偉業をなしてきたことは確実だ。それはメディアに乗らないこともある。だが、それは重要なことではない。重要なのは、成果が達成され、彼女の役割は、私にとってあらゆる側面で助けになった。

シリアにいるすべてのテロリストは米国によって直接もたらされた。トルコを経由することもあるが、首謀者は米国だ。結局のところ、トルコはNATO加盟国で、米国の意思から逃れることはできない。役割の交代がプロセスとして行われるが、西側が留まることはない。なぜなら、テロは、西側諸国の軍隊の一つで、NATO軍と同義というのが真実だ。西側は巨大な抑止力が現れ、大敗を喫するまではこうした行為を止めることはない。だから、アフガニスタンでロシア、あるいはソ連に対して用いたのと同じテロを用いた。今はウクライナにおいてそれを利用し、その前はチェチェンで利用した…。今はシリアで利用されている。私が見るところ、今後も数年にわたって続くだろう。

もちろん、シリア軍には対峙する準備ができている。我々には経験がある。我々とテロとの関係は、鉄砲に対抗するための鉄砲の関係ではない。もっとも重要なのは、思想に対抗するための思想だ。ムスリム同胞団は、宗教を利用した最初の組織で、1950年代半ば、あるいはそれ以前…から宗教の名で暴力を衝動してきた。彼らはその時から暴力行為を始め、シリア国民にはこの数十年を通じて免疫力ができた。最大の抑止力がある。テロが思想を犯すことができなければ、その軍事行動は敗北する。だから、シリア軍に対する消耗戦を仕掛けている。だが、テロによってシリア軍を敗北させることはできない。トルコがテロを支援するために侵攻した時、イスラエルが介入した。だが、テロだけでは何もできないだろう。なぜか? 大衆のなかに温床を求めたものの、それが見つからずに、戦争に敗れたからだ。テロは米軍のヘリコプターを頼りにするようになり、ダーイシュがそうであるように、ヘリコプターに乗って転戦するようになった。あるはトルコとの国境に近い北部が起きているように、トルコ軍がテロリストを直接支援している。

エルドアンは同胞団だ。ムスリム同胞団に深く、そして公然と属している。彼はこの真実を隠し立てしようともしない。同胞団員、あるいは総じてムスリム同胞団がめざしていることは一つだけだ。権力を握り、そのために宗教を利用することだ。人々の間に愛を広め、社会改革のために宗教を利用することなどない。そうしたことには関心がない。同胞団の利益が第1なのだ。シリアで戦争が始まった時、オバマ政権下の米国からの指示があった。それは同胞団がアラブ世界の指導権を握る時が来たというものだ。なぜなら、世俗国家は米国が望むものを実現できず、諸国民を掌握し、権利を譲歩させることができず、リベラリズムへと牽引できず、米国が望むことを何もできないと考えていたからだ。同胞団の政府は、宗教の名のもとに統治を行う政府だ。米国のイメージでは、諸国民を掌握するより高い能力があった。もちろん、結果は失敗だった。なぜなら、アラブ諸国民は、そうは考えていなかったからだ。彼らは、真の意味での宗教とムスリム同胞団が提起している日和見主義的手法を区別いていた。こうしたことが生じ始めた時、同胞団員が、同胞団の利益に向かうことは当然のことだった。同胞団にとって私的な関係は意味がない。誠意や友情は価値がなく、それについて一瞬たりとも考えたことなどない。こうした人間は、日和見主義的な同胞団の方針に向かうための史上の利益と引き換えに、そうした関係の価値を無にしたのだ。同胞団員になるには、日和見的でなければならず、同胞団員でありつつ、誠実であることなどできない。

とはいえ、我々は治安レベル、国防大臣レベルでの対話を初めた。今は、外務大臣補レベルでの会談について議論している。それはおそらく外務大臣(会談)に至るだろう。それは我々と彼らの対話の詳細にかかっている。こうした状況においては、私的な感情と国益を区別しなければならない。国益がもっとも重要だ。相手が誰であれ、会談が行われることで、シリアの国益を実現し、戦争が終息し、流血が止むのであれば、我々がその方向に向かうのは当然だ。これは議論の余地がないことだ。怒り、あるいはそれ以外の誤った環状から始めることは許されない。

ピエロの性格を帯びた発言の一部を耳にするようになるまで、彼(ヴォロジミル・ゼレンスキー大統領)のことは知らなかった。我々はこうした側面を特に気に入っている。政治においても、時として暗い雰囲気を変えるためにピエロが必要だ。

ロシアにクリミアの返還を認めた国との意思疎通は不可能だ。例えば、私は2014年に、繋がりはすでに途絶えていたと考えている…。

化学兵器は、サッダーム・フサインが持っていたとされた兵器だ。だが、その後コリン・パウエルは謝罪した。トニー・ブレアもイラクに対する戦争と誤った決定の責任をとった。だが、パウエルもブレアも誰からも罰せられなかった。おそらく、米国の高官がいつか謝罪をして、シリアには化学兵器はなかったと言うだろう。ロシアがウクライナでも使用すると彼らが主張する計画を立てていた当の化学兵器はどこにあるか? だが、ロシアはこれに先立って、こうした計略があると発表した。これこそが西側のやり口だ。彼らは世界の国民のほとんどを、メディアを通じて掌握している。だから…作り話をでっちあげることは簡単なことだ。彼らにとって、世界は、ハリウッド映画のよなものだ。そしてハリウッド映画のなかに、あらゆる嘘が存在する。だが、映画を見ている時は、そこでの出来事のすべてが真実のように感じてしまう。映画館を出て、ようやっとそれらすべてがでっち上げだと気づくのだ。彼らにとっての政治生活も同じだ。なんでも可能なのだ。

まず、市民に何らかの問題がある時、その原因を特定する必要なく、ただ問題があると言うことができるというのが基本原則だ。なぜなら、市民には、充分な情報がないために原因を特定することは困難であるにもかかわらず、その問題を被ってしまえば、その代償を支払うことになるからだ。誰かが不平を表明すりこと、あるいは苦しむことを阻止することはできない…。もう一つ、我々は、どんな時でもシリアにおいて多くの問題があるということを否定したことはない。汚職にかかわる問題、組織における公平の欠如にかかわる問題などである。だから、私は大統領に就任したまず初めに、国家を発展させ、改革するプログラムを示した。改革に臨むという言うことは、大きな欠陥があることを認めているということだ。こうした欠陥は人々に影響を与える。まず第1に行わねばならないのは、問題があることを認めることだ。そして第2に、この問題を解決するために人々に参加してもらわねばならない。天性の才能や知識を持つ重要人物が祖国の問題を解決できるわけではない。政府がそれをできるわけでもない。数十人、あるいは数百人の一握りの高官もだ。人々の参加が必要だ。人々の参加こそが、問題解決の正しい行動だ。我々は透明性をもってこうした関係をよりどころにしている。間違いがあれば、間違いが存在すると言う。間違いがあると言うことは、いけないことではない。問題に対処しないこと、同じ間違いを繰り返すこと、間違いを擁護することこそが間違いだ。こうした方法は、我々国家、あるいは私と、国民の関係をより信頼に満ちたものにする。世界中が私個人に反対し、私をシリアに対する戦争の張本人として位置づけ、大統領だけでなく、国家そのものを崩壊に追い込もうとしているにもかかわらずだ。だが、こうした関係が信頼によって培われていないのなら、弁護をしてくれたり、寄り添ってくれたりする者はいないだろう。軍事的に守ってくれるということではない。論理、言語、言葉のことを言っている。シリア国民は、世界の諸国民の大部分と同じように愛国的な国民だ。それ以外の国民と同じ良い面と悪い面を持ち合わせている。私はその一員だ。この国民の一員でなく、国民と直接対話できなければ、大統領として振る舞うことはできない。これは私が常に行っていることだ。

 

AFP, March 17, 2023、ANHA, March 17, 2023、al-Durar al-Shamiya, March 17, 2023、Reuters, March 17, 2023、SANA, March 17, 2023、SOHR, March 17, 2023などをもとに作成。

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