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ヒムス県では、シリア人権監視団や地元調整諸委員会などによると、ヒムス市が2日にわたる砲撃によって「ゴーストタウン」と化し、街は廃墟と化し、住民は姿を消した。人権活動家らによると、治安部隊の発砲で3人が殺害され、約115人が逮捕された。
シリア人権監視団によると、ヒムス市のバイヤーダ地区、同ダイル・バアルバ地区、そしてクサイル市で若者がそれぞれ1人、合計3人が殺害された。10月10日のダイル・バアルバ地区でのデモで負傷した市民1人が死亡した。
SANA(10月12日付)は、ヒムス市のバイヤーダ地区とハーリディーヤ地区での「武装テロ集団掃討作戦で」、指名手配者144人を逮捕し、大量の武器弾薬、化学薬品を押収したと報じた。またTNT爆弾が仕掛けられた車、軍の偽造ID、偽造紋章なども発見された。さらにヒムス国立病院内で爆発物を発見し、爆弾処理班が撤去した。
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アレッポ市では治安当局によって逮捕されていた市民1人が拷問で死亡した。
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『クッルナー・シュラカー』(10月11日付)は、ダマスカス大学医学部学生の証言として、学部内に監視カメラが設置されていると報じた。
大統領府声明によると、バッシャール・アサド大統領はフサイン・マジュリー元法務大臣を団長とするヨルダン使節団と会談したと発表した。
同声明によると、ヨルダン使節団は、シリアの安定を支持し、外国による内政干渉の試みを拒否するとの意思を示した。これに対してアサド大統領は「シリアがめざしているのは、アラブ人すべてがめざしているものであり、それは民族主義的プロジェクト、レジスタンスの思考である」と述べ、国内情勢に対して「より強く、予防的に」対処すると述べたという。
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『ワタン』(10月11日付)は、バアス党シリア地域のムハンマド・サイード・バヒーターン副書記長が、48時間以内にアサド大統領が憲法改正委員会を設置すると述べたと報じた。
同記事はまた、副書記長がトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相に関して、「アラブ人以上にアラブ・イスラームの指導者として振る舞い、アラブ人とイスラーム教徒を擁護しようとしてきた手法は、プロパガンダとして挫折した」と酷評し、またカタールに関しても「ダマスカス郊外県のドゥーマー市でさえカタールよりも大きいことを皆知っているが、そんな小国がリビアの空爆に参加し、戦費を支払っている」と非難したと続けた。
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SANA(10月11日付)は、選挙最高委員会が12月12日投票予定の統一地方選挙準備のために、各県の分科委員会の委員長を召集したと報じた。
同報道によると、選挙最高委員会は「選挙行程に関する各県の分科委員会での合意や提案をもとに、(統一地方選挙のための)特別なウェブサイトを設置し、選挙登録を済ませていない国民に可能な限り早急に投票用紙を配布するために内務省と調整を行うことを決定した」。また司法当局による選挙行程の[完全なる監督」によって、選挙の「公明性と民主制を保障するための必要なあらゆる措置を講じる」ことを強調した。
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ブサイナ・シャアバーン大統領府政治情報担当報道官は訪問先のマレーシア首都クアラルンプールにある外務省外交関係研究所で講演し、シリアが外国の圧力、メディアの攻撃、テロに曝されつつも改革を進めていると強調した。
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共和国ムフティーのアフマド・バドルッディーン・ハッスーン師は、ロバート・フォード米大使ほか西側諸国(フランス、トルコ、ドイツ、英国、カナダ、日本など)による弔問(イドリブ県で暗殺された末息子サーリヤ氏に対する弔問)を受けた。
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ダマスカス県の国連事務所前で市民が抗議の座り込みを行い、外国による内政干渉への拒否の姿勢を示した。
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『ガーディアン』(10月11日付)は、ダマスカス県内のアニーサ・マフルーフ氏(ハーフィズ・アサド前大統領の妻)の家に、アサド大統領、マーヒル・アサド大佐、ブシュラー・アサド女史が集まり、反体制デモについて議論し、現政権維持のために結束を強めていると報じた。
同報道は、アイマン・アブドゥンヌール氏(元バアス党員、反体制ジャーナリスト)やデイヴィッド・リーシュ氏(シリア研究者)などのコメントをもとに、アスマー・アフラス(アサド大統領の妻)が政策決定に参加していないこと、アースィフ・シャウカト副参謀長(中将、ブシュラー女史の夫)とアサド家との「微妙な関係」などについてまとめているが、アサド家の「家族会議」が実際に行われていることを示す根拠はまったく示していない。
http://www.guardian.co.uk/world/2011/oct/11/assads-syria-ruling-family?INTCMP=SRCH
ムハンマド・サルマーン元情報大臣が代表を務める国民民主イニシアチブは、元大臣、ジャマール・スライマーン氏(芸術家)、ジョルジート・アティーヤ氏ら41人のメンバーがアサド大統領と9月24日に会談し、民主的代議政体と市民国家への移行方法などに関する「共通のヴィジョン」を提示したと発表した。
これに対して、アサド大統領は歓迎の意を示したという。
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シリア人民解放変革戦線のカドリー・ジャミール代表はロシアのモスクワで記者会見を行い、「我々は、政府と反体制勢力の対話を妨害するような外国の干渉を阻止したロシアと中国の拒否権発動を歓迎している」と述べ、「我々は会合を重ねるなかで二つの点で意見が一致した:外国の干渉に反対、すべての紛争当事者による対話支持、という2点において」と付言した。
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ミシェル・キールー氏は訪問先のパリで記者会見を行い、「もし体制が国民を弾圧する政策を続ければ、外国の干渉を招くことになるだろう。すべての国が今日、シリア情勢に介入しており、シリアは国際紛争の主戦場になろうとしている」と警鐘をならした。
キールー氏は「シリアを破滅させる可能性のある」軍事干渉を拒否するとの姿勢を示しつつ、国際監視団の派遣などを通じた住民の「法的保護」を原則支持していると述べた。
一方、シリア国民評議会の発足に関して、「シリアの反体制運動統一に向けた前進」と述べつつ、「最終的な立場(シリア国民評議会への参加の是非)は、評議会が何をするかにかかっている。我々は評議会がすべての反体制勢力に手をさしのべ、いかなる意見も排除しないことを望む」と述べた。
キールー氏は国民民主変革諸勢力国民調整委員会の使節団の一員としてフランスを訪問した。またフランス訪問に先立って、スウェーデンのストックフォルムを訪れ、シリア国民評議会の会合に出席した。同使節団には、キールー氏の他、ファーイズ・サーラ氏が参加した。
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シリア国民評議会のブルハーン・ガルユーン議長は、フランスのアラン・ジュペ外務大臣と初めて公式にパリで会談した。
会談は「シリア、自由に向かって:告知と団結の夕べ」と題されたパーティーに合わせて行われ、評議会のバスマ・カドマーニー報道官も出席した。
またパーティーには、リオネル・ジョスパン元仏首相、フランスの複数の国会議員、駐ブリュッセル・パレスチナ大使、駐パリ・パレスチナ大使、駐UNESCO・パレスチナ大使も出席していた。なおシリア国内からはミシェル・キールー氏ら国民民主変革諸勢力国民調整委員会のメンバー複数がパリを訪問した。
会談に先立ってジュペ外務大臣は「私は(ガルユーン)議長とカドマーニー報道官の招きで、自由と基本的人権を求めて平和的に闘争するシリア国民へのフランスの支持を表明するためにここに来た」と述べつつ、シリア国民評議会の承認に関しては「議題に上っていない。なぜなら、シリア国民評議会がそのように求めていないから」と慎重な態度を示した。
一方、ガルユーン議長は、パリでLBCのインタビューに応じ、そのなかで、「(アサド大統領が)自らの過ちを精算せずに地位を追われれば、他の罪人と同じ運命をたどるだろう…。彼は今や罪人だ。数万のシリア人の殺戮・逮捕命令を下した第一の責任者だからだ…。どのようにしてこの罪を免れられるのか…?免れえないだろう」としたうえで、「バッシャールとの交渉はない、専制体制とのいかなる関係正常化もない…。シリア国民は(アサド政権による)この改革が空疎な言葉に過ぎないことを理解している」と述べた。
また外国の軍事干渉に関しては「我々は軍事干渉を求めることは決してないだろう…。NATOの介入ではなく民間人の保護のために全力を尽くす」と述べた。
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クルド民族主義政党・組織がシリア・クルド国民運動諸政党の名で声明を出し、カーミシュリー市でのミシュアル・タンムー氏葬儀に対する発砲(2人が死亡)を非難し、民主的変革、自由と民主主義の実現を改めて求めた。
中国外交部の劉為民報道官は、「我々はシリア政府が改革に関する約束を履行するべく早急に行動しなければならないと考えている…。またシリアのすべての当事者は政治的関係正常化のプロセスに参加しなければならない」と述べた。
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クウェートのムハンマド・スバーフ外務大臣は、記者会見で、アラブ諸国の外相がシリア問題をめぐって会談を予定しており、現在日程調整中である、と述べた。
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「エジプトのための民主同盟」はシリア国民評議会をシリア国民の代表として承認することを決定した。
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イスラーム協力機構のエクメレッディン・イフサンオール事務局長は声明でシリア情勢における「軍事的衝突の激化」に警鐘をならしつつ、外国の介入を拒否するとの姿勢を明示した。
AFP, October 11, 2011、Akhbar al-Sharq, October 11, 2011、Damas Post, , October 11, 2011、DP-News, October 11, 2011、The Guardian, October 11, 2011、al-Hayat, October 12, 2011、Kull-na Shuraka’, October 11, 2011、Reuters, October
11, 2011、SANA, October 11, 2011, October 12, 2011、al-Waṭan, October 11, 2011などをもとに作成。
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