アサド大統領が就任演説を行う:「国民意識をもって、買弁と反体制派を、革命とテロを、反逆と愛国心を区別する」「次の段階は生産増だ」「国民は意志と決意をもって経済を建設し、発展できる」「帰属とは、人種、宗教、教義、言語、共通の利益、共通の意志、歴史、地理によって限定される以上に広い」(2021年7月17日)

アサド大統領は首都ダマスカス郊外の人民宮殿での就任式に臨み、就任宣誓と就任演説を行った。

就任式は、新型コロナウイルス感染症対策として人民議会議事堂ではなく、人民宮殿で行われた。

式には、アスマー・アフラス大統領夫人、ナジャーフ・アッタール副大統領、ハムーダ・サッバーグ人民議会議長、フサイン・アルヌース首相、人民議会議員、閣僚のほか、政界、政党、軍、宗教界、メディア、科学、文化、スポーツ、芸術、社会活動などの分野の著名人、戦死者の遺族、戦傷者とその家族、優秀成績生徒・学生らが数百人が参列した。





公用車で会場に乗り付けたアサド大統領は、サッバーグ人民議会議長立ち合いのもと、憲法の規定に従って就任宣誓を行い、続いて就任演説を行った。

アサド大統領の就任演説(全文)は以下の通り:

みなさん、高貴なる人民議会議員、勇敢なる我らが武装部隊にして祖国の盾である軍の参列者のみなさん、負傷した英雄諸氏、勇壮さの源たる殉教者ご遺族、不屈の精神を持って行動し、率先して自らの祖国を、あらゆる場所、あらゆる方法で、自らの能力に応じて防衛した愛国者の出席者のみなさん、さらには幾世代もの学生に最大限の努力と施しを惜しまなかった教員のみなさん、私はあなた方の生徒の一人であり、今日ここに、畏敬と尊敬の念をもって立っています。

参列者のみなさん、親愛なる国民、不屈の国民よ、没落の時代にあっても確固として存在する祖国、崩壊と屈従の時代にあっても高貴であり続ける祖国に挨拶申し上げます。自らの祖国を自らの血で守り、心と魂を信じて祖国を担った国民に挨拶したい。なぜなら、自らの歴史的な責任をもって、信頼を維持し、誓約を守り、もっとも崇高な帰属意識、そして至上の国民統合を体現したからだ。世界に改めて、シリアが歴史のなかで叙事詩を作り出す運命を担っていることを示した。この叙事詩の1頁1頁を、真の名誉、誇り、尊厳、自由を学びたいというすべての人々が読むことになろう。あなた方はこの戦争中、自らの意識、愛国的な帰属をもって、自由への道のりを知る活力ある諸国民が、どれほど道のりが長く、困難であろうと、自由への途上で疲れることはないことを証明した。植民地主義者たちが数々の蛮行、脅威、そして多数の傭兵や雇われ人を用意しても、自らの権利を守りたいという決意を蔑んだり、失ったりすることがないことを証明した。あらゆる敵にとって、あなた方の姿勢は衝撃だった。あらゆる裏切り者にとって教訓だった。彼らは混乱によって我々の祖国がうち焼かれることを望んでいた。だが、祖国防衛に向けたあなた方の規律の胎内から、彼らの狙いを無に帰し、目標を奪う毒消しが生じた。

あなた方は改めて、憲法と祖国のための戦いにおいて一体性を示し、憲法を議論や交渉の余地のない最優先事項に位置づけた。なぜなら、憲法は、祖国において取り扱われるべき話題であり、国民が決するものである

彼らは、100年前に自らの先祖が行った分割を完成させるべく、分割しようとした。だが、あなた方は、彼らの幻想を抑え込み、祖国、そして在外居住地で国民統合を示すことで、宗派主義・人種主義的な内乱をもたらそうとした彼らの計略に哀れみにも似た弾丸を放った。あなた方は改めて、憲法と祖国のための戦いにおいて一体性を示し、憲法を議論や交渉の余地のない最優先事項に位置づけた。なぜなら、憲法は、祖国において取り扱われるべき主題であり、国民が決するものである。いかなる厳しい状況であっても、投票日に至るまでの数週間にわたって多くの国民が互いに影響を及ぼし合うさまに実に盛大なものだった。いくつもの都市、町、村で、個人、家族、部族が互いに影響を及ぼし合い、自らの祖国への帰属を誇り合った。我々が帰属していることを誇りに思っているこの祖国は、崇高な愛国心以外をもってしては表すことができない。祖国の存在、未来、安定にとって信任投票が持つ意味、その行方に対して深遠な愛国的意識を持つことなくしては解釈し得ない。

こうしたことは我ら国民にとって新しいことはではない。危機的段階において、国民が愛国的な進歩が生じることはこれが初めてではない。だが、こうしたことの繰り返しは、結果が繰り返されることを意味しない。なぜなら、結果は状況によって変わるからだ。当初、敵はテロに対する我々の恐怖心、解放を実現できないという我々の絶望に賭けていた。これに対して、今日、シリアの市民が、紐付きの一握りのドル、施しとして与えられた屈辱に満ちた糧と見返りに、自らの祖国や価値観を売り渡す傭兵に変貌することに賭けている。計画した目標を実現できるようにするため、時間にも賭けた。しばらくすれば、結果は彼らが想定し、依拠していたものとは逆になるはずだった。だが、実際に行ったのは無視し得ない衝撃だった。なぜなら、彼らの計算はどの部面においても誤っていたからだ。シリア人は自らの祖国においてますます挑戦的で強くなっていった。逃れた者たちは、祖国に反抗するカードになるはずだったが、国外で祖国を支える資産となり、必要な時に祖国のために自らを差し出した。こうした現象は、国民が国家に付与する国民的正統性を強めた。国民が国家に対して与えるものをだ。国家、憲法、祖国の正統性についての西側の首脳たちの発言はくだらないものだった。それは、この機会を憲法上の手続きから、戦争が始まった最初の数週間目から、我々の敵が固執してきた危険な提案を揺るがす政治行動へと変化させることができた。この時、彼らは、現行憲法を停止しするよう我々に説得し、混乱をもたらすような真空を作り出そうとした。それは、シリア人の反逆者たちを通じて行われることもあった。私は当時、こうした連中の何人かに会い、悪意あるこうした提案に、直接、あるいは複数のチャンネルを通じて仲介者が伝えてきたメッセージを介して、耳を傾けた。

こうした提案は、今日も続けられ、トルコの仲介、トルコの調停、あるいはトルコの側…あまり重要ではないが…によって任命した一部の手先を通じて今も取り組みがなされている。それは結局のところ、シリアを外国勢力の庇護のもとに置き、その国民を奴隷、動物にするのが狙いだ。こうした試みのすべては、国民からの一つのメッセージが行われることで消滅した。あなた方は、こうした政治的な障害を克服し、究極目標に到達できた。彼らには、国民の決定を乗り越えることはできなかった。なぜなら、国民こそが最強だからだ。国民の意志を乗り越えることはできない。なぜなら、それはもっとも高いものだからだ。

国民意識が我々の砦であり、これをもって、我々は真の概念と幻想を、買弁と反体制派を、革命とテロを、反逆と愛国心を区別する

我々はともに愛国的方程式とでも言うべきものを実現した。なぜなら、我々は多様性に富んだ国民だが、その立ち振る舞いは同質であり、その考えや方向性は自由で多様だが、その構造は確固としており、敵であっても同胞となれるが、強い愛国心を持ち、強く団結し、自らの尊厳を断固として防衛しようとするからだ。みなさん、こうした国民的、愛国的な意識が、我々の砦なのだ。我々が未来に目を向けるとき、眼前から靄を取り除くものだ。あらゆる困難に対抗、抵抗し、これを打ち負かすことができる力や能力の程度を計る基準であり、これをもって、我々は、祖国、国民としての不変部分と、個人として、あるいは状況に応じた可変部分を区別する。これをもって、我々は真の概念と幻想を、買弁と反体制派を、革命とテロを、反逆と愛国心を、国内改革と祖国を外国に売り渡すことを、紛争と侵略を、内戦と祖国防衛のための生存戦争を区別する。こうした概念の間にグレーゾーンはない。非常に明白で、厳密に区切られる線がある。近視眼、ヴィジョンの欠如がなければこれらを混同することはない。

幻想と真実を区別し、蜜から毒を取り除くこうした能力により、我々は憲法に基づく行事を愛国的で戦略的な政治行動へと移行させ、国民的合意、社会的調和、そして我々の主権と権利の保持といったより大きなメッセージを抱き、発信することができる。それは、我々に敵の計略を理解し、侵略の道筋を特定する能力を与えた。これに立ち向かい、その被害を抑える能力を与えた。みなさん、こうした能力は、無から生じるのではない。それは不変な部分から生じ、公理に基づくものだ。その公理とは、国民個々人の間で合意された公理であり、それは、こうした公理をめぐって交わされる言語によって示される自明の理である。それは、我々が物事を判断するときに典拠とする原典であり、それが存在することで、何らかの大義に向かった意見や判断が統合される。それがなければ、意見は割れ、判断は個人の気まぐれに従い、個人の理解に限定されるものとなる。分断が合意にとって代わり、矛盾が調和にとって代わり、人々は分裂し、社会は弱体化する。我々が戦争当初に、社会の一部においてはっきりと目にしたのがこれ、すなわち公理の欠如である。

就任演説の場で、我々が今後について話すと仮定しよう。なぜ、我々は10年前に後戻りするのだ。我々はみな、戦争当初に何が起きたか知っている。なぜなら、我々が過去に起きたことを分析せず、教訓を学ばなければ、未来という時間に進むだけになる。つまり、おそらく何年、何十年が経って、世代が交代しようと、我々はあらゆる問題を抱え、山積みにすることになる。いずれ今日よりも悪いかたちで爆発し、さらなる破壊が生じる。むろん、我々はみな、戦争当初に何が起きたか知っている。だが、戦争当初になぜそれが起きたのかはほとんど分析されてない。我々はこのトンネルからどう出ることができるかを常に話しているのだろうか。つまり、別の意味、より現実的な意味で、我々は問題をどのように解決するのか。問題の原因を分析しなければ、問題を解決はできないし、過去について分析しなければ、今日立ち止まって今後について話すこともできない。責任ある者が過去を理解していなければ、彼に未来について、そして未来についてのヴィジョンや理解を話すことを求めることもできない。もちろん、こうした問題について話すには、数週間、数か月を要し、さらなる分析がなされなければならないだろう。なぜなら、それは社会についての問題だからだ。この社会そのものが、わずかながらではなっても、不正の頂点から脱し、裏切りの頂点から脱した。この話題はこうしたことへの分析が必要だ。もちろん、話題を拡げるつもりはない。だが、我々は、未来のために要点となるような結論を得て、今後の段階を始めなければならない。そして、この要点によって我々は安心して未来に向かうことができる。それゆえ、公理を欠きたがゆえに、ヴィジョンを弱め、バランスを奪ってしまった社会の一部について話さねばならない。

我々は「みなが愛国者だ」という表題で、愛国主義に関する無料の証書をみなに配布している人のことを見聞き、読んだ。問題は意見の相違だという。施設の破壊、民間人の殺害、警察の暗殺、軍人の暗殺が意見の相違にかかわる問題で、それ以上でもなければ、それ以下でもなく、我々は心配しなくていいという。我々は、国家の暴力を拒否するといって、混乱や公共施設の破壊を正当化している者がいると耳にした。当時、この人物は、暴力を行使した国が原因であり、破壊行為はリアクションだと主張して、テロリストを正当化していた。この人物はまず、虚偽の現実について話していた。なぜなら、国家は率先して暴力を行使してなかったからだ。これ以上に危険なのは、この人物が、テロリストが暴力を続ける根拠を与えたことだ。この人物は、分断の言語、非道徳な言葉を受け入れ、それが民主的な行為で言論の自由だと考えた者、それが智だという姿勢をとった者、それが世知だと考えて曖昧な姿勢をとった者、それが門戸開放だと考えてひれ伏した者のことを話していた。

こうした人々の一部は善意でそうしていた。だが、公理を欠いており、思想的に侵されやすく、心理的に制圧されやすかった。こうした人の思想は散漫で、その考え方は迷い、逸脱した。祖国への愛着や熱意が持つ真の意味は失われ、知らず知らずのうちに偽りの意味へと置き換えられた。こうして、敵に干渉を促し、テロと混乱が広まるのを支援した。だから、シリアにおける我々の問題がテロだと言うだけは十分ではない。シリアにおける我々の問題の原因がテロをもたらす過激思想、過激思想やテロをもたらす狂信、あるいはこれらすべてと限られた思考をもたらす無知にあると言うだけでは不十分だ。もちろん、こういうことは正しく、一側面を言い得ている。だが、こうした社会の一部分に関して、私が意図しているのは、そのほとんどがこの手の資質を何ら持っておらず、むしろに彼らが完璧な人間であるとみなし得るような資質を持っているということだ。彼らにはそうした資質があるが、思想的・道徳的によって立つべきものを欠いているのだ。私が話しているよって立つべき根拠とは、個人とその周りの存在の関係、個人の祖国観、社会観、家族観、宗教観、文化、習慣、伝統に対する見方、ほかの文化への見方などを決定するものだ。こうした根拠を通じて、姿勢が決定されるのだが、それがなければ何が起こるだろう。こうした人、あるいはこうした市民の状況は、どこかの洋上に浮かぶ最新のボートのようだ。しかし、人工衛星とつながっているGPSは機能せず、海図もない。天候不順で星は観測できず、進むことは洋上で迷うことを意味する。我々に起こったのはこうしたことであり、その結果は戦争のなかで現れた。我々は、思考や意見をめぐる無秩序、曖昧さ、混乱、衝突を目にした。だから、未来について話すこともできなかった。こうした側面に対処しなければ、未来について安心することはできないのだ。

社会の安定は第一の公理である。社会の治安、個人の安全や利益に抵触するものは、理由や根拠がいかなるものであれ、そのすべてが完全に拒否される

社会の安定は第一の公理である。社会の治安、個人の安全や利益に抵触するものは、理由や根拠がいかなるものであれ、そのすべてが完全に拒否される。その価値、すなわち社会の価値、両親を敬うこと、能力、年齢、知識で勝る者を尊敬すること、社会的象徴を尊重すること、国民的象徴を尊敬すること、知識、そして学者を尊敬すること、生産者としての市民を尊敬すること、寛容、慈愛、善といった価値を持つこと、高度な文明の価値を持つこと。これらは戦争によって浸食されているのではない。戦争はこうした状況を明らかにした。だが、おそらくは、現代的な生活様式にかかわる様々な原因、「時代」にかかわる理由で、数十年にわたって浸食されてきたのだ。つまり、我々は、社会分析が必要な詳細について話している。だが、こうした価値観を持たねばならない。なぜなら、いかなる社会であれ、価値観を打ち立てることも持つことも、尊重することもなければ、安定した社会にはなれず、反映した社会にもなれないからだ。この言葉、とりわけこの一節で、道徳についての授業を行おうとしているのではない。最高の価値観や理想などについて演説しているのでもない。政治そのものについて、問題の核心について話しているのだ。なぜなら、我々は身を置いている危機の最大の原因は、価値観、道徳の欠如にあるからだ。それは真の原因ではなく、もっとも重要で、もっとも深い原因なのだ。

教義とは、社会の魂であり、それがなければ我々は人間性を失ってしまう。それは方位磁針であり、道徳だ。これを尊重することは社会の義務であり、それに抵触することも社会で禁じられるべきものだ。帰属。村、都市、宗教、民族主義への人間の帰属。これらの要素のすべてを基礎として、人間は社会への帰属を感じる。こうした帰属は、人間が自身の均衡を感じる基礎、つまり自分が普通の人間であると感じる基礎となっている。帰属を失った者は、国に対して何の役にも立たず、社会に対する自らの安全もない。

我々が問題の原因を知らないなら、あるいは同時に不屈の精神の理由を知らないのなら、それは、我々が教訓を学んでいないことになる。教訓を学ばなければ、未来に向かい、安心することはできない

土地とは存在、実在である。それゆえ、土地は放棄したり、妥協したりできないもなされない名誉のようだと言われてきた。上記のすべての公理、もちろんそれ以外にも公理はあるが、それらすべてはが祖国を形作る。最大の公理とは祖国である。だから、祖国はレッドラインだと常日頃から耳にすることがそもそも受け入れることができず、非論理的なのだ。祖国は抵触されてはならない。祖国は公理である。だが、我々は祖国にいたるそれ以外のすべての公理に抵触することはある。それこそが祖国への道であり、愛国主義への道だからだ。そしてそれがなければ、祖国は感情の表現に過ぎず、意味のない空疎なスローガンの表明に過ぎなくなる。では、なぜ私は、理論化から身を置きつつ、現実に根差して何度もこうした公理に言及するのか。私はいつでも現実に基づいて話をすることを好んでいる。なぜなら、こうした公理は、家族が一丸となって息子たちを送り出し、魂と体を祖国のための犠牲として差し出す動機となってきたからだ。こうした公理は、強固な愛国的・道徳的姿勢を、さまざまな状況下でさまざまな階層に属する多くのシリア人のなかに確立し、戦時下で自分自身や家族の生命や糧への直接の脅威にもかかわらず確固たるものとした。それはこの会場にいるすべての人々を包んでいる。あなた方は、祖国に寄り添った多くのシリア人とともに、この言葉の意味をもっともよく知っている。これこそが我々がよって立つ根拠であり、この戦争を通じて我々が身を置いてきた複雑な心理戦の影響から自らを守った盾だった。それこそがあらゆる賭けを実質的にとん挫させた。私がこの話題を強調するのはそのためだ。我々が問題の原因を知らないなら、あるいは同時に不屈の精神の理由を知らないのなら、それは、我々が教訓を学んでいないことになる。教訓を学ばなければ、未来に向かい、安心することはできない。

だから、これまで述べた真実。これまでに述べた言葉。国民が明確に示した方向性、戦争によらずしてさらに明確に示すようになっている方向性。それは今日、誰も変えることができない現実になっている。これらに基づいて、騙された者、祖国の崩壊に賭けた者、国家の衰退に賭けた者、彼らすべてに今一度繰り返し、祖国の庇護のもとに戻るよう呼びかけたい。なぜなら、賭けは失敗し、祖国が残ったからだ。

これらの者たちに繰り返し呼びかけたい。彼らに言いたい。彼ら一人一人にこう言いたい。あなたはあなたの家族に敵対するあなたの国の敵に利用されている。彼らがあなたを騙した革命とは幻想だ。あなたの後ろにいるという国民は蜃気楼だ。シリア人が身を置くもっとも過酷で危険な戦争でも、国民があなたの方法を納得できないというなら、ほかにできるものなどない。尊厳をめざしているというのなら、それはあなたの家族、国民に奉仕することのなかに。英雄になることを望むのなら、それはあなたの土地を守ることのなかにある。名誉を目指しているのであれば、それは祖国の破壊ではなく、建設のなかにある。あなたが唱道する自由を、西洋人のなかに見出すことはないだろう。その祖先は奴隷貿易を行い、その子孫は今日人種差別を行っている。オスマン人のなかにもない。その祖先はこの地域の文明と道徳を完全に破壊し、人種を根絶し、エスニシティを差別し、今日自らの暗黒の歴史をより醜いかたちで繰り返している。彼らにこう言いたい。過ちを撤回することは美徳だ。祖国こそが身を寄せる場所、庇護が与えられる場所だ。その国家はすべての国民のためにある。偉大なる価値を有する国民は、偉大な心を持っている。寛容なる者、その筆頭に挙げられるのは、殉教者の遺族だ。彼らは最初の数年間、進んで和解の門戸を開いた。この門戸は、今も国家、国民によって開かれ続けており、屈辱ではなく尊厳、隷従ではなく主権を望む者がいる限り、閉ざされていない。

為替レートを維持する戦いでは、能力があることが示された。だが、その能力を見極め、それをどう活用するかを知り、結果を実現するための正しい条件を整えることができる人が必要だ

みなさん、この十年半の戦争を通じて、我々の思いは多岐に及んだ。当初は、祖国の統一への願いと恐怖があった。今日は、残された土地を解放し、戦争が経済や暮らしに与えている影響に対処することがすべてとなっている。治安状況は今日、ほとんどの地域で安定した。我々の社会は統一を維持許可した。我々がこのような状況を目にするのなら、それは、我々は自らの能力への信念を失い、我々にもたらされた現実や幻想に身を屈服してしまっていたらもたらされなかったであろう。我々の軍を信じ、これを抱擁することが、治安を実現した。そしてそうすることで、時間がかかろうと解放は貫徹されることになろう。自分たち自身、自分たちの歴史、文化を信じることが我々の統合を強めることになる。こうした信念は、我々が置かれた状況のなかで不可能に近いものを実現した。この信念は、我々が今日、経済戦争に立ち向かい、その結果を利益へと転じるうえで必要なものだ。我々には確実にそれができる。それができると言っても、誇張しているのではない。私は誇張が好きではない。幻想ではなく、真実、そして現実を作り出したものを信じるということを意図して述べている。

為替レートを維持する戦いでは、能力があることが示された。だが、その能力を見極め、それをどう活用するかを知り、結果を実現するための正しい条件を整えることができる人が必要だ。投資部門においては、現実を反映した数字を精査するだけでいい。現在建設中の投資施設、あるいは砲撃や経済制裁のなかでも操業を続けた施設、戦時中でも操業を拡大し、現場担当者の意志、決意、愛国心を反映した施設の数などだ。我々のほとんどが知らない実際の数字を足早に例として挙げると、ダマスカス、ヒムス、アレッポにおける主要産業都市で現在操業し、生産を行っている工場の数は、2,000以上に達している。もちろん、これは、工業都市の外にあるそれ以外の工場を含んでいないし、小規模施設や手工業施設、いわゆる工業地域も含んでいない。一方、現在建設中の施設の数は工業都市内だけで3,000を超えている。生産工場3,000棟の話をしている。この数こそがもっとも重要だ。この数は簡単な質問に対する答えとなっているからだ。投資の可能性はあるかという質問だ。可能性がなければ、数字に目を向けることなどない。つまり、質問は可能性にかかわるものではなく、どのように数値を上げるかにかかわっている。どのように数値の上昇を加速させ、経済を改善し、生活状況を最短で改善するのかという問いである。

確実なのは、これらの施設などを担当している人々にかかわる質問だということだ。我々がそれ以外の小規模の施設について話す場合、その数は、十万以上になるかどうかはわからないが、数万に及ぶ。なぜなら、工場に限って質問をしているからで、作業場について質問はしてないからだ。正式に登録された作業場もあれば、登録されていない作業場などもある。しかし、確実なのは、これらの人々は、解決策を求めてSNSで時間を費やすことなどないということだ。彼らは、現場に行き、解決策を探し、それを見つけ、施設を建設し、生産を始めた。こうした真実の一部だけ見れば十分だろう。一部にしか言及していないが、内在的な能力を持ち、それに依拠できることを確認するため、こうした事実の一部を見るだけで十分なのだ。私のこの発言は、事態が良好であることを意味しない。そうは言っていない。我々はいつでも、事態が完全に良好なのか、悪い状態なのかという完全さを好んでいるのか。違う。事態は常に相対的だ。このことは、事態が良好であることを意味しないが、不可能ではないということは意味している。事態を良好にする可能性が強くあることを意味している。戦争や経済制裁よりも悪い投資環境はなく、いかなる投資も妨げる要因として、これら二つの概念より悪いものがないのなら、そして、それでも実効的な投資を阻止するものがないのなら、それは、我々を苛む後者の問題が我々にかかわっている。十分な意思があるか、現状を正しく読むことができるか、広範囲な共同参画ができるかにかかわっている。

もし、戦争や経済制裁が門戸を完全に閉ざさず、一部は閉鎖されていても開放されているのであれば、我々はそこを通ることができ、どのようにこの門戸を通り抜けるのかを知るだけで十分ではないか。障害は多々ある。現時点で最大の障害はレバノンの銀行でシリアの資産が凍結されていることだ。その額は数百億あると見込まれている。400億という人もいれば、700億という人もいる。いずれの数値も、我々のような規模の経済を停滞させるに十分だ。

資産を凍結し、経済への還流を抑え込むかたちであれ、これらの資金を密輸し、あるいは持ち出すことで、何年もかけてシリア・ポンドに圧力をかけ、その価値を下落させるかたちであれだ。こうした要因が大きな障害、困難な課題となっている。その解決は、レバノンの状況を改善することにかかっている。だが、それはまた、祖国を差し置いて自分勝手に考えてきた者にとって、未来のための教訓でもある。こうした者が損失を被ることで、祖国も損失を被った。これに続いて経済制裁に見舞われ、我々が基本的な必需品を確保することもできなくなってしまった。だが、それは締め付けの原因ではあったが、我々から生産手段や物資を奪うものではなかった。困難が作り出されただけだからだ。我々は、経済制裁の影響を徐々に緩和するための方法を発展させねばならない。我々はこれを実行し、ある程度成功してきた。我々は、我々がこれまでに駆使してきた方法、これから駆使する方法がどのようなものかは公表しないが、この取り組みを続けることになるだろう。何が原因かは皆が知っているところである。

次の段階は、生産増が掲げられねばならない。国家の役割はあらゆる分野において、投資のための門戸をより広く開放することだ

こうした障害に対処するため、行政手続が重要であり、我々はこれを発展させるべく積極的に取り組んでいる。合わせて、障害を取り除き、汚職を撲滅するための法整備を行っている。我々が行政手続きについて話すとき、それは幾千という法律、施行規則、決定、布告、告知、そして国家のこうした既存の形式のすべてにかかわっている。問題は数だけではない。問題、あるいは進歩の速度を遅くする原因は、場違いで、十分検討されていない言葉、明確でない一般的な言葉が、いかなる立法においても抜け穴を作り出し、この法律、あるいはこの立法の基本目的を損ねてしまうことだ。だから、この話題を我々は着実に推し進めつつも、時間が必要である。しかし、こうした障害そのものに対処することは、我々が実際の結果に触れることを意味しない。障害を取り除くことは必要だが、それによって、経済や生活状況の改善の基礎をなすとみなされている生産増が補われることはない。何も革新的なことを言っているのではない。これは経済における初歩だ。先ほど述べた通り、障害はさまざまな要因の一つであり、それに対処するには、管理、観察、イニシアチブ、集団行動、そして統合しなければならない多くの要素を必要としてる。だから、次の段階は、生産増が掲げられねばならない。国家の役割は、工業、観光、サービスといったあらゆる分野において、投資のための門戸をより広く開放することだ。もちろん、なかでも重要なのは農業であり、大規模、中規模、小規模といったさまざまな階層への投資が必要だ。投資環境を改善するために我々が取り組んできたののはこうしたことだ。

今年初め、二つの重要な法律が施行された。第1は、投資を全般的に奨励するもの、第2は、総規模プロジェクトを支援するものだ。40あまりの法律も施行され、生産物資、原材料、生産用品に関して、投資家の費用負担や税金を免除した。その目的は、劣悪な投資環境とされる戦時下において、投資家の負担を軽減することにある。労働と生産を奨励するこうした環境のもと、財政面、運営面で投資家にメリットが与えられ、資本を所有する者の投資が奨励され、資本を持たない者への融資が保証される。大規模投資家と小規模投資家の双方を同時に支援するものだ。重要なのはこの点だ。なぜなら、過去数十年にわたって、支援は常に大規模プロジェクトに対して行われてきたからだ。私が見る限り、それはシリア経済の大いなる弱点だが、一連の法律によって克服された。こうした環境のもと、低所得者と無所得者の生産部門への参入が奨励されている。この点は環境以上に重要なもので、経済サイクルにおける雇用機会の創出、新規資金と新規生産者の参入の手助けになり、我々は小規模プロジェクトから、中規模、大規模プロジェクトへと移行できるようになる。

投資の枠組みにおける次の段階は、代替エネルギーへの投資に焦点を当てることだ

投資の枠組みにおける次の段階は代替エネルギーへの投資に焦点を当てることだ。電力問題の解決策が我々みなにとって最優先課題だ。それは、我々の日々の生活に活力を与えるためだけではない。さまざまな投資を行うための活力を与えるためだ。なぜなら、大部分の投資は、最近の私の視察から明らかになったことだが、燃料ではなく、電力の問題に取り組んでいるからだ。電力を確保しなければ、投資は拡大できない。加えて、代替エネルギー発電への投資を増大させ、収益性を高めるため、我々は政策、あるいは立法によってこれを支援・促進し、民営部門、ないしは国営部門、あるいは官民合同事業による発電プロジェクトの立ち上げを目指さねばならない。ちょうど4~5日前、アドラー市の工業都市と民間部門に属する投資家多数により、最初の合同プロジェクトが立ち上げられた。イニシアチブは国家によってとられ、民間部門がこれに応じた。このプロジェクトの目標は、工業地区のための約100メガワット規模の発電を実現することだ。これは工業地区に資する一方、それ以外の住宅地区に電力を供給することにつながる。このプロジェクトの特徴は、(電力供給)地域を拡大できる点にある。当然、我々はまず、ほかの生産地域で同様のプロジェクトを多数実施し、おそらくはこれに続いて住宅地区に移行することになる。

次の段階は、トランスパレンシー(透明性)だ。サービスの自動化、インターネットを通じたサービスの提供、さらには電子決済サービスの実施。これらが一方で諸々の手続きを発展させることの本質にあるが、他方ではトランスパレンシーがその基礎となる。なぜなら、汚職や無駄を阻止し、正義を実現し、機会均等をもたらす。同時に、国家と市民にとって取引の透明性が増し、法の網を逃れることが抑止され、国家があらゆる取引を厳密に監督できるようになることで、公金の維持に大いに貢献する。我々は数年間にわたって、誤った租税について話してきた。国家が富を得るのではない。汚職、こうした問題は常に互いに結びついているのだが、それはトランスパレンシーがなければ解決できない。トランスパレンシーは手続きが自動化しなければ存在し得ない。今年初めに我々が着手したこの問題の起点において、そして、我々が昨年に開始した一部の措置において、トランスパレンシーは、組織にとっての明確な構造、幹部にとっての明確な権限、そして徹頭徹尾周知される厳格な手続きなのである。これが、市民はその結果をすぐに目にすることができない行政改革の本質なのだ。

次の段階は、時代に合った法律の近代化で、例外は必要な場合を除いて廃止されることになる

このことはいまだ進歩がないことを意味しない。だが、現段階における行政改革は、国家の中央集権的な構造に取り組んでいる。国家の中央集権は、市民とは直接関係はない。それゆえ、現段階における改革は、市民に影響を与えない。すでに述べた通り、進歩がないことは意味しない。良い進展はあるが、知っておかねばならない重要な点は、シリアの国家機関が国営部門だということだ。それは、非常に巨大な組織であることを意味している。つまり、改革が非常に複雑だということも意味している。だが、いずれにせよ、このプロジェクトは、高度に発展を遂げ、効率的で公正な政府機関にとっては不可欠な基礎をなしている。それはインフラなのだ。人が家のなかに入り、この家がすべての最新設備を備えていたとしても、電気と水がない、あるいは電気と水があっても、建物の基礎が劣悪で、最初の揺れで倒壊してしまうのなら、そうした家に住むことはそもそもできない。つまり、このプロジェクトは、近代的で望ましい国家にとってのインフラなのだ。

次の段階は、時代に合った法律の近代化で、例外は必要な場合を除いて廃止されることになる。だが、明確な規制と基準のもとで、特権が廃止され、正義が実現することになる。我々はこの問題について、2年弱前から取り組みを始め、前進を続けている。法律の数が多く、対応できるスタッフが少ないため、その動きはゆっくりとしたものだが、我々は止まることなく進み続けている。

次の段階は、汚職撲滅の継続と拡大だ。それは1日たりとも中断することなく、汚職に関与した人物の特定に役立つデータを充実させようすることで強化されてきた。データを充実させるというのは、一方で情報を充実させることを意味するが、他方で治安状況の改善を通じて国家機関の状態を改善し、汚職撲滅により注力できるようにすることでもある。このプロセスには今後も中断や停滞はなく、汚職に関与したいかなる人物であれ寛容に対処することもない。なぜなら、大きなギャップを埋めることが経済的、社会的、そして国民として必要だからである。

これまで話したすべての話題以外で、次の段階に残されている話題は意志以外にない。もちろん、これまでに言及したすべての話題は約束ではない。なぜなら、これらすべての話題は、生産に関するものから始まり、汚職に関する話題に至っているからだ。それらすべてに我々は着手している。だが、我々は就任演説を待って(次の)段階を開始したのではない。我々は方向性を定めている。つまり、我々はすべてのことを約束としてではなく、あらゆる状況において、そしてあらかじめ進むべき路線として忘れてはならないのである。意志という話題について、我々は誰に対しても約束はできない。そのことをみなで合意しておかねばならない。意志という話題は、国民的な話題であり、集団的な話題だ。意志とは、労働や生産を行いたいという意志だ。自らが望む結果を実現したいという意志があれば、その力をもって、あらゆるレベルの不満や現状追認は克服される。意志がなければ、それ以外のすべての話題において、望ましい結果がもたらされることはない。

国民は、もっとも困難な状況下でも、意志と決意をもって、確実に自らの経済を建設し、自らを発展させることができる

経済制裁は、自発的な能力に依拠することができれば、発展に向けた最大のチャンスとなる。我々は損失を和らげることで満足してはならない。利益を実現しなければならず、それは可能なのだ。我々には能力がある。解決策がない問題などない。だが、我々は解決策を探さねばならない。終わりが自然にやって来るのを待ち続けるのでなければ、終わりがない問題はない。だが、解決は容易ではないだろう。解決は代償なしにはもたらされないだろう。だが、我々が今日払っている代償によって、我々はその見返りを得ることになる。国民は、過酷な戦争を戦い、領土のほとんどを回復した。もっとも強大で豊かな国々に反抗して、街頭で、そして投票箱を通じて自らの憲法を実践した。こうした国民であれば、もっとも困難な状況下でも、意志と決意をもって、確実に自らの経済を建設し、自らを発展させることができる。

みなさん、我々は今日、対局をなす国々が争い合う激動の世界の一部をなしている。紛争は当事者のいずれかに有利なかたちで決着するまで、あるいは勢力均衡が生じるまで収まることはない。その時まで、我々の世界は、人間性や道徳が通じる余地のない密林なのだ。直接戦いが行われる戦争であれ、代理戦争、テロ支援、国家転覆、諸国民を飢えさせること。国境も原則もない戦場。我々はそのただ中にいる。そこから逃げたり、中立的になったりする余地はない。なかでももっとも深刻なのは心理戦だ。その目的は、諸国民の文化を破壊し、概念を再構成することで、彼らを飼いならすことにある。我々はこうした心理戦のなかで、その意識を飼いならされることも、アイデンティティを刷り込まれることも、帰属を奪われることもない国民であることを示した。古からの民は、仮想現実ではなく、生きた現実のなかで生き続けており、ペテン師のコンピュータでプログラミングされることも、偽りのウィルスで記憶を抹消されることも、サイバー空間上に仕掛けられた一銭の価値もない屈服の罠に落ちることもない。

現代の戦争の狙いは、領土ではなく人間だ。人間を打ち負かす者が、戦争に勝利する。だから、イスラエルは1948年にパレスチナを占領した時も戦争には勝利しなかった。一部のパレスチナ人、そして彼らに与する一部のアラブ人が、屈辱的な譲歩によって権利が回復されると考え、別のアラブ人が、抵抗は、原則を欠いた知識、前線拠点ではなくホテルから指導すること、塹壕ではなくテレビで行う戦い、敵を脅かすのではなく同胞を裏切ることだと考えたとき、イスラエルは勝利に近づいた。

抵抗は大いなる嘘で、その力は幻想で、それを抑えることも幻想で、その存在が負担だ。祖国の繁栄は祖国が屈服することのなかにある、祖国の独立は、祖国がそれ自身、その国民、歴史、周囲から独立することのなかにある。ほとんどの人がそう考えることに満足するとき、敵は勝利する。諸々の概念がひっくり返るとき、敵は勝利する。そしてここにおいて、シリアにも問題の一部が隠れている。その問題とは、戦争、そして価値の転覆の一因だった。だが、この転覆は、数十年にわたって西側が用いてきた諸々の概念を弄ぶことにかかわるものだった。非常に残念なことに、我々アラブ人は、この地域、あるいはアラブ世界よりも広い地域において、彼らとともに深みに向かって進み、社会の分裂と内戦ぼっ発という事態に至ってしまった。

帰属とは、人種、宗教、教義、言語、共通の利益、共通の意志、歴史、地理によって限定される以上に広いものだ

それゆえ、一連の概念を純粋に愛国的な枠組みのもとで統合せずに、未来、あるいは敵に対する抵抗について話すことはできない。シリアにおいて、民族的な帰属は占領国が画定する政治的境界線によって生じる、我々がそう考えたとき、我々は心理的にも思考的にも敗北することになろう。過去1世紀にわたって我々が口にした言葉について、子孫に詫びることこそ、我々がしなければならないことだ。なぜなら、このような軽率で表面的な考えに従えば、現在の国境線に基づいて我々が自らの帰属を決定すれば、それは正しいことになってしまう。アレッポ、モースル、ダルアー、ラムサー、ダマスカス、ベイルート、ヒムス、トリポリの関係は、幻想で、我々の想像の産物だということになってしまう。アラブ人としての帰属と現存するアラブ諸国政府への帰属を混同し、帰属にかかわるアラブ性(ウルーバ)と政治にかかわるアラブ性を区別せず、無意識にアラブ性を反逆と同義と位置付けるとき、我々は敗北する。あるいはアラブ性は、あらゆる思想や物語と同じように人間が作り出したもので、イデオロギーへと変容し、一部の政党によって採用され、もはや時代の要請に応えないがゆえに変わる運命にあると考えるとき、我々は敗北する。我々が忘れてはならないのは、人間の帰属は、自らの意志で決定できるような選択肢でも、自由に採用できる理論でもなく、生まれたときに最初に獲得され、その後自らが生きる社会とのかかわりの中で形成される真実だということだ。

帰属とは、人種、宗教、教義、言語、共通の利益、共通の意志、歴史、地理によって限定される以上に広いものだ。なぜなら、帰属とは、こうした要素のすべてが一堂に会する文明的かつ人間的な状態だからだ。これは我々のアラブ性の包括的かつ文明的な意味と内容においてもいえることで、社会が多様性を増すことでそれは豊かさを増し、過去に存在した幾多の文明的な構成集団が脈々と続き、現代の社会を構成するさまざまな構成集団と混在するさまを体現している。これによって、これらの構成集団は、融解することなく、統合された調和のとれた複合体となり、各々のアイデンティティが維持されたままに帰属が統合される。つまり、いかなる社会であれ、そしていかなる祖国であれ、呼称、一つの呼称が必要だ。それは、この呼称がこの社会のなかで暮らすいかなる構成集団にも抵触しないことが条件となる。宗教、人種、民族など、いずれの構成集団かは重要ではない。いかなる社会であれ一つの呼称が必要なのだ。この呼称は、構成集団が増すことで豊かさを増すのであって、その逆ではない。つまり、我々がアラブ・シリアというとき、それは、そこに暮らすアラブ人を指しているのはない。我々が言うところのアラブ性とは、いかなる構成集団を廃することも意味していない。その逆である。我々は、いかなる構成集団であれ、それがいなくなることで、このアラブ性の価値が減じ、このアラブ性が弱化し、我々にとっての価値と重要性を失うと考えている。だが、知識を欠いた一部の人は、シリアは多様であり、そのことは我々には多くの呼称があることを意味すると言うことがある。そうではない。いくつもの呼称があるということは、いくつもの祖国があるということだ。分割を意味する。だから、アラブ性について話すことは、我々が合意したり、対立したりする意見にかかわる問題ではない。この問題は、アラブ性を愛している、愛していない、気に入っている、気に入らないという好みの問題ではない。運命にかかわる問題だ。シリアの運命、アラブ地域の運命はこうした概念が左右されることはない。過去数十年にわたって行われてきたのは、この概念をアラブ市民の心のなか、そして豊かな構成要素を包摂するアラブ社会の心なかで、破壊することを狙っていた。乖離は政策で、我々の周囲で起きている混乱の一部に過ぎないと信じたとき、我々は敗北する。我々の周囲の問題が我々の問題と別ものだと考えるとき、我々は敗北する。これらの問題のなかで我々にとってもっとも身近なのがパレスチナ問題だ。パレスチナ人は我々の同胞で、彼らの大義や権利に対する我々の関与は確固たるもので、幾多の事件、状況、裏切り、偽善によっても変わることはない。それは、祖国への帰属、アラブ・シリア人としてのアイデンティティを維持することの模範を示したゴランの住民への我々の関与と切り離すことができず、彼らの存在は、同地が完全に解放されるまで、異国の侵略者たちの目を奪い続けるだろう。

残りの領土を解放するという問題が我々の視野に入っている。テロリストからの解放、彼らを支援するトルコ人と米国人からの解放だ。

みなさん、これまで述べてきたことのほかに、残りの領土を解放するという問題が我々の視野に入っている。テロリストからの解放、彼らを支援するトルコ人と米国人からの解放だ。過去数年にわたるさまざまな段階で解放プロセスを前進させることの狙いは、一方で希望する者たちに祖国の庇護のもとに復帰する余地を与え、他方で友好国が政治的な行動をとる機会を与えることにあった。こうした行動は、テロ支援者にこれまでの手法を断念させるよう納得させ、テロリストに占領地から撤退させ、流血と破壊を回避することが目的だった。こうした政策は多くの地域で満足いく結果をもたらしたが、一部では失敗に終わった。唯一の解決策は、我らが武装部隊が占領地に入り、テロを根絶し、民間の住民を解放し、法の支配を課しことだった。我々は今後もこの政策を続け、残りの領土の解放をめざす。我々は、トルコ人が去ること、米国人が欺瞞者であることを知っている。だが、我々は機会を逃さず、命をかけ、敵の嘘を反駁するために機会を利用する。また、イラン、ロシアといった友好国の役割にも信頼を寄せている。我々を支持してくれた両国は、戦争の行方と領土解放において大きな影響と利益をもたらしてくれた。加えて、ロシアと中国は、国際法を擁護するために国際社会の流れを変える役割を果たしてくれた。

我々は、憲法に基づく正統で道徳的な国家の義務が、占領者に対して祖国内のいかなる場所であれ、そこで行われる抵抗を、平和的なかたちをとろうが、武装闘争であろうが、支援することにあると明言したい

こうした話の流れなかで、北東部の名誉ある愛国的なシリア人に敬意を表することを忘れてはならない。彼らは、占領国米国に対峙し、これを放逐しようと試みている。武器を持たずに、その手先である傭兵と対決し、殉教者を出している。我々は、隣人だった彼らの一部がシリアのパスポートを所持し、トルコの侵略に抵抗する用意があると主張していたにもかかわらず、その前から弱々しく許しを請うて撤退したことを忘れない。彼らは今日、自らの監督下で、自らの土地、家のなかで、楽しく暮らすことで、祖国を二度にわたって悪しざまにした。一度目は、戦争が発生した最初の数年間において、愛国的な軍への支持を意図的に止めたとき、二度目はトルコの侵略から逃亡したとき。一度目が二度目を促した。いずれにおいても、彼らが侵略者のために道を開く基礎、そして道具となった。彼らは、主人であるアメリカが作り、演出した演劇の一部だった。米国が各当事者に正確に役割を与え、領内の配置、許容される発言の範囲、さらにはどの程度怒りや満足といった感情を表現するかも決めた。

我々はこの話の流れのなかで、憲法に基づく正統で道徳的な国家の義務が、占領者に対して祖国内のいかなる場所であれ、そこで行われる抵抗を、平和的なかたちをとろうが、武装闘争であろうが、支援することにあると明言したい。この義務は、領土が回復され、最後のテロリスト、最後の占領者が放逐されるまでの絶対的な義務であり、そこに考慮の余地はない。

解放や領土について話すにあたって、領土を守った者、誰が自らの血に賭けてそこに水をやり、誰が自らの魂をもってそこを浄化した者、身を粉にして新たな体を育んだ者に謝意を示したい。祖国の愛のために自らを育んだ者、自ら犠牲、利他主義、贖いの種を蒔いてくれた人に感謝したい。これらの家族は、最高の信頼と祖国を維持した人々なのだ。我々は彼らに寄り添わねばならない。なぜなら、彼らこそもっとも強く祖国を表明した人たちだからだ。彼らをあらゆる点で支援することが、愛国心の一つのかたちなのだ。

みなさん、私とあなた方の間に築かれた関係、我々がともに作り出した信頼は、次の世代のための路線であり、我々はこれをもって祖国を災難から守るものである。それは、すべての責任者にとっての教訓だ。個人としての成功は、市民全体の成功から生じるもので、市民から離れたところで生じない。個人の利益は公共の利益を通じて実現され、その逆ではない。国家の力は、祖国の中以外からはもたらされない。友好国の役割は支援することである。安定は治安ではなく、市民の安全から始まるそれは、市民を尊重し、社会のさまざまな階層が持つ多様な概念、伝統、信条か生み出される。我々の間にあるこうした関係は、確固たる社会的・国民的な基盤のうえに作り出されたことで、成功を収め、成果をもたらした。その基礎にあるのは、社会を構成する階層間の健全な相互関係だ。慈愛と尊敬に基づく相互関係だ。多様性は、それを高く評価する者にとっては、豊かで、美しく、それにふさわしくない者にとっては試練だ。我々がすべての他者を尊重するとき、我々は正しい。それぞれの集団が自分たちは正しく、それ以外は、概念、信条、生活様式が間違っていると考えるとき、我々は過ちを犯している。こうした国民的基盤は、祖国の民どうしの意見の相違を許すものだ。意見の相違の解決策は国境のなかにあり、兄弟どうし、国家機関を通じて実現する。こうした基盤が発展を伴う改革を促し、破壊を伴う変革を阻止する。国民的合意を維持しつつ社会的多様性を擁護する。あらゆる状況、さらにはあらゆる時代においても我々がこのこと、公理、祖国、社会、信条、帰属、価値観をしっかりと持ち続けること。これが安全の本質であり、安定の本質であり、勝利への道なのだ。

あなた方一人一人から私が感じ取っている慈愛と親愛が、私のなかで責任感を強めるものとなっている。また、他者のために行動し、彼らのために生活する者は、無制限の支援を受ける自らの行為がもたらす結果を目にすべきだとの念を私のなかで強めている。あなたがたの信頼は、私が正しい路線から逸脱したり、乖離したりするのを回避させるものだ。我々は今日、解放、建設、瓦礫からの再建に向けた道のりを貫徹する。栄光ある祖国の道を進み続ける。あなた方のすべて、兄弟姉妹、シリアの子供たちに敬意を表して挨拶したい。あなた方が体現したシリアへの偽りない帰属、課題に取り組み続け、それを阻止、排除しようとする輝かしい決意に対して。私は有望なる未来に目を向けている。私はあなた方をしっかりと見ている。決意と希望に満ちたあなた方の目を見ている。自らの道のりを照らす炎をそこから得ている。祖国全体を復興し、刷新されたシリアを取り戻し、再建し、再開発し、再び輝きを取り戻す復興のために私の執務を支えようとするあなた方の深い信念を感じている。

未来に向けて準備をしよう。希望をもって不満と戦おう。行動をもって怠慢と戦おう。さらなる建設、解放に向けて準備し、国民に笑顔を、祖国に美しさを与え続けよう。大きな希望を抱き、多くの行動、豊かな生産を続けよう。あなた方に平安、アッラーの憐れみと祝福があらんことを。

 

 



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AFP, July 17, 2021、ANHA, July 17, 2021、al-Durar al-Shamiya, July 17, 2021、Reuters, July 17, 2021、SANA, July 17, 2021、SOHR, July 17, 2021などをもとに作成。

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