AFP(3月9日付)は、米匿名高官筋の話として、3月4日に米軍主導の有志連合がシリア北東部で実施した空爆によって、ダーイシュ(イスラーム国)戦闘員12人が死亡、一時情報によると、そのなかに同組織でもっとも著名な幹部司令官の一人アブー・ウマル・シーシャーニー氏が含まれていたと伝えた。
これに関して、国防総省のピーター・クック報道官は、この空爆がシーシャーニー氏を狙ったものだったことを明らかにしたが、詳細についての言及は拒否した。
米高官によると、この空爆は、無人戦闘機によるもので、ハサカ県シャッダーディー市近郊で実施されたという。
アブー・ウマル・シーシャーニー氏、本名タルハン・タユムラゾヴィッチ・バティラシヴィリ(Tarkhan Tayumurazovich Batirashvili)は、1986年生まれで、「シーシャーニー」(チェチェン人)を名乗るが、出身はチェチェンではなくジョージア(グルジア)。
ジョージア軍の元軍曹で、2008年のロシア・ジョージア戦争への従軍したが、2010年に武器の不法所持で逮捕、禁固3年の有罪判決を受けた。
約1年半の服役を経て、2012年初めに釈放され、ジョージアを去り、トルコのイスタンブール、イエメン、エジプトなどを経て、2012年3月にシリアに潜入したとされる。
シリアに潜入後の2012年半ばにチェチェン人戦闘員らとともにムハーリジーン大隊を結成し、アル=カーイダ系組織のシャームの民のヌスラ戦線(イラク・イスラーム国のフロント組織)とともにアレッポ県での戦闘に参加した。
2013年3月、ムハージリーン大隊がシリア人からなるムハンマド軍、ハッターブ大隊を統合し、ムハージリーン・ワ・アンサール軍が結成されると、同組織の指導者を務め、アレッポ県北西部のマンナグ航空基地攻略戦やラタキア県北西部での戦闘に参加した。
2013年4年、イラク・イスラーム国がヌスラ戦線との完全統合を宣言し、イラク・シャーム・イスラーム国(ダーイシュ)へと改称すると(ヌスラ戦線の一部はこれに応じず、また2014年6月にイラク・シャーム・イスラーム国はイスラーム国に改称)、シーシャーニー氏はこれに合流し、翌月5月には北部方面司令官となり、アレッポ県、ラッカ件、ラタキア県、イドリブ県北部での戦闘を指揮し、同年末に北部方面の「アミール」となった。また2014年にはラッカ市に拠点をもつダーイシュのシューラー評議会のメンバーに任命された。
なお、シーシャーニー氏のダーイシュへの合流に対して、ムハージリーン・ワ・アンサール軍内のチェチェン人戦闘員は同調せず、アレッポ県などでヌスラ戦線をはじめとする反体制武装集団と連携して活動を継続した。
AFP, March 9, 2016、AP, March 9, 2016、ARA News, March 9, 2016、Champress, March 9, 2016、al-Hayat, March 10, 2016、Iraqi News, March 9, 2016、Kull-na Shuraka’, March 9, 2016、al-Mada Press, March 9, 2016、Naharnet, March 9, 2016、NNA, March 9, 2016、Reuters, March 9, 2016、SANA, March 9, 2016、UPI, March 9, 2016などをもとに作成。
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