ヌスラ戦線アミール、ジャウラーニー氏とは?(2014年7月5日)

タフリール・スーリー(7月5日付)は、シャームの民のヌスラ戦線の一大拠点であるダイル・ザウル県シュハイル市がダーイシュ(イスラーム国)の手に陥落したことを受け、ヌスラ戦線のアミール、アブー・ムハンマド・ジャウラーニー氏の詳細な経歴について公開した。

同サイトによると、ジャウラーニー氏の本名はウサーマ・ハッダーウィー、年齢は30歳で、シュハイル市出身だという。

ジャウラーニー氏はイラク戦争発生当時、ダマスカス大学で医学を学んでいたが、イラクでの戦闘に参加するために、兄弟(ヤフヤー)とともにイラクに潜入したという。

しかし、別のサイトによると、ジャウラーニー氏とともにイラクに潜入したのは、別の兄弟サーミル氏(イラクで戦死)、ヤフヤー氏は経済学士を取得したという。

ジャウラーニー氏は、兄弟が死亡後もイラクにとどまったが、アル=カーイダに参加した容疑で逮捕され、1年間に同国で投獄された。

その後、2011年末にシリアで混乱が増すなか、イラク・イスラーム国(当時)指導者のアブー・バクル・バグダーディー氏から、シリア国内の作戦の指揮を負かされ、ダイル・ザウル県のシュハイル市に戻り、別の兄弟のA・ハッダーウィー氏(本名不明)とともに活動を準備、2012年にダマスカス県カフルスーサ区で最初の爆弾テロを実行したという。

ヌスラ戦線による自爆テロのほとんどは、バグダーディー氏の親戚が実行犯だという。

その後、ヌスラ戦線は、シャリーア学者のアブー・マーリヤー・カフターニー氏(本名マイサラ・ジャッブーリー氏)の参加により勢力を伸張し、イドリブ県ビンニシュ市、ラッカ市に侵攻し、同地に拠点を構えた。

しかし、2013年にバグダーディー氏がイラク・シャーム・イスラーム国の結成を宣言し、ジャウラーニー氏に参加を求めると、両者の対立が表面化、ジャウラーニー氏はシュハイル市に移動した。

その後、ジャウラーニー氏はハサカ県マルカダ市での戦闘で負傷し、イドリブ県で治療を受けたという。

現在の居場所は不明。

「ジャウラーニー」(ゴラン高原出身者)という呼称を選んだ理由は定かでないが、ダイル・ザウル県出身者であることをシリア治安当局に知られることを避けるために、この呼称を選んだと思われるという。

al-Hayat, July 6, 2014、Tahrir Suri, July 5, 2014、UPI, July 5, 2014などをもとに作成。

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