2011年10月20日、レバノン共和国北部県アッカール郡に位置するワーディー・ハーリドにおいて、シリア人避難民に関する調査を行った。同地は、ジャズィーラ、アラビーヤといった衛星テレビ局などによってシリア人避難民の受け入れ地としてたびたび報道されており、西側諸国の報道機関の特派員らが取材を行っている。
シリアでの反体制抗議運動に関しては、反体制勢力がインターネット上にアップする抗議行動や弾圧の映像に依拠した衛星テレビ局などの報道に対して、「煽動」、「誇張」といった非難がしばしばなされる。本調査では、反体制勢力と親体制勢力との主張のズレを検証するための情報を収集することを目的とした。
なお、聞き取りの場所・時期・対象は異なるが、2011年9月27日には青山弘之准教授(東京外国語大学)が、同じくワーディー・ハーリド地区において、同様の目的の下で調査を行っている(詳細については備忘録1を参照)。この意味で、本調査はその延長線上にあるものと位置付けられる。また本調査は、ベカーア県カーア地区にシリア軍第4師団が侵入した時期とちょうど重なっており、本調査中、機関銃の銃声を幾度か耳にしたことも付記しておく。
聞き取り調査は、通訳を介さず、アラビア語を介して直接行った。
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調査を行うにあたって、以下の手順をもって、面談者の選定を行った。
①案内人の選定:報告者が宿泊するホテルにて、「北部県アッカール郡に精通した案内人」ないしは「同県での調査を補佐する能力を有する案内人」の紹介を依頼、N.Sh.氏を案内人兼借上車輌ドライバーとして紹介され、雇用した。同氏はベカーア県出身のドルーズ派。
②N.Sh.氏の案内により、トリポリ市を経由して、ワーディー・ハーリドに向かう。同氏は日頃、ベイルートとシリア中部の都市ホムスを結ぶタクシー運転手を生業としており、レバノン北部・シリア国境沿いの地理には詳しいとのことであったが、ワーディー・ハーリド訪問は今回が初めてとのことであり、道中幾度も現地の住民や警察、軍に道を尋ねていた。
③道中、N.Sh.氏とレバノン・シリア情勢に関して意見を交換する。ここから、N.Sh.氏はレバノン人にしばしば見受けられるような、いわゆる「ノン・ポリ」の人物であることが伺われた。「バッシャール・アサド政権が倒れればシリアもレバノンも混乱する。そうなってしまったら商売あがったりだ」との不満を繰り返し口にしていた。
④ワーディー・ハーリド北東部に位置するラマー村に入り、雑貨屋の店主に調査の目的を説明、同地のムフタールを紹介するよう依頼する。すると、ちょうど近所に、同地のムフタールがボランティアでシリア人避難民を保護している施設があり、そこに行けば色々話を聞けるだろうとの情報を得る。なお、雑貨屋の店主との雑談の中で、ワーディー・ハーリドの歴史や最近の様子などを簡単に聞くことができた。店主は、「同地区は大小合わせて23の村々から成り立っており、昔からシリアの街との交易(マスコミ等でよく言われる「密輸業」とは言わなかった)で生計を立ててきた。だが、今回のシリアにおける政変によって、モノがあまり入ってこなくなってしまった。こうした状況にもかかわらず、レバノン政府はこの街に対しては何の手当も補償も提供してはくれず、生活は正直苦しい」と述べていた。次いで報告者が、シリア情勢やアサド政権に対してどう思うかと質問したところ、「その件に関してはコメントすることはできない」との応答があった。
⑤なお、同村では、シリア人避難民の車と思しき、ナンバープレートの取り外された車があちこちに散見された。
⑥その後、紹介を受けたシリア人避難民受入施設「ラーミー・スクール」を訪問し、同施設の責任者であり、ラマー村のムフタールであるアリー・バダウィー氏に対してインタヴューを申し入れたところ、快諾を得る。
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アリー・バダウィー氏との面談内容は以下の通り。
①避難民の数は、現在ではおよそ2,500人から3,000人に及ぶと思われる。このラーミー・スクールは、その中でもおよそ70人のシリア人避難民を保護しており、その多くはホムス南部の街アリーディーとティル・カラフからの避難民である。彼らの街は現在、ムハーバラートやシリア軍によって包囲されており、きわめて危険な状況にある。それゆえ、近親者の多いこの村が一時的な避難民受入を行っているのだ。
②この施設は廃校となった中学校を利用しており、主としてボランティアによって支えられている。医療品などの一部の物資はUNHCRから届けられており、UNHCRはまた、週一回程度、移動式診療所(実際には小さいワゴン車のようなもの)によって診療を行っている。
③シリアの政治情勢は現在、きわめて危険な状態であると考えている。そしてこれは、今後ますますひどくなっていくであろう。バッシャール・アサド大統領の進退などについてのコメントは避けるが、現在のままでは状況が好転することはないだろう。
④シリア軍は実際に、しばしば国境を越えてレバノン領内に侵入しており、銃撃や誘拐といったこともしばしば行っている(この応答は、10月6日、「ベカー高原北部の町アルサール郊外にシリア軍兵士が侵入、農作業をしていたシリア人アリー・ハティーブを射殺した」との報道がなされたことを受けて、これに関して真偽を確認したところ、なされた応答である。なお、ハティーブはレバノン人女性と結婚してレバノン領内に住んでおり、シリア軍に狙われた理由は現在においても不明である)。
⑤レバノン政府に望むことは唯一、シリア人避難民の身柄を保障してくれることだけで、それ以外には何もない。避難民たちはこのような苦しい生活を早く抜け出し、故郷に帰りたいと願っているが、それはおそらくまだまだ先のことになるだろう。
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なお、調査終了後にラマー村、およびアリー・バダウィー氏に関してインターネットにて情報収集を行ったところ、同氏、ならびに「ラーミー・スクール」が以前にもBBCとロイター通信の取材を受けていたことが判明した(実際の放送は、それぞれ2011年5月18日と10月4日)。それらのなかで同氏は、本調査時に述べていたこととほぼ同じ内容を応えており、「我々の集落は国境によって分断されてしまった集落のうちの一つである。我々は人道的な観点からシリア人避難民を保護しているのだ」と発言している。同時に、同氏が、大手衛星メディア、とりわけ欧米メディアが「欲しがる」情報を提供してくれる人物であったことが伺えた。
以上のように、今回の調査では、大手衛星メディアなどが報じるシリア人避難民像と概ね一致するような意見を聴取することができた。この意味で、前述の青山准教授の調査とは整合性の取れない結果となってしまったと言える。ゆえに、今後も継続して、シリア情勢に関する報道の真偽を検証していく作業が必要となろう。
(溝渕正季作成)
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