『ハヤート』(3月30日付)は、複数の消息筋の話として、29日にイドリブ市を完全制圧した「ファトフ軍」が約7,000人の戦闘員を擁していたと伝えた。
同紙によると、戦闘員の内訳は以下の通り:
シャームの民のヌスラ戦線1,000人
シャームの鷹旅団(アフマド・イーサー・シャイフ氏が指導)1,000人
シャーム自由人イスラーム運動(ハーシム・シャイフ氏が指導)900人
そのほかの武装集団300人
また『ハヤート』は同消息筋からの情報として、イドリブ市制圧は、数ヶ月前にトルコから300万米ドル相当の「大量の最新兵器、装備」が、シャーム自由人イスラーム運動などに届けられたことで可能になったと指摘した。
これに対して、イドリブ市の防衛にあたっていたシリア軍は3,000人、国防隊は1,500人に過ぎなかったという。
戦闘では、双方合わせて170人の兵士、戦闘員が死亡した。
なお、人口40万人のイドリブ市からは、大量の避難民が市外に脱出している一方、トルコやイドリブ県各地に避難していた住民がイドリブ市への帰路についているという。
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『ハヤート』はまた、イドリブ市を制圧した武装集団が、ラッカ市での「失敗」を教訓とするかたちで、文民と武装集団による合同の統治評議会の設置を模索していると伝えた。
これに関して、シャーム自由人イスラーム運動広報局長のアブー・ヤズィードを名乗る人物は、「イドリブ市の行政は軍の管理のもとに置かれる」と述べた。
一方、サウジアラビア人説教師でジハード布教者センター代表のアブドゥッラー・ムハイスィニー氏(ヌスラ戦線)はツイッターで、「戦闘に参加した武装集団が、作戦の開始時刻、計画などのすべてを合意し憲章に記していた」としたうえで、「(イドリブ市)解放後の協議も開始され、シャリーア委員会の人選もなされた。また捕獲品、拠点の分配、さらにはすべての武装集団からなるイドリブ行政評議会の設置のしくみについても合意がなされた」とつぶやいた。
ムハイスィニー氏によると、この合意は、ファトフ軍に参加した戦闘員250人に1人の割合でイドリブ行政評議会に議席を与えられ、この配分に従いヌスラ戦線は4議席、シャーム自由人イスラーム運動(完全合併したシャームの鷹旅団を含む)が9議席を確保するのだという。
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イドリブ県では、シャーム軍団広報局によると、イドリブ市で、軍事情報局の拘置所に拘留されていたとされる男性15人の遺体が発見された。
同広報局によると、「軍事情報局がイドリブ市から放逐される前に彼らを処刑した」のだという。
またツイッターなどでも、イドリブ中央刑務所の懲罰房でも遺体9体が発見されたとの書き込みがあり、その画像が公開された。
一方、シャーム自由人イスラーム運動に所属するアッバース旅団は声明を出し、イドリブ市の政治治安部の拘置所で拘束されていた若者らを解放したと発表、約10名の氏名を発表した。
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SANA(3月29日付)は、「ファトフ軍」によって奪われたイドリブ市に関して、シリア軍がイドリブ市から撤退し、トルコから侵入する武装集団に対峙するための再配備を行ったと伝えた。
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シャーム自由人イスラーム運動のハーシム・シャイフ総司令官は、イドリブ市制圧に合わせて声明を出し、イドリブ市内の民間人に対してシリア軍が砲撃を加えれば、フーア市、カファルヤー町に対して報復攻撃を行うと脅迫した。
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クッルナー・シュラカー(3月29日付)によると、シャーム自由人イスラーム運動は、イドリブ市でのシリア軍との戦闘で死亡した司令官4人(アブー・バッラー・ミスリー氏ら)の葬儀を執り行った。
AFP, March 29, 2015、AP, March 29, 2015、ARA News, March 29, 2015、Champress, March 29, 2015、al-Hayat, March 30, 2015、Iraqi News, March 29, 2015、Kull-na Shuraka’, March 29, 2015、al-Mada Press, March 29, 2015、Naharnet, March 29, 2015、NNA, March 29, 2015、Reuters, March 29, 2015、SANA, March 29, 2015、UPI, March 29, 2015などをもとに作成。
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