ムスタファー情報大臣はヒムス県南東部の米有志連合実効支配地(55キロ地帯)内にあるルクバーン・キャンプが解体され、国内避難民(IDPs)が帰還したと発表(2025年6月7日)

ハムザ・ムスタファー情報大臣はXを通じて、ヒムス県南東部の米有志連合実効支配地(55キロ地帯)内にあるルクバーン・キャンプが解体され、国内避難民(IDPs)が帰還したと発表した。

ポストの内容は以下の通り。

ルクバーン難民キャンプの解体と避難民の帰還によって、旧体制の戦争マシーンが生み出した避難の物語における悲惨で痛ましい一章に幕が下ろされた。
ルクバーンは単なるキャンプではなかった。それは「死の三角地帯」とも呼ばれ、包囲と飢餓の過酷さを象徴する場所であり、体制が人々を荒涼たる砂漠で過酷な運命に晒した証人でもあった。
帰還への一歩一歩のなかで、痛みの砂の間から、すべてのシリア人の心に大きな希望が芽生え、誰もが住める新たな祖国を築こうとする強い決意が湧き上がってくる。
ルクバーンの終焉は、他のキャンプの解体へと続く新たな道の始まりであり、日々新たに湧き起こる意志と、それを支える国家の後押しによって、すべての避難民が自らの家へと帰還する日が訪れるだろう。

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ラーイド・サーリフ緊急事態災害大臣は、ルクバーン・キャンプの解体について、Xを通じて以下の通り綴った。

ルクバーン難民キャンプの閉鎖は、我々の避難民が直面してきた最も過酷な人道的悲劇の一つの終わりを意味する。この一歩が、他のキャンプにおける苦しみを終わらせ、人々が尊厳と安全のうちに故郷へ戻るための道の始まりとなることを願っている。

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SANAはルクバーン・キャンプについて以下の通り報じた。

ルクバーン難民キャンプにおける10年に及ぶ避難生活の苦難は、そこに避難していた家族たちの退去によって幕を閉じた。彼らにとってこのキャンプは長年、旧体制の弾圧から逃れるための避難所であった。
今回の出来事は、単なるテントや簡素な施設の撤去ではなく、長年にわたり包囲と飢餓、基本的サービスの欠如に苦しめられた避難民問題における大きな転換点を意味する。
ルクバーン・キャンプは2014年、砂漠地帯の中心、シリア・イラク・ヨルダン三国国境の交差点に設置された。旧体制の戦争によって家を追われた数万人のシリア人がこの地に避難し、その最盛期には10万人以上を収容していた。しかし、その悲惨な状況は、国際人権団体から「世界最悪の避難所のひとつ」と評されるほどであった。
旧体制による厳しい包囲のもと、キャンプには生活の最低限の条件すら整っておらず、病気や栄養失調が蔓延し、適切な医療があれば防げたはずの死亡例も多数発生した。
避難民たちの苦しみは食料や医薬品の不足にとどまらず、ロシアの支援を受けた旧体制による包囲によって、完全な孤立状態に置かれていた。国連の報告書では、キャンプが包囲され、長年にわたり人道支援の搬入がほぼ不可能であったことが繰り返し指摘されている。
国際機関の度重なる訴えにもかかわらず状況は改善されず、やがて避難民たちはより安全で生活に適した場所を求めて徐々にキャンプを離れていった。
そして、昨年12月8日にシリア国民の革命が勝利し、旧体制の支配から解放されたことで、避難民たちは10年以上前に逃れた故郷への帰還を開始した。この帰還は単に家や土地を取り戻すことではなく、失われた「生活」そのものを取り戻す営みであった。解放後に新たに形成された部族の長老会や地域評議会との連携のもと、家族たちは旧体制の戦争が破壊したものの再建に取りかかっている。
ルクバーン・キャンプの解体は、仮設テントや避難所の撤去にとどまらず、戦争によって強制された悲劇的な避難の時代に終止符を打つものである。国内外の他のキャンプで今も生活を余儀なくされているシリア人にとって、この出来事は避難問題の全面解決、そしてすべての人が故郷に戻るための希望の光となっている。
国家は被災地域の再建に向けたあらゆる手段を講じる姿勢を示しており、シリア現代史におけるこの暗黒の一章はついに閉じられつつある。シリア国民は今、新たな章、「帰還・安定・自由と尊厳ある生活」の章を開こうとしている。

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一方、シリア人権監視団は、ルクバーン・キャンプについて以下の通り紹介した。

2015年後半に設立されたこのキャンプ(ルクバーン・キャンプ)は、紛争地域から逃れてきた数千人のシリア人にとっての避難所となり、2016年には住民の数は約9万人に達していた。

しかし、国際機関が実質的な役割を果たさず、病人の受け入れや人道的支援の提供を拒否したことで、このキャンプは孤立と苦しみの象徴へと変わった。

シリア人権監視団は、このキャンプの状況を特別に重視し、何年も続いた人道的大惨事に対して難民問題を扱う国際機関が沈黙する中、キャンプの避難民たちの声を世界に届けてきた。

ルクバーンの住民たちは、極めて過酷な状況に苦しみ、特に新型コロナウイルスのパンデミック時には、緊急治療を提供していたヨルダン側の医療拠点が閉鎖されたことで、その苦しみはさらに悪化した。

状況はさらに悪化し、2020年第1四半期には、旧体制とそれを支援する「イランの民兵」による厳しい包囲のもと、食料や医薬品の搬入が禁じられ、特に子どもたちの間で死亡例が報告される事態となった。

また、過去数年間にキャンプからの脱出を試みた者は、法的保護や安全の保証がない中で、旧政権の治安部隊による恣意的な拘束の危険に晒されていた。

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