アサド大統領はバアス党中央委員会拡大会合で演説:「祖国が直面している最大の脅威はネオ・ナチ、ネオ・リベラリズム、宗教過激主義といったイデオロギー戦争であり、思想やイデオロギーなくして、それに対抗することはできない」(2024年5月4日)

バアス党の中央委員会拡大会合がダマスカス郊外県アクラバー町にある会議宮殿で開催され、党中央指導部書記長のアサド大統領が各支部、支局で選出された代表を前に演説を行った。



アサド大統領は演説のなかで、祖国が直面している最大の脅威はネオ・ナチ、ネオ・リベラリズム、宗教過激主義といったイデオロギー戦争であり、思想やイデオロギーなくして、それに対抗することはできないと述べるとともに、イデオロギー政党が今日果たす役割は、戦争が文化的・イデオロギー的性格を持つなかで重要性を増していると指摘した。

また、バアス党にとって、社会主義とは社会的構成であり、今日、自分たちが実現し、現状に対応するのに相応しい社会主義のモデルがどのようなものかを定義し、自らが優先事項と考える領域、とりわけ経済分野において前進し、ブレークスルーを起こさねばならないと強調した。

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アサド大統領の演説での発言は以下の通り。

同志男女諸君、あなた方に歓迎と祝福の意を表する。また、この選挙での当選者、そしてすべての参加者を祝福したい。我々が期待したその肯定的諸側面、そして我々にとって教訓となるその否定的諸側面は、間違いなく、党の発展の道のりに大きな付加価値を付与するものだ。それは、今後の段階において、議論、検討され、関連する規則に修正が施される主題となるだろう。
確かに、今回の選挙は初めてではない。何年か前にも我々は選挙を戦った。だが、今回の選挙は、とくに詳細と規則、そしてそれに伴う熱意、さらには我々が目にした大きな勢いという点で、誇張なしに、党の歴史における真の分岐点になると言うことができる。我々がこの数ヵ月間目にしてきたものが、結党以来、そしてシリアが独立以来歩んできた80年弱の時間のなかで、類を見ないものだったからだ。この80年弱の間に、党は政治の部隊における主役となった。結党以来、とりわけバグダード条約機構に対峙した1950年代、ムスリム同胞団と対峙した当時、そしてエジプトとの統合において、党はすでに政治の主役であり、その原動力だった。その後、(エジプトとの)分離に対峙し、1963年3月8日の革命に至るまで、そしてその後の矯正運動後の段階、さらには確固たる(党の)インフラを確立し、1970年代末から1980年代初めにかけてムスリム同胞団と再び対決し、現下の戦争に至った。党は武装部隊(軍)のために殉教者を捧げ、これを育んできた。もちろん、1980年代のムスリム同胞団(との対決の)段階においても、党は多大な殉教者と犠牲を捧げた。つまり、党の歴史と役割をシリアの歴史と分かつことは困難なのだ。これが真実だ。だが、このことはすべてのバアス党員にとって、特権ではなく責務なのだ。シリアが経験してきた大いなる変化をさらに大いなるものにするための責務なのだ。シリアが独立以降の歴史のなかで経験してきた節目節目と同様に重要なのだ。
歴史を通じてイデオロギー政党であり続けてきた我々の党は、敵にとって真の問題であった。すべてのイデオロギーは、社会の統合、社会の強靭化、社会の強化、祖国防衛を目的とする。このことが敵にとって問題であることは自明だ。つまり、祖国が直面する最大の脅威は、ネオ・ナチ、ネオ・リベラリズム、宗教過激主義といったイデオロギー戦争なのだ。このイデオロギー戦争に、思想、イデオロギーなくして、我々は対峙できない。経済戦争であれ、テロ戦争であれ、経済によって飢餓をもたらしたり、テロによって殺戮を行ったりすることを必ずしも目指してはいない。狙いは、時間の積み重ねのなかで、イデオロギー、教義にとって代わるような何らかのイデオロギー、あるいはそれに類するものへと変貌し、権利を譲歩させようとする絶望の文化に至ることだ。つまり、こうした状況を踏まえた場合、シリアの状況のみに限定しているのではなく、世界的な状況について言っている。そこでは、世界中が文化的・イデオロギー的性格を有した戦争を目の当たりにしており、イデオロギー政党はこれまで以上に重要性を増している。30年前に主張されたのとは異なり、イデオロギーの時代は終わっておらず、イデオロギー政党の時代も終わってはいない。こうした主張は正しくない。我々は世界でもっとも高いイデオロギー的段階のなかで生きている。なぜなら、過激主義はイデオロギーであり、ネオ・リベラリズムはイデオロギーであり、西側が様々なタイトルで呼びかける服従もイデオロギーだからだ。シリアのバアス党を筆頭とするイデオロギー政党の役割は、シリアが辿ってきたすべての段階において、またバアス党結党から77年が経過し、シリアに対するテロ戦争が発生してから10年が経った特にこの今において、これまでにも増して重要性を増している。疑う余地なく、バアス党は今も、組織面、イデオロギー面で強力だ。だが、このことは、75年にわたるその歴史を通じて蓄積された否定的側面が少ないことを意味しない。それは、発展がなかったこと、蓄積した過ちへの対処がなされなかったことが理由ではない。我々が恐れているのは、敵がどれだけ増え、凶暴なかたちで立ち現われようとも、敵ではない、そう考えている。そうではなく、我々が真に恐れているのは、こうした過ちや蓄積への対応がなされないことである。なぜなら、それは党の組織やイデオロギーを崩壊させかねないものだからだ。発展について話し、発展のプロセスを進める時、分析を好む者がしばしば言うように、そうしたことを必要とする外的な状況があるからではない。あるいは、そうした圧力があるからでもない。西側は長年にあきらめてきた。だが、我々が発展しているのは、社会が常に進歩を続け、社会が常にダイナミックな状態にあり、同じ場所にけっして留まろうとしないなかで、党や祖国が発展を当然として必要としているからだ。前に向かって進まない社会の構造は、遅れた古い構造となってしまう。困難な状況が強まるたびに、さらなる発展が必要となるのであり、その逆ではない。先送りは正しい選択肢ではなく、全速力での発展が、おそらくは困難な状況に立ち向かうために、もっとも重要且つ唯一の方法にして手段なのだ。我々、そして世界が今日身を置いている大いなる変化とは、我々に直接的に影響、あるいは間接的に影響を与え、我々に大きな責務と重大な課題を与える。
我々が党として今日直面している第1の課題は、党の組織の構築である。それは党の課題であるだけではない。我々は党の発展について、祖国に存在するすべての建物とは別の建物として話すのではない。それは一般的な課題だ。シリアにおいて、我々には一般レベルにおいて組織文化における問題がある。この問題を国家のなかでも、国家の枠外にある組織のなかでも目にしている。また、社会全般のなかでも目にしている。制度構築に際して国家レベルでステップを踏んできたとしても、我々の前にある道のりは依然として長い。党レベルにおいては、みなさんがこれまでに行った選挙、さらにはそれに先立つ数年間もまた制度的な行動に向けたステップである。だが、とりわけ今回の選挙を受けて、あるいはこの拡大会合を受けて、バアス党の制度構築の道のりにおけるこのステップを補うステップを踏んでいくべきである。だが、中央委員会と中央指導部の選挙をもって今日終了する選挙の管理体制について議論した昨年に我々が行ったのと同じように、選挙を党のすべてのレベルにおいて深淵な対話を行うことから始めねばならない。
我々が始めねばならない第1点、それは時に存在しながらも説明されていないいくつかの概念があること、時に必要であるものの存在しない概念があるということだ。党と権力の関係といった概念などがそれだ。これは、(旧憲法の)第8条とは関係ない。第8条がもはや存在しないがゆえに、この点について議論しなければならないと考えている者もいる。そうではなく、それは常に続けられ、明確な思想的基盤を有さねばならない確固たる対話なのだ。党と権力の関係は、県に介入する党支部がある、あるいは中央指導部、かつて地域指導部と呼ばれていた組織が政府の活動に介入するといったような、我々が以前、狭い枠組みに限定して、議論してきたものではない。そうではなく、行うべき作業はこうした形によるものではなく、与党であることを踏まえたかたちでの党の役割、政策を実施する政府の役割と結びついている。党が、「超政府政策」と名づけている政策、つまりは包括的政策を策定する主体であるのは当然だ。政府はこうした政策を実施するために作られる。つまり、政府の政策は党のヴィジョンから生じるのであって、一方が他方を配するものではない。なぜなら、党の役割が交代したとの議論がしばしば行われるからだ。党の役割の後退とは党の弱体化のことだが、後退ではない。それは党の役割の再配置であり、これによって、党は、政府が実施する日々の諸手続きにおける問題から党を守り、次いで党が負っていない責任を党に負わせることになる。同時に、党が自らの責任を政府に負わせることは許されない。つまり、党と権力の関係は、我々は議論しなければならない第1の主題なのだ。では、我々の役割とはどのようなものなのか、また政府の綱領を実施する行政府の役割とはどのようなものなのか。
第2点は、すべてのレベルでの組織構造、とりわけ中央指導部、支部、支局の構造だ。我々には今、(中央指導部内に)複数の部局があり、各支部の指導部にはこれと同じ数のメンバーがおり、そのほとんどが常勤のメンバーだ。バアス党が政権を握って60年が経て、各部門においてこうした部局が同じままであることは論理的と言えるのか。社会は変化し、世界は変化し、経済、産業、テクノロジー、そしてあらゆるものが変化した。だが、部局はそのまま維持されてきた。我々が同じ場所にとどまることは論理的と言えるのか。部局、そして党が対処する部門についてまず再検討すべきだ。各指導部を再検討すべきだ。だが、部局を統合する、あるいは、不要となった部門を廃止する、今の時代に即した新たな部門を追加するという意味なのか。そうした側面はある。だが、別の側面として、常勤のメンバーの数を再検討すべきだ。つまり、数が多過ぎる、あるいは実際には仕事がない人材がいると言うのなら、それは時間とエネルギーの無駄だ。メンバーの数を減らすべきなのか。そこには肯定的な面と否定的な面がある。肯定的な面についてはすでに述べた。だが、否定的な面としては、党の決定を狭いサークルのなかに押し込めてしまうということがある。これは良いことではない。対話の輪と決定の輪が広がる度に、制度的な面で仕事はより優れたものになる。数を減らさず、メンバーを常勤と非常勤にするといういうアイデアもある。もちろん、可能性としてであって、検討する必要がある。今後の議論のためにいくつかアイデアを上げているだけだ。我々の前には、我々の組織の発展の土台となる多くの主題がある。
重要な主題として、中央委員会の役割もある。中央委員会は結成から44年あまりが経つが、今まで本格的に活発な活動を行ってはいない。その理由は、そのパフォーマンスであることもあれば、内規そのものにあることもある。党には内規があり、中央委員会にも内規がある。財務規定もあり、検閲査察委員会(党紀委員会)の規定もある。こうした内規は再考が必要だ。中央委員会は党の心臓だ。我々はそれに何を望めばいいのか。我々が話題にしている政策の立案に介入すべきなのか。党の政策立案に介入するのであれば、その構造を変え、人民議会のように専門の委員会を設置するべきなのか。中央委員会にふさわしいかたちとはどのようなものなのか。中央指導部との関係はどのような性格とすべきか。中央委員会が通常は存在せず、数日間だけ役割を果たすことが論理的と言えるのか。1日、あるいは2日だけ会議が開かれ、その大部分が構造にかかる報告に基づいて議論を行うことが論理的と言えるのか。私はこうした役割が中央委員会にとってふさわしいものだとは考えていない。中央委員会にあるデータをどのように処理することができるのか。これらのデータは常に更新されている。中央指導部には、中央委員会に定期的に情報を提供する義務があり、中央委員会が会議を開催することで、任務を遂行することができる。我々は今、中央委員会のメンバーの大部分が今回の選挙で選ばれ、その構成が、支部メンバーであれ、任命されたメンバーであれ、そうでないメンバーであれ、これまでとは同じではないということを踏まえたうえで、一歩踏み込んだ話をした。また、我々は、今回選ばれたメンバーが、内規の定める通り、必要とされる説明責任プロセスを実効できると考え、またそうであることを望んでいる。3分の2のメンバーによって不信任、あるいはそれ以外の詳細なプロセスが実行すべきだと考えている。同じことが支部、そして支局の大会においても言える。これらのレベルにおける大会が、単なる大会、あるいは発言の場にとどまり、結論を得ないままに、発言や実践が行われることは許されない。なぜなら、対話、議論、決定、そして説明責任のための大会だからだ。これが大会の役割であり、大会において適用されるべきものなのだ。支部や支局の大会は、中央指導部から見た場合の中央委員会の役割に似ている。つまり、中央委員会と中央指導部の関係についても同じ問いを行うことができる。支部、支局、そしておそらくは班において、各大会のメンバーとより上のレベルはどのような関係にあるのか。だが、説明責任や変化に言及する際、次のような問いをしたい。任務を確定しないまま説明責任を果たすことができるのか。つまり、我々は何を根拠に特定のレベルの指導部の同志が怠慢だと考えることができるのか。我々が「お前はやる気がない」とこの同志に言う場合、彼に求められている任務は何なのか。これは、こうしたレベルの組織を発展させるというアイデアの成否を左右する根本的な問いだ。
同じ枠組みにおいて、我々が不信任というアイデアに向けて進み、指導部における同志の成否を特定する明確な基準に至ることに成功した場合、これらのレベルにおいて、高等選挙委員会に現在適用されている仕組みを維持するべきなのか。あるいは、大会、あるいは拡大中央委員会に先立って開催される定例会議とのつながりを維持するべきなのか。私は仕組みが草の根レベルで党の同志たちの間に安心感を醸成したと考えている。統制のとれた真の選挙を実現するために、この仕組みがどう機能し続けるかを検討する必要がある。
さらに同じ枠組みにおいて、我々は(中央)委員会の役割とそれを律する規則について自問したい。我々が今回の選挙を、一つの社会からなる完全に自由な選挙として捉えたのなら、この選挙は、党員の一般的な状況についての正確なイメージを与えていただろう。たとえ、どの同志にとっても、自らを売り込み、選挙運動を行うための時間が足りなかったとしたら、この仕組みにおいて各階層の代表性を特定することが困難であることを踏まえた場合にそれは全国レベルでの問題を生み出していただろうか。つまり、我々は規則に立ち戻らねばならない。規則によって、我々は国民レベルで各階層の代表性を制御することが容易になるのか。これもまた論点である。
我々は間もなく人民議会選挙を控えているが、そこには非常に重要な点がある。我々は、どのようにして党員ではない階層と合意を形成するかたちで、バアス党の代表者を選ぶことができるのか。我々は人民議会、そして地方自治体の代表者を選ぶことにはなる。だが、我々が選ぶ人物は、閉ざされた党内プロセスのなかの代表なのではなく、同じ地域、あるいはシリアという一つの社会のなかにいるさまざまな階層の代表でもある。では、我々はどのようにしてこうしたプロセスを実行し、党員ではない階層の満足も勝ち取ることができるのか。この点についても今後議論しなければならない。
党の財務規定も、効率的で透明性を有し、浪費や汚職を撲滅し得るような財務規定を作り出す、あるいは発展させようとしなければならない。それゆえ、中央指導部の財務局とその責任者の再任は我々にとって優先事項だ。また我々が活性化に向けて取り組むことになる党紀委員会も重要な役割を担うことになる。とりわけ、同委員会は書記長直轄となり、財務監査の役割を担うことになろう。だがより重要なのは、実績全般もフォローすることだ。つまりその任務のなかには、大会の議事をフォローすることが含まれる。さらに、、今回の拡大会合において承認されることもまた党紀委員会によってフォローされることになる。
もちろん、これらが、私が優先事項だと考えている主題なのだが、問いというかたちで提示されている別の主題も多々ある。それらに対する答えは、我々の党の今後の組織の形態を決定するものであり、党の役割や効率性を確定、あるいは反映するなのだ。こうした実際の主題のすべてに実質的な枠組みを与えるものが、バアス党の内規であり、それゆえに内規を広範に再考する必要がある。なぜなら、内規なくして、我々が発展させようと考えているいかなるものも、結果を得ることはないからだ。内規はあらゆる分野においても成果を生み出す基礎なのだ。
第2の課題は、党のヴィジョン、とりわけ党内の問題をめぐるヴィジョンの形成にかかわっている。ここで言う党のヴィジョンとは、党が、さまざまな問題、そしてセクターにおいて市民に対する国家の役割をどのように理解するのかということを意味している。執行権は、こうしたヴィジョンを実施計画へと変更するために与えられる。我々みな、そしてシリアのすべての市民にとってもっとも重要な第1の主題とは、生活状況だ。我々が生活状況から始めたいと考えるのなら、我々党にとって基本となる主題以外から始めることはできない。その主題とは社会主義だ。我々にとっての社会主義とは、我々の理解によれば、社会的公正である。交友部門の完全所有や民間部門の廃止など、記述された学術的な定義、古い理論に立ち返ることはできない。こうした定義、そしてこうした実質的なありようは、シリアにおいては一度たりとも社会主義とは言わなかった。社会主義は、1世紀以上前に世界のさまざまな場所で、そしてさまざまなかたちで採用された。そのなかにはシリアも含まれたが、そこでは社会主義は、1960年代の過激主義やマルクス主義から、1991年以降のインフィターフ(門戸開放)、そして今日のインフィターフに至るまえで幅広いものであり、多くのモデルがあった。我々は、社会的公正を実現し、我々が暮らす現状に対処し、さらに前に向かって進歩していくことを可能にするうえでふさわしいモデルが何かを特定しなければならない。もちろん、我々は今、進歩について包括的に話しているのではなく、現実的な話をしている。特定の分野、とりわけ経済においてブレークスルーをもたらす能力、我々はそれがシリアでの自分たちにとっての最優先事項だと考えている。
だが、社会主義は党としての我々に一つの問いを投げかけている。それは、バアス党の経済面でのアプローチはいつイデオロギーから生じるのか、いつ経済的基盤から生じるのか、というものだ。つまり、両者の間に一致はあるのか、あるいは矛盾しているのか。あるいは我々が取り組み、イデオロギー的側面と科学的・経済的基盤に同時に依拠し得る妥協点はあるのか。同じ枠組みにおいて、疲弊や損失を被ることなく、イデオロギー的基盤に耐える経済の力は一般的にどのようなものなのか。つまり、既に述べた通り、均衡を見つけ出すことなのだ。イデオロギーはバアス党の方法の基礎をなしており、それを放棄することはできない。我々がイデオロギーという場合、それは社会主義であり、すでに述べた通り社会的な側面なのだ。社会的側面と経済的側面の均衡とはどのようなものか。実際にはすべて一つの主題についての問いなのだ。だが、あらゆる側面から見なければならない。なぜなら、我々が経済的基盤と社会的基盤の均衡について話す時、それはつまりは、我々が、社会を犠牲にして、抽象的に経済的側面がない厳密な路線を進むことになるからだ。そうすることで、我々はこうした状況においては資本主義政党に成り下がってしまう。抽象的な社会的側面に向かって逆に進むこともあり得ない。なぜなら、そうなれば、我々は破綻国家になってしまうからだ。だから、私がこれらの主題を話すのは、イデオロギーと経済の均衡点に達するためなのだ。
2005年の地域大会以降、過去約20年にわたって、社会市場経済について多くのことが提起されている。この概念が担っていなかった意味や解釈が持ち込まれた。そのなかには、シリアが経験した誤りや失敗も含まれており、それらはその定義に際して持ち込まれた。なかには、それ自体があたかもイデオロギーであるかのように扱う者もいた。もしそれがイデオロギーだったとしたら、我々は社会主義を維持することはなかっただろう。もし理論だったのなら、社会主義とは理論であり、イデオロギーではない。だが、我々は社会主義を置き換え、そこに社会市場経済を据えてしまった。実際、この問題についての我々のヴィジョンは簡略化され過ぎていた。市場とは競争であり、プロセスとは社会主義を発展させるプロセスであって、それ以上でもそれ以下でもない。だが、我々が市場という言葉だけを維持したのであれば、それは、我々は粗野な市場経済へと移行することを意味してしまう。「社会」という言葉は社会主義的な方法を維持しつつ、市場において競争を維持することだ。市場と社会主義は併存し得ないという者もいるだろう。だが、この言葉は正しくない。なぜなら、中国モデルは世界において明白に示しているからだ。中国は1978年以降、共産主義・社会主義的な中央集権国家のまま、市場経済に移行した。別の側面もある。それは、生活状況にかかわる主題である。党は発足以来、勤労者に寄り添ってきた。もちろん、勤労者という定義は、労働しているが、貧しい階級という意味だ。我々は一般的に勤労者と言うべきなのか、あるいは、貧困者というべきなのか。この概念をより包括的に捉えて、我は貧困者をより広範な階層という意味で用いて話したい。第1に、党がこのより広範な階層に寄り添うことは当然だ。なぜなら、この階層は誰よりも経済危機の影響に晒されているからだ。だが、宗教でさえ貧困者に寄り添う。ザカートは富裕者から貧困者に施されるのであって、富裕者から富裕者に施されるものではない。税金でさえ、一方で富裕者と貧困者の公正や資金配分を実現し、他方で貧困層が自らに与えられた資金のすべてを経済に注ぎ込むためのものである。だが、バアス党が統治する国家は、すべての国民のための国家だ。つまり、バアス党が依拠し、さまざまな階層間で利益が交錯――矛盾ではなく――していることを表現する計画、あるは方法とはいかなるものなのか。つまり、これらの階層は、互いに利益を獲得する。一つの階層が別の階層を犠牲に利益を得ることはない。貧困層は実質的には購買力なのだ。貧困者、中間層の状況が良くなければ、経済が動くことはない。富裕者や資本家は、この国において雇用機会を創出することができる。つまり、我々は勤労者・貧困階級を経済的な視点で見て、そのうえで社会的な視点から捉えなければならない。なぜなら、社会的視点とは、党を慈善活動へと変えるものだからだ。一方、経済的視点は、党をこの階層の利益を実現し、社会全般の利益を実現し、同時に国益も実現する経済活動へと変えるのだ。
ここで幾つか例を挙げよう。前述した均衡とは何を意味しているのか。我々はどのようにして自分たちの政策、そして主題とこれらの階層に寄り添いつつも、結果が別の方向に向かってしまうことがあるのか。輸出政策がそれだ。世界のなかに輸出を経済発展の主要な基礎に置いている国はない。だが、シリアが経験してきた状況ゆえに、我々はしばしば輸出に依拠し、市場において敗北してきた。なぜなら、輸入業者が、断続的、変動的、あるいは非連続的な市場を受け入れないために、輸出業者とともに敗北を喫してしまうからだ。輸出が後退したことで、我々は外貨を失い、雇用機会を失っている。シリア・ポンドが圧力を受け、インフレや為替レートが圧力に晒される。その代償を支払わされるのは、勤労者・貧困階級だ。インフレ、つまり為替レートと生産を均衡させ、我々は為替レートを制御しようとしている。もちろん、完全に制御はできない。だが、物価を一定に保とうとして為替レートを制御すると、生産に支障が生じる。ここには常に定期される問いがある。優先事項はどこにあるのか、という問いだ。為替レートなのか、生産なのか。物価が一定に保たれれば、雇用機会は創出されない。貧困者はどのゆうに暮らしていけるのか。どのように自らを発展させられるのか。どのように貧困層を中間層に変えるのか。政府、行政府が均衡を実現するための計画を策定できるようにするために我々が答えるべき重要な問いなのだ。
別の面に、支援がある。数十年の長きにわたって、中央銀行が本来の仕事ではないが、市民全般、とりわけこれらの階層にとって必要であるために、支援を担ってきた。つまり、何らかの(支援)方法を作ることが必要であったこともあり、中央銀行がこれを担ってきた。結果はどうだったのか。中央銀行はインフレに対応する力を弱めてしまった。現在、インフレを制御するために多大な仕事をしているが、インフレを食い止めるには至っていない。だが、こうした政策が多岐にわたっていれば、為替レートの現状は改善され、結果としてこれらの階層の状況も改善されていただろう。以上は、我々がより貧しい階層のための政策に向かうことを示す例に過ぎない。だが、異なった結果、つまり誠実な意志とは逆の結果がもたらされるだろう。つまり、ここで、我々は政府の政策について議論することはできない。むろん、ここで、過去、現在、そして未来のいかなる政府も擁護するつもりもない。経済と社会が均衡していなければ、政策にもあらゆるレベルで麻痺が生じ、政策に麻痺が生じれば、行政府があらゆるレベルにおいて行うことになる実施にも失敗が生じる、私はそう言いたいのだ。
もう一つの面、そして我々にとっても重要な社会主義と関連した主題は、公共セクターだ。我々は公共セクターを、工場、あるいは労働者といったように抽象的に捉えがちである。実際のところ、公共部門は、シリアの歴史を通じて重要な役割を果たしおり、大きな困難に直面しながらも今も重要である。だが、公共部門を矮小化された主題に限定することはできない。行政公共部門には役割があり、またこれとはまったく異なった役割を持つ経済公共部門もある。生産経済公共部門もあるし、サービスを提供するサービス行政公共部門もある。これらの部門のそれぞれに役割がある。我々はこれらを一つの主題として見ている。だが、経済について二つに分けて話させて欲しい。問いは、我々が何を望んでいるか、というものだ。どのバアス党員でも良いので、公共部門に何を望んでいるのか、それによって雇用を望んでいるのか、物価の下支えを望んでいるのかと訊いたとする。あるいは、それによって利益を得ることを望んでいるのかと訊いたとする。これら三つを望んでいるのであれば、シリアでそれは実現し得るのか。とくに、社会面、すなわち(物価の)下支えと雇用とともに経済面での収益性はあるのか。どんな経済的な組織を設立する法令においても、収益は基本的な主題である。では、収益とは何を意味しているのか。それは、輸入品(の価格)が実質コスト、給与、電力、燃料費よりも高いということだ。だが、現実は、ほとんどの組織において異なっている。特に、政策がこれらの機関に対して行われる場合、つまりは、これらの組織の支援が必要とされている場合、支援は、これらの組織の仕事でなく、政府の財政にかかる仕事となる。一方、雇用については、我々が雇用することで損失を被ることが経済的だと言えるののであれば、なぜ、行政部門において雇用しないでいる必要があるのか。あるいは、浪費や汚職につぎ込まれ、国家が義務を充分に履行できなくしてしまうような資金を、なぜ人々に与えないのか。もし、雇用が国家の仕事の一つなのであれば、まずこう問うべきだ。国家における雇用の限度はいったいどのようなものなのか。シリアの国家は雇用を続けるとして、シリアにおける雇用の限度とはどのようなものなのか。これまで我々が考えてきたように、雇用は国家の義務なのか。すべての仕事が公共部門に含まれるのか。我々はどのように雇用を行い、そのクオリティを維持するのか。我々は、シリアの状況は国家が発展しなければ発展し得ないことを熟知している。国家が発展しなければ、我々が高いクオリティの雇用を行うことはできない。ここでもまた、我々は社会的雇用の側面とクオリティ面をバランスさせようとしている。国家が雇用を行う場合、党として我々が行う政策とはどのようなものなのか。
農業部門ももう一つの重要な主題である。だが、農業、あるいは農業支援は議論すべき主題ではない。どんな農業国においても農業は国家安全保障と同じだと思う。議論はつまりは、農業支援の仕組みをめぐって行われるべきだ。我々は、いつものように生産品を支援するのか、それとも農業生産者を支援し、支援が寄生者によって途中で搾取されることなく、農民に直接、そして完全なかたちで農民にいきわたらせようとするのか。これはバアス党にとって必要な主題の一つだ。
これまで述べてきたことのすべてが、汚職撲滅という主題を構成している。汚職撲滅は、一部の人が言うように、個別の主題でも、抽象的で感情的な主題でも主題でも、復讐に根差した主題でもない。それは結果だ。制度が正しく構築されることの結果だ。汚職撲滅は、正しい環境を必要とし、正しい環境は健全なシステムを必要とする。健全なシステムがなければ、実際に成果を実現することはないため、汚職撲滅で時間を割かれることもない。例をあげると、ある都市で、自治体がゴミを収集せず、害虫が発生し、流行病はさらに蔓延していて、保健省の医療スタッフに全スタッフとともにある都市に赴いて、その流行病に対処するよう任じ、衛生状況を正常化するよう要請した場合、スタッフらはまっさきに「我々には何もできない、病院も、医師も薬も、流行病は撲滅できない。ゴミを収集することから始めろ」と言うだろう。汚職撲滅とはこのように捉えられるべきものだ。既存の行政を麻痺させているゴミを収集しなければ、汚職撲滅という問題において何らの成果も得られない。つまり、党はヴィジョンを持てるよう、そして政府がこのヴィジョンをもって行政計画を策定できるよう、我々は質問に答えていかねばならない。この方向に向けた作業を延期してはならない。なぜなら、戦争勃発前から長年にわたって「今がその時ではない」といった周知の一文を用いることに慣れてしまっているからだ。この文は夢を単なる夢で終わらせてしまう。
この段落の要点を明確にし、また、一部の人が好むように、今回の会合が「ペレストロイカ」会合で公営部門や支援を放棄するといった解釈をしないようにしたい。これまで述べたことは国営部門の放棄を決して意味しない。なぜなら、それは重要な役割を持っており、それは維持されるからだ。だが、公営部門は高い質を誇り、熟慮されたもので、目的を伴ったものでなければならない。これまで述べたことは、支援の放棄を意味しない。なぜなら、支援は貧困層のために必要なだけではなく、経済力にとって必要だからだ。問題は支援という原則ではなく、支援の形式、方法にある。これまで述べたことは、我々が国家の役割を強化し、経済、社会、政治といった分野、そして祖国全般において、その義務を完全に実行できるようになることを意味しない。こう疑問に思う人もいる――我々は書記長が提起されている質問への答えを聞くことを期待していた。つまり、私は今、答えや意見を述べたが、それは、私が議論の道を閉ざしたことを意味する、と。だが、私は今日ここにいるのは、議論の道を閉ざすために議論を投げかけるのではない。これがまず第1点だ。また第2に、市民に影響を与えるより大きな問題は、書記長、大統領、首相、党指導部、あるいは政府の意見の基づいているのではない。これらの問題は、まず党のレベルで、次に国民レベルでの広範な対話を行うことを必要としている。そうすることで、我々のなかの誰もが、意見を持ち、正しい決定を下せるようになる。
我々党にとっての第3の課題は、党の思想を今の時代に合致しつつ、我々の帰属に反しないかたち、すなわち我々がいる現在と調和するかたちで、そして同時に我々の起源を失わないかたちで再編成することだ。アラブ民族主義政党としての我々の党は、一つの理論に依拠するのではない。つまり、我々は、100年前の一握りの有識者や思想家による集まって、ウルーバ(アラブ性)という名のアイデンティティがあると決したことでもたらされた理論に依拠するのではない。我々は歴史的で現実的な真の社会的帰属に依拠しており、理論はその後にもたらされ、この帰属に枠組みを与え、思想的なかたちを与え、それを本能的な状態から積極的で活動的な状態に変化させ、社会の統合と力を強化するものだ。こうした状況によって、狭量なジャーヒリーヤ的狂信主義への帰属は包括的で広範な状態に移行し、それによって社会を構成するすべては統合され、帰属(意識)は人種的概念から文明的で人間的なレベルに押し上げられる。そしてこのレベルは、民族間の人種、宗教、言語、文化、地理、利益、そして利益の交換といった、あらゆる分野での相互作用に基づいて、自然に、自発的に、そして全身的に構築されるものだ。これらすべての要素が社会を構成している。それゆえ、民族主義政党というのは、植民地主義勢力によって狙われるのだ。我々の政党を不空これらの政党が、宗派的、あるいは人種的な諸概念のもとに作られたとしたら、それは西側による直接の支援を受けていただろう。なぜなら、それは、植民地主義的な分割という諸目的に合致しているからだ。これらの政党を標的とすることは、我々アラブの社会の基礎をなす主題や要素、すなわちウルーバ、イスラーム、キリスト教を標的とすることで完全なものとなり、彼らはこれらの要素の間に亀裂を生じさせようと働きかけてきた。彼らは、長年にわたってアラブ・キリスト教の問題から、とくにシリア、つまりビラード・シャームをめぐって、この地域はキリスト教的であり、アラブ人、イスラーム教徒、そして言語はイスラーム成立以降に生じた侵略の結果生じたのだと言ってきた。つまり、彼らは一連の要素を一つにまとめ、それを一つの壺のなかに押し込めた。ビラード・シャームにおける真のアイデンティティは、アラブ人としてのアイデンティティではなく、14世紀強、あるいはそれよりも若干短い期間しか経っていない人工的なアイデンティティだというのだ。
実際のところ、これらの要素は互いに結びついてはいない。我々がアラブ人について話すとき、そして言語、イスラーム教について話すとき、それぞれに異なった歴史がある。アラブ人は、紀元前1000年の歴史文書からアラブ人として言及されている。その存在は、アラム人の時代、スィルヤーニー(シリア正教)の時代から、アラブ・キリスト教徒王朝、イスラームの時代に至るまで続いていた。アラビア語には、話し言葉と書き言葉があり、それぞれが異なった時代に登場した。例えば、シリア南部で紀元前160年頃に登場し、紀元1世紀ごろまで続いたアラブ・ナバティヤ王国の民は、アラビア語とアラム語を話していたが、イスラームの時代になるまでアラム語で文字を綴っていた。つまり、ある民族がある場所に至り、もともといた民族が突然姿を消し、新たな民族にとって代わる、あるいはある文化が生まれ、もとあった文化にとって代わり、もとあった文化が消滅する、あるは、ある言語が別の言語にとって代わる。このようにこの問題を単純に捉えること、このように述べることは論理的ではない。とくに、シリア語はイスラーム教の時代になって以降も5世紀にわたってシリアで存続した。つまり、このように述べることは正しくないのだ。なぜなら、諸国民は同一地域や隣接地域において、文化、言語を互いに交流させるからだ。戦争や侵略などを含めて、いかなる力もこうしたダイナミクスを制御することはできない。同様に、既存の社会的・国民的アイデンティティを解体し、対立し合うサブ・アイデンティティに分化させようとする枠組みのなかで、彼らは前世紀はじめ、あるいはそれより少し後に我々が耳にしたと思われるウルーバとイスラームをめぐる問題を提起したのだ。この問題提起、あるいは紛争は我々に次のような限定的な問いを喚起させた。ウルーバとイスラームの間に問題、あるいは紛争は実際にあるのか、という問いだ。我々は非常に簡単な答えの似たような質問をすることができる。それは、宗教と民族主義の間に問題があれば、なぜこうした問題をアラブ人以外のイスラーム国家において耳にしないのか、という問いだ。イスラームは大西洋からインド洋に至る地域に拡大した。なぜ、我々は、イスラームと異なった国の何々民族主義の間に問題があると耳にしないのか。問題は存在するのか。民族主義と宗教の間に問題があるのなら、ウルーバとキリスト教の間に問題はあるのか。そんなものは断じてない。なぜなら、著名な民族主義思想家たちはキリスト教徒だったからだ。なぜ、我々は、アメリカ、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、さらにはどこであれ、宗教全般と民族主義との間に問題があると耳にしないのか。答えは明白だ。なぜなら、問題は捏造されたもので、真実ではないからだ。宗教は、どんな社会のどんなアイデンティティにおいても重要で基本的な側面の一つだ。だが、宗教は、諸人民の民族アイデンティティを否定もしなければ、とって代わることもなく、対立することも矛盾することもない。だから、イスラーム教がジャーヒリーヤ時代のアラビア半島に啓示されたとき、民族をめぐる問題は生じなかった。問題は異なっていた。社会が偶像を崇拝していたことを踏まえると、問題は感情的なもので、イスラームが正義を布教したことを踏まえると利権にかかわるものだった。部族の長たちは、利権を握っており、半封建制のような状態だった。だが、イスラームは当時の民族主義とは矛盾することはなかった。ジャーヒリーヤという言葉は、古代文明が存在しないということを意味しない。社会が間違ったものであったという意味だ。だから、詩、文学、言語は高いレベルにあり、しばしば思い描かれるような後進的な民、あるいはベドウィンなどによってもたらされ得るものではなかった。宗教は、原始的な人民、あるいは社会に啓示されることはない。なぜなら、そうした社会には、偉大な神のメッセージを担うことができないからだ。同時に、言語について言うと、聖コーランは、深淵な意味を担うことができない言語では啓示され得ない。つまり、アラブ社会は、文明という側面においては存在してきたが、文明としてのエネルギーは潜在しており、活性化していなかった。イスラームは既存のエネルギーを解き放つためにもたらされ、より包括的な人間的次元と広範な世界的次元をこのエネルギーに与えた。ここにウルーバとイスラームの互換関係がある。だから、我々がつながりを創出する必要などない。我々は両者のつながりに理論としてのかたちを与えるだけだ。なぜなら、両者の関係は、自然の有機的な関係であり、矛盾し合うことも、衝突することも、排除することもなく、補完し調和しているからだ。また、ウルーバとキリスト教の関係も然りだ。キリスト教とイスラーム教もだ。それらはいずれも我々の集団としてのアイデンティティを構成する要素だ。この地域のアイデンティティは、数世紀ではなく、数千年を通じて作り出されたものだ。このアイデンティティの諸要素の一つでも廃されるということは、アイデンティティすべてが失われることを意味する。
同じ文脈において、彼らは、アラブ人は人種で、それ以外の集団も人種だとみなし、我々の地域においてウルーバとそれ以外の民族的集団の間に矛盾を創り出した。だが、すべての人々は平等だ。つまり、すべての人々が複数の人種を表している。このことは重要だ。なぜなら、ウルーバの思想を人種に限定することになるからだ。だが、ウルーバとはそのようなものではない。我々が常に話しているウルーバとは、人種的、宗教的多様性に基づいた包括的で文明的なウルーバだ。このことはつまり、文明的ウルーバが集団どうしの融解ではなく、統合を意味しているということだ。我々の社会における一つ一つのアイデンティティ要素を維持することを意味しているのだ。シリア社会の多様性が増す度に、ウルーバは豊かさを増す。この多様性が表出し、顕著になる度に、ウルーバは信頼と堅固さを増す。それゆえに、我々はこの会場において、こうした多様性の真のモデルなのだ。シリア社会のほぼすべての構成要素、おそらくはすべての要素がここにはある。出席者は民族主義政党に所属しているが、一日たりとも、入党の要件、あるいはウルーバの一部となるに際して、もとのアイデンティティを棄てると感じたことはない。逆に、我々はこれらのアイデンティティを維持することを奨励している。我々は、言語、習慣、伝統、宗教的帰属など、これらのアイデンティティの事細かな諸要素を維持するよう奨励している。
これまでと同様、ウルーバは維持される。これは、我々の思想、方針、本性的で本質的な帰属の基礎をなしている。なぜなら、我々にとってウルーバとは、社会を構成する諸要素を担う脊髄だからだ。脊髄が衰えれば、組織どうしのつながりは解かれ、体も完全に衰退する。つまり、我々には党の思想を発展させ、包括的で文明的なウルーバ、多元的な国民アイデンティティ、さらには崇高な人道的価値観の関係に注力する必要がある。これらの三要素は、我々の社会に安定を創出するものだ。なぜなら、これらは、我々の社会において出現しつつある思想的厳格主義などの異常な思想的要素から我々を守るものだからだ。我々が思想的にと言う場合、それは、宗教的なものかもしれないし、社会的、あるいは政治的なものかもしれないということを意味する。あるいは、思想的厳格主義に似たあらゆる形態の過激主義、挫折感、劣等感かもしれない。社会を破壊しようとするネオ・リベラリズムを筆頭とする外来思想に対抗する際に生じるかもしれない。ここから、我々には次のように問いが生じる。我々アラブ社会主義バアス党にとっての思想的立場はどこにあるのか。このことは、思想家たちの立場がどこにあるのかという問いでもあるおとは自明だ。我々には断じて思想がある。我々には断じて思想家がいる。だが、思想を刷新し、思想を一時的、時節毎、あるいは行事ごとではなく、持続的に刷新されるプロセスとするための明白な仕組み、明白な構造がない。
政治情勢に関して、もっとも重要で特筆すべき主題はパレスチナ問題だ。そしてこの主題においてもっとも特筆すべきは、それは1948年にこの問題が発生して以降にはなかったようなかたちで、パレスチナの大義を前面に回帰させることだ。今日、この大義の正義が世界レベルで明らかとなった。犯罪的なシオニスト政体の実態が世界のほとんどにおいて明らかとなった。もちろん、西側レベルではないが、少なくとも世界レベルで「イスラエル」に対する支援は後退した。西側レベルでは当初からそうしたことはなかったが、世界レベルでは、オスロ合意調印以降、徐々に後退しており、このことはいずれ二重の問題を引き起こすだろう。
第1の問題とはシオニスト政体だ。それは、発足当初の数ヵ月以来、西側の政治家だけでなく、大衆の同情を頼りに生きてきた。この問題が、自国民の世論に背いていると気づき始めている西側の政治家たちの問題を創り出すことになる。第2の問題は、西側のシステムのイメージの劣化と悪化だ。それは、まず、世界レベルにおいて、第2次大戦以降、とくに1991年のソビエト連邦崩壊以降に顕著となっている。我々のなかには、何世代にもわたって西側に魅了されてきた者がいる。彼らは催眠術にかけられているかのように心酔している。西側で起こるすべてが驚くべき、素晴らしい、そして美しいものだと考えている。こうしたイメージがその芯から悪化し、劣化し始めた。それ以上に重要なのは、これらのシステムが依って立つ原則を信じてきた西側の市民そのもののなかで、このイメージが悪化を始めたということだ。彼らは今日、その原則の実態が嘘、偽善、欺瞞であることに気づいた。世界の他の国民よりも前に自国民への嘘であることにだ。だから、米国の大学、さらにはフランス、ドイツでの大学、さらには「イスラエル」を非難し、ガザに寄り添うあらゆるデモに対してかつて見たこともない野蛮な抑圧を目にした時、第1の標的は必ずしも「イスラエル」だけである必要はない。たとえ、それが西洋の継娘だとしてもだ。実際、我々が目にしているこの前例のない残忍な弾圧は、西側システム全体のパニック状態を表しているのだ。西側システムは1960年代末から1970年代初めにかけてこの状態を経験し、そこでは反乱が発生した。それは社会的発展と関係する側面もあれば、ベトナム戦争と関係する側面もあった。当時の若者世代が西側に存在する政治システムへの蔑視と嫌悪をもって見ていたこととも関係する側面もあった。大学では、弾圧、殺戮もあった。だが、西側は当時から50年後にわたって、自国の国民、とりわけ若者を飼いならすことができたと考えていた。その飼いならしの最たるものが、我々が目にした通り、コロナ期だった。
今起きているのは、このシステムに対する民衆の反乱があるかもしれないということからくるパニックと恐怖の状態だ。一方、我々の地域においては、ガザに対する戦争が、これらのシステムの多くの真実を暴露した。本当の姿勢とうわべの姿勢が峻別され、誠実な者と偽善者が区別された。パレスチナ問題への姿勢はこうした姿勢を評価する原典となった。パレスチナ問題への姿勢とは今日、人々、あるいは諸国家を高揚させ、その王座さえも揺るがすものだ。我々が今日目にしているもっとも重要なモデルは、トルコのそれだ。エルドガンは自らの国民に対して賢く振る舞おうと躍起だ。しかし、賢い人間は実際のところ、民衆の集団的智は一個人の賢さよりも強力だという簡単な真実を知らねばならない。それが人間の本質だ。にもかかわらず、私は、彼がトルコ国民を欺きつつ、「イスラエル」を口先では攻撃し、手で支援することができると考えている。しかし、トルコ国民は、選挙で彼に大きな教訓を与えた。その教訓の内容とは、国や党の姿勢の強さというものが、民衆の姿勢と合致することのかにあるということだ。それは多くの国においてほぼ見ることができない。一方、国家や当局者における原則の欠如、あるいは政府の偽善や欺きについて言うと、エルドアンは今日、この点における非常に重要なモデルを提示している。我々が目にしている通り、トルコでは今、「イスラエル」との断交が話題となっているが、我々はなぜエルドアンが何ヵ月も前にそれをしようとしているのかが分からない。つまり、ガザで虐殺が行われたということを先月になって耳にしたということか。私は、時を逸していると考えている。事実は厳然たるものとなり、暴露されている。
とりわけシリアにいる我々にとってもっとも重要なこととしては、シリアにかかわってはいないより一般的な状態もある。ガザに対する戦争は、我々のアラブ世界、そしてシリアにおいて、西側の模倣を擁護する者たちのありようを暴露した。自由と民主主義を備えているという西側、偉大なる価値観、文明、人道を備えた西側。外国に対して人間が抱くであろう最大の劣等感を心に抱えているこれらの者たち。我々は彼らがガザに対する戦争への西側の姿勢、「イスラエル」を政治的に支援する西側の姿勢、この戦争に西側の軍・治安部隊が直接参加していること、「イスラエル」に武器を供与していることについて話したり、理論化したりしているするのを耳にしたことがない。いかなる言葉も、声明も、コメントも耳にしたことはない。すべてが法の権限のもと、憲法と法律に合致しているとして、米国の大学生への弾圧などを行う民主主義がどのようなものかについて耳にすることもない。セム主義という概念の拡大をめぐって米国議会で今提示されていること、そして彼らが想定しているように、国家としての「イスラエル」への批判を禁止し、ホロコーストなどについて話すことがセム主義に抵触するとの主張についての議論を何ら耳にすることはない。
我々は、裏切り者たちが「イスラエル」の責任を問う法律の制定を求めて議会に群がる様子を見にすることはない。彼らはシリア制裁法を制定するために群れをなしたにもかかわらずだ。我々には何ら問題はない。我々は議会においてシリア制裁法があることを受け入れよう。だが、「イスラエル」制裁法と並行して行動して欲しい。もちろん、こうした発言は創造と夢に過ぎない。革命家のことを間違って「革命の牛」と呼んだ者たちの発言を耳にすることはない。彼らがガザの住民のために1発でもロケット弾を発射したということを耳にしたことはない。彼らを支援する声明や横断幕を掲げたデモを耳にしたこともない。我々、諸君、そしてすべてのシリア人にとって周知のことだ。だが、今起きているすべてのことは、シリアに対する戦争は始まった当初から、これまで述べてきたことすべてを裏づけている。この問題は、買弁と裏切りの問題なのだ。
しかしガザが提示したもっとも重要な教訓は、パレスチナとイエメンの教訓だ。両者はアラブ人全般に、そしてとくにシリア人に多くの教訓を与えた。なぜとくにシリア人なのか。なぜなら、戦争を貫く原理、すなわち我々がこの参加国において目にしている殺戮、テロ、封鎖、破壊、そしてそのほかの苦難が似ているからだ。だが、パレスチナの状況がシリアとは比べ得ないということを知っていた。また、イエメンの状況も然りだ。パレスチナとイエメンの状況は、我々の状況よりあらゆる意味で数段困難なものだ。にもかかわらず、ガザにおいて教訓が示されたのだ。尊厳、寛大さ、意志、愛国心。こうしたものだけでは、可能性はないが、それがイエメンとガザを変えたのだ。つまり、我々がパレスチナ全般について言及するのであれば、それは単なる域内の力ではなく、経済、軍事、政治といった面に作用する真の世界的な力であり、それが実現し得たのは、買弁思想が蔓延せず、敗北の思想が蔓延していなかったからだ。
犯罪者政体に対する我々の愛国的姿勢は繰り返すまでもない。我々の姿勢はパレスチナ問題が発生した時から確固たるものだ。一瞬たりとも、そしていかなる状況においても揺らいだことはない。この戦争のことを話しているのではない。1948年以降のパレスチナ問題について話しているのだ。シリアが身を置いてきたあらゆる状況、クーデタ期、安定期などにおいて、シリアの当局者は、パレスチナ問題において譲歩することなどなかい。我々も今日、譲歩はしていない。なぜなら、この問題の本質は変わらないからだ。なぜなら、敵そのものも変わらないからだ。唯一変化しているのは、出来事の外見だけだ。虐殺は、シオニスト政体が拡大しようと縮小しようと、一時だけの振る舞いではない。その盛衰は関係がない。西側諸国のシオニズムへの盲目的な傾倒は今に始まったことではない。一方、パレスチナ問題やその他の問題に対するアラブ側の無策も驚くべきことではない。今日異なっているのは、一方でSNSによって、他方で言うまでもなく、より重要なこととしてパレスチナ人民の神話的な抵抗によって、問題の諸要素が暴露されたことだ。この抵抗は、我々の地域において、西側とその手下を混乱させ、疲弊させている。そして、それ以前の話として、シオニスト政体は、あらゆる力、生活を奪われ、長さ40キロ、幅数キロの地域に押し込められ、包囲を受けている200万人を打ち負かす能力を持ち合わせていない。西側とシオニストの同盟に似た同盟を第二次大戦以降我々は目にしたことはない。
状況が変わらず、パレスチナ人、シリア人ともに権利を回復できない限り、我々の姿勢をわずかでも変え得るものはない。パレスチナ人、あるいはシオニスト政体へのあらゆる抵抗者に対して、我々は提供し得るものすべてを躊躇せずに行うつもりだ。抵抗に対する我々の姿勢と、概念、あるいは実践としての抵抗に関する我々の位置づけは変わらない。むしろ、逆にそれはより確固たるものとなっている。なぜなら、自身で決断しない者には将来の希望がないことを一連の出来事は立証したからだ。力を持たない者はこの世界において価値がない。祖国を防衛するために抵抗しない者は、そもそも祖国に値しない。服従は安心、力、そして時に存在についての誤った感覚を与える。だが、役割は次第に失われ、求められている任務も終わる。その時、人、国家、祖国は捨てられる。祖国の放棄とは、その破壊と消滅を意味するのだ。
同志男女諸君、あなた方の健勝とあなた方の社会の成功を願っている。この会合が党、そして祖国の身に乗りにおける真の転換点になることを願っている。

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中央委員会拡大会合ではまた、中央委員会、中央指導部、党紀委員会の選挙が行われ、各メンバーが選出された。

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SANA(5月4日付)が伝えた。

AFP, May 4, 2024、ANHA, May 4, 2024、‘Inab Baladi, May 4, 2024、Reuters, May 4, 2024、SANA, May 4, 2024、SOHR, May 4, 2024などをもとに作成。