Contents
国内の暴力
ラッカ県では、『ハヤート』(3月6日付)などによると、ラッカ市を制圧した反体制武装集団が、ハサン・ジャリーリー県知事、バアス党ラッカ支部指導部のスライマーン・スライマーン書記長を捕捉した。
シリア人権監視団によると、両名の捕捉は、市内の県知事公邸周辺での「戦闘大隊戦闘員と、軍、バアス大隊、国防隊の交戦後」に行われ、その際、警察幹部1人が殺害され、また総合情報部の上級士官1人も捕らえられたという。
これに対して、軍は、政治治安部、総合情報部の施設に対して空爆を行った。
また複数の活動家によると、ヒムス県方面からラッカ市に向かって軍の増援部隊が向かっているという。
両施設は、シャームの民のヌスラ戦線、シャーム自由人大隊などが占拠していた。
『ワタン』(3月5日付)によると、軍と治安機関は「数千人の戦闘員」が押し寄せたラッカ市で「壮絶な戦い」を繰り広げている、という。
『ハヤート』(3月6日付)は、「ラッカ市攻略は予想していたよりも容易だった。なぜなら、同市はアレッポ市やヒムス市のように、体制がさほど重視していなかったからだ」、「(ラッカ市制圧は)軍事的な重要性はないが…、革命を勢いづかせる象徴的な次元がある」との複数の活動家の話を伝えた。
一方、シャームの民のヌスラ戦線とシャーム自由人大隊は、タブカ市および第17師団司令部への攻撃を続けた。
**
ヒムス県では、シリア人権監視団によると、ヒムス市のハーリディーヤ地区、旧市街などで、軍と反体制武装集団が交戦した。
**
ダマスカス郊外県では、SANA(3月5日付)によると、リーハーン農場郊外、アドラー市郊外、ヤブルード市郊外、ダーライヤー市、ザバダーニー市などで、軍が反体制武装集団の追撃を続け、シャームの民のヌスラ戦線メンバーら複数の戦闘員を殺傷、拠点・装備を破壊した。
一方、クッルナー・シュラカー(3月5日付)は、シリア軍の複数筋の話として、ダーライヤー市入り口で、国防省高官や軍司令官からなる使節団が自由シリア軍の指導者らと会談したと報じた。
会談で、国防省・軍の使節団は、反体制武装集団に撤退の条件を提示するよう求め、反体制武装集団は、ダルーシャー村とハーン・シャイフ・キャンプに隣接する農場からの軍の完全撤退を求めたが、使節団はこれを拒否したという。
**
ダマスカス県では、SANA(3月5日付)によると、ジャウバル区で、軍が反体制武装集団の追撃を続け、複数の戦闘員を殺傷、拠点・装備を破壊した。
**
アレッポ県では、SANA(3月5日付)によると、ハーン・アサル村、マーイル町、タッル・ハースィル村、ナイラブ村郊外、アンジャーラ村、カフルダーイル村、マンナグ村、アイン・ダクナ村、ダーラト・イッザ市、マンスーラ村、バーブ市などで、軍が反体制武装集団の追撃を続け、複数の戦闘員を殺傷、拠点・装備を破壊した。
またアレッポ市では、ハイダリーヤ地区、ハナーヌー地区、シャイフ・サイード地区、ブスターン・カスル地区、旧市街などで、軍が反体制武装集団の追撃を続け、複数の戦闘員を殺傷、拠点・装備を破壊した。
**
ダイル・ザウル県では、SANA(3月5日付)によると、ダイル・ザウル市に潜入を試みたシャームの民のヌスラ戦線メンバーを軍が撃退、殲滅した。
**
イドリブ県では、SANA(3月5日付)によると、カニーヤ村、ザルズール市、カスタン村、ミシュミシャーン村、タッル・サラムー市、ハミーディーヤ市、ウンム・ジャリーン村、クマイナース村、ナイラブ村、ビンニシュ市、サラーキブ市、マアッラトミスリーン市、ヒーシュ村、マアッラト・ヌウマーン市などで、軍が反体制武装集団の追撃を続け、複数の戦闘員を殺傷、拠点・装備を破壊した。
**
ダルアー県では、SANA(3月5日付)によると、シャイフ・マスキーン市で、軍が反体制武装集団の追撃を続け、複数の戦闘員を殺傷、拠点・装備を破壊した。
シリア政府の動き
カドリー・ジャミール経済問題担当副首相兼国内通商消費者保護大臣は、シリア・アラブ・テレビ(3月5日付)で、国内最大の反体制政治同盟である民主的変革諸勢力国民調整委員会に歩み寄りを求めた。
ジャミール副首相は「反体制勢力には二種類ある。外国の干渉を拒否する愛国的な勢力と、それとは逆のことを要求する勢力である」としたうえで、「反体制勢力は大衆の一部を反映しているが、我々は政治的反体制勢力と反体制的な世論を区別しなければならない」と指摘した。
そのうえで「我々は民主的変革諸勢力国民調整委員会が、外国の介入を拒否していると見ているが、幾つかの姿勢をより明確に示して欲しい。例えば、彼らは外国の干渉を拒否しながら、ロシアと中国の拒否権発動を拒否している。これは理解できない」と述べた。
一方、国内の武力紛争に関して、「2年が経ち、反体制武装集団も体制も殲滅できないことが分かった。軍事的解決は不可能だ。反体制勢力は体制打倒を掲げて目標を実現することは不可能だ。なぜなら強力で愛国的で統一された軍があり、また現在もなお…国民的結束が強いからだ」と指摘した。
さらに「キッシンジャーはかつてこう言った。我々はシリアを炎上させねばならない。しかし異なった方法でだ。二つの当事者を作り、一方が他方を打ちのめせないようにせざるを得ない、と。これはシリアで今日起きていることだ。それゆえ、我々には、流血を止めるための対話しか道はない」と強調した。
反体制武装集団については「一部の武装集団は、対話をしたいと考えている。しかしそれは降伏ではなく、コンセンサスに至るための対話だ。それゆえ我々はシリア人どうし対話と寛容の文化をはぐくまなければならない。しかしこれはシリア人以外に対する寛容ではない」と付言した。
反体制勢力の動き
トルコを拠点とするシリア国民変革潮流(アンマール・カルビー代表)は声明を出し、シャームの民のヌスラ戦線などの反体制武装集団によるラッカ市制圧を「シリア全土解放への道を開くことに資する勝利」と位置づけ、賞賛した。
**
自由シリア軍合同司令部は声明を出し、ヒズブッラーがベカーア県西ベカーア郡で3日に党員への軍事教練を行い、シリアへの新たな戦闘員約5,000人の派遣を準備していると主張した。
同声明によると、ヒズブッラーは、「ヒズブッラーが占領した」というヒムス県内の8つの村などの近くに監視所、検問所を設置し、ダマスカス県からヒム図研を経由して地中海岸に至る国際幹線道路の防衛・管理をめざしているのだという。
**
民主的変革諸勢力国民調整委員会のハイサム・マンナーア在外局長は、パリで反体制組織・活動家が「民主市民同盟」と称する新たな政治同盟を結成し、指導者の一人がシリア革命反体制勢力国民連立のアフマド・マアーッズ・ハティーブ議長と会談したと発表した。
マンナーア在外局長によると、民主市民同盟には、民主的変革諸勢力国民調整委員会、シリア国家建設潮流などの組織・活動家からなり、シリアに対して影響力を行使し得る諸外国との協議などを通じて、紛争の政治的解決をめざすという。
UPI(3月7日付)が報じた。
**
民主的変革諸勢力国民調整委員会の広報局は声明を出し、民主市民同盟が結成されたとのハイサム・マンナーア在外局長の発言が事実に反するとして否定し、委員会が同盟には参加していないと発表した。
諸外国の動き
アンバール県議会のサアドゥーン・シャアラーン副議長は、『ハヤート』(3月6日付)の取材に応え、ワリード国境通行所(イラク領)近くでのシリアの反体制武装集団によるシリア軍およびイラク軍に対する要撃に関して、「シリア軍兵士が(イラク領に)放逐されようとしていた際、イラク軍が自由シリア軍の戦闘員に発砲していた」と述べ、イラク軍がシリアの紛争に介入しようとしていると警鐘を鳴らした。
また「イラク政府は、先週金曜日にシリア軍兵士数十人がイラク領内に避難した際に沈黙し、要撃でそのほとんどが死亡したことを受けて初めて発表した」と、イラク政府の姿勢を非難した。
そのうえで「イラク政府はシリア政府とシリア軍兵士の送還に合意していたが、シリア軍兵士は帰国したくないと求めていた」と述べ、シリア軍兵士が亡命を望んでいたと主張した。
**
ジョン・ケリー米国務長官はカタールでハマド・ブン・ジャースィム首相兼外務大臣と会談し、シリア情勢への対応について協議した。
会談後の共同記者会見で、ケリー国務長官は、アサド政権の正統性を一方的に否定するとともに、カタールなどによる反体制勢力への武器供与に関して「反体制勢力を大いに信頼している。しかし我々が望まない勢力に武器がわたることを保証するものではない。我々の支援が穏健な反体制勢力を強化することを確認しなければならない」と述べた。
また「アサドは支配を続けるために国を破壊することを決心した。我々は彼を支援するイラン人、ヒズブッラー、そしてアル=カーイダと関係のある勢力と反対している」と付言した。
さらに「シリア国民が自らの運命を決定するのであって、イランとロシアはそれを支援しなければならない…。我々はジュネーブ合意を通じて平和的なプロセスを採用している」と述べた。
一方、ハマド首相は、カタールがシリアの反体制武装集団に武器供与を行っているかとの問いに、「誇張されている。私はRPGやカラシニコフが世界のシステムを脅かすとは考えていない。重要なのは、一部の体制が民間人を殺していることだ…。バッシャールが今やテロリストなのだ。彼が自らの国民を殺している」と述べ、カタールが民間人殺害に使用されているRPG、カラシニコフを供与していることを暗に認めた。
**
ヨルダン国王アブドゥッラー2世がトルコを訪問し、アブドゥッラ・ギュル大統領、レジェップ・タイイップ・エルドアン首相と会談、シリア情勢への対応について協議した。
**
ドイツ外務省報道官は、『ユンゲ・フライハイト』紙の記者でシリア国内で取材中に身柄拘束されていたビリー・スィクス氏が、シリア当局からダマスカスのロシア大使館に引き渡され、その後、ベイルートのドイツ大使館に引き渡されたと発表した。
スィクス氏は、2012年8月にシリア国内で失踪、その後12月にシリア軍に身柄拘束されていることが判明していた。
AFP, March 5, 2013、Akhbar al-Sharq, March 5, 2013、al-Hayat, March 6, 2013、Kull-na Shuraka’, March 5, 2013、al-Kurdiya News, March
5, 2013、Naharnet, March 5, 2013、Reuters, March 5, 2013、SANA, March 5, 2013、Syria
Steps, March 5, 2013、UPI, March 7, 2013、al-Watan, March 5, 2013などをもとに作成。
(C)青山弘之 All rights reserved.