トルコの実質占領下のアレッポ県アフリーン郡でアタテュルクが第一次大戦中の対英戦で使用した屋敷が発見される(2018年7月2日)

アナトリア通信(7月2日付)は、トルコの実質占領下にあるアレッポ県北西部のアフリーン郡ラージュー町で、ムスタファ・ケマル・アタテュルクがエルサレム防衛のための司令所として使用した屋敷が見つかったと伝えた。

ハタイ県ムスタファ・ケマル大学で歴史学を研究するスレイマン・ハテプオール博士によると、アタテュルクは第1次大戦中、エルサレム(パレスチナ)防衛のための軍事計画を策定するためにこの屋敷を使用したという。

ハテプオール博士によると「アタテゥルクはパレスチナの第7軍司令官に着任し、1918年10月にアレッポに入り、その後アフリーンに移動、オスマン軍部隊とともにクトマ駅に進駐した…。そこで、クルド人、アラブ人の民衆からなる抵抗ネットワークを構築し、予備部隊を編成、クトマでの英軍との戦闘で勝利を収めた」という。

地元消息筋によると、屋敷はアタテゥルクの滞在中にオスマン軍を支援した同地の名士の1人ハニーフ・アーガー氏が所有しており、1890年に建設された石造りの建物だという。

AFP, July 2, 2018、Anadolu Ajansı, July 2, 2018、ANHA, July 2, 2018、AP, July 2, 2018、al-Durar al-Shamiya, July 2, 2018、al-Hayat, July 3, 2018、Reuters, July 2, 2018、SANA, July 2, 2018、UPI, July 2, 2018などをもとに作成。

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