アサド大統領がRTのインタビューに応じる:「ロシアとシリアに対する西側諸国の制裁は覇権主義、植民地主義、傲慢さという同じ発想に基づいている」(2022年6月9日)

アサド大統領は、ロシアRTのニュース番組「ニュース・メーカー」(6月9日付)の単独インタビューに応じた。

アサド大統領の主な発言は以下の通り。

(ウクライナでのロシアの「特別軍事作戦」をシリアが支持している理由に関して)さまざまな理由でだ。ロシアはシリアの同盟国であり、戦争に晒されている。だが、それは、一部の人が考えているようなNATO拡大にかかわるものではない。この戦争は、共産主義、第一次大戦によっても終わることがなく続いている戦争だ。ここにおいて、ロシアは国際社会の均衡を作り出す一当事者として基本的な役割を担っている。我々はロシアを二つの側面から見ることができる。第1は、同盟国という側面であり、この戦いに勝利する、あるいはロシアの政治的地位が国際社会において強まれば、それは我々に利益をもたらす。もう一つの側面は、ロシアが今日持っている力は失われた国際社会の均衡を、部分的ではあれ回復させることできるという点だ。我々が望んでいるこの均衡は、シリアを含む小国に何よりも反映する…。

この戦争を…ソ連崩壊後に始まったとされる一極体制の終わりとして位置づけて語る者がいる。だが、それは正確な言葉ではない。ワルシャワ条約機構とNATOについて話すのであれば、部分的には正しい…。政治的な意味で、国連安保理がとくに米国の指導のもとに西側列強によって支配されていることについて話すのであれば。だが、事実は、一極体制は第二次大戦後に始まり、米ドルを基本通過としたブレトンウッズ会議によってかたちを得ていた。それは今、軍事的側面よりも重要になっている…。ドルが世界経済を支配し続ければ、この戦争の結果に関係なく、何も変わらないだろう。

ドルの問題は恐喝ではなく、窃盗だ。米国は大戦後、ドル(の価値)が金保有料を示すと誓約していた。だが、ニクソン政権下の1970年代初め、米国はドルと金を切り離し…、米国は価値のない紙切れで世界中の欲しいものを買うことができるようになった。これは窃盗だ…。ドルは(経済)封鎖の手段だ。なぜなら、ドルは国際通貨で、米国の銀行、あるいはいわゆる連邦準備制度を経由するからだ。こうしたドルの権威のもとにいるのだ…。

(西側諸国のロシアへの制裁とシリアへの制裁に関して)もちろん、発想は一つで、覇権主義、植民地主義、傲慢さだ。彼らは数十年前と同じように、世界が必要としているものすべてを持っていると考えている。だが、ロシア、中国、発展を遂げている多くの国々の状況は変わっている。我々は包囲されているが、基本的ニーズの多くは西側諸国からもたらされてはいない。我々はこれらの国との関係を絶った…。

(欧米諸国の制裁が現下のシリアの危機の唯一の理由かとの問いに対して)そんなことは決してない…。経済封鎖は問題の一部に過ぎない。なぜなら封鎖はコストを上げ、経済プロセスを鈍化させはするが、別のグローバルな理由があるからだ…。例えば、新型コロナウイルスがそれだ。西側は今、すべての問題をウクライナでの戦争、ロシアの政策の結果にしようとしている。だが、事実は違う。国内問題の一部は国外情勢だけでなく、国内での経済計画と関係がある。だから、戦争と関係がある理由、封鎖と関係がある理由、政府の計画と関係がある理由、経済全般と関係がある理由を区別しなければならない…。

我々は戦時下において、他国以上に汚職撲滅に取り組む必要がある。理由は簡単だ。戦争は国家機関を弱体化させ、国家機関が弱体化すると汚職が蔓延するからだ。これは当然のことだ…。シリアに限った問題ではない…。だが、もちろん、障害は多い。戦争そのものが障害だ。戦争で国家機関が弱体化することも障害だ。多くの改善が必要な行政機関において、もっとも重要な要因とは汚職撲滅だ。我々はこのプロセスを体系的に大なっている…。

(大統領選挙に際して)私は希望という言葉を提起した。なぜなら(国民の間に)フラストレーションがあったからだ…。(「希望は労働によって」という)スローガンは単なるスローガンではない。それは解決に向けた主題ではあるが、解決策ではない。待っていては希望をもたらすことはできない…。どんな人間でも希望を探すことは苦しみを伴う。解決策として生産がある。生産するためのツールは我々にはあるか? もちろん、ある。なければ、国家は続かない。シリアでは医療サービス…、教育…、支援は…レベルが低下しているものの…も依然として行われている。我々の政策に変更はない…。

我々は、基本的な原因なのか、あるいは何が生産をめぐって今日基本的な課題になっているのかを特定しなければならない。生産がすべての生活、サービスにかかる問題の解決策であると合意するなら、基本的な障害を見極めねばならない。基本的な障害とは電気だ。だから、昨年、さらには今年を通して、封鎖下において電力問題をどのように解決するかに基本的に注力してきた。そして、いくつかの解決策にたどり着くことができた。2022年は電力分野で改善が見られるだろうと言わせて欲しい…。問題は明白で、解決策も明白なのだ…。しかし天井を釣り上げてはならない…。なぜなら改善はあくまでも漸進的だからで…、開発分野での我々の前進を打ち砕こうとする試みがある。だが、我々はいかなる状況にも対処し、持続的な解決策を導き出す。それが戦争の一環だからだ…。我々には、シリアの開発に打撃を与えようとする外国からの試みのすべてに対抗する能力がある。

(政治改革は)別問題で、封鎖とは何ら関係がない。制憲委員会について話すなら、求められているのは憲法に至ることだ。憲法は…、シリア国民の願望、道徳、文化を、この社会にいる様々な階層や潮流の間の妥協策として表すものだ。このような結果に至りたいのであれば、シリア人どうしの対話について論理的に話さねばならない…。制憲委員会に関して、我々は二つの当事者について話している。第1は、シリア政府によって提案された当事者で、シリア政府を代表していなければ、職員でもなく、外交官でもないが、シリア政府の見解を代表しているとして合意されている。もう一方の当事者、トルコによって任命されている。論理的な質問になるが、どのように、シリアの当事者とトルコの当事者によってシリア人どうしの対話が成立するのか。ここに問題がある。だから、何も達成できない…。

(制憲委員会が大統領の権限を抑えようとしていることをシリア政府が恐れているのではとの見方に関して)問題はない。シリア憲法は、大統領、政府、あるいは与党の見解を表すものではない。シリア人の総意を表している。シリア人が合意するものは、いかなるものであれ正しい…。だから、制憲委員会が今、そして今後、あるいはそれ以外のいかなる状況においてでも至った事柄は、国民投票にかけられるべきだ。

(アサド大統領の存在に反対する者、してきた者は反逆者として扱われるとの批判があることについて)そんなことはない。シリアには法律があり、いわゆる「政治犯」はいない。政治犯という言葉は存在しない。あるのは、愛国的な公理だ。政治的自由が愛国的な公理に反することを意味するとの考え方に警戒しなければならない。我々がなぜ占領地をイスラエルに譲歩しないのかと聞いてくるものがいるだろうか? この問題は法律が追求されるべきもので、政治的な問題ではなく、愛国的問題だ…。。大統領に反対する勢力に関して言うと、今いる多くのシリア人が多くの政策において私に同意していない。個人、あるいは政府に反対することと、愛国的公理に背くことは別問題だ。大統領に反対する者は問題ないし、私個人に影響はない。

クルド人問題はこれとは異なっている。クルド人問題を、民族的な意味で捉えるなら、彼らは(クルド人)は歴史を通じてシリアに存在する民族的集団だ。この民族的集団の大部分は愛国的な人たちだ。だが、一部のアラブ人、あるいは一部の非アラブ人と同じように、彼らの一部は、自らを手先、とりわけ米国の手先としてしまっている。ここにおいて、問題は大統領や政治的反対に関わるものではなく、シリアの祖国統一に関わっている。数々の民族的集団はカントン制度、あるいは連邦制の枠組みのなかにいると問題提起することは、分割の始まりとなり、シリアの多様性を国民統合の枠組みのなかに位置づけることとは対照的である。シリアの多様性は、我々が積極的に位置づけている豊かさである。人種、民族、宗教、宗派の多様性はシリア社会の財産であり、その逆ではない…。

占領という問題は、どの国のいかなる占領であれ、あるいは侵略は、軍が強大であれば、それ自体が侵略になることはない。問題は、侵略者に協力する手先にある。問題はここにあり、シリアにも存在する。米国の代理として、米国の権力のもとで、シリア社会の統合に反するかたちで活動する勢力がいる。この場合、当然の反応として…、大多数の市民が占領や反逆に向かう逸脱を受け入れることはない。だからこれらの勢力と市民の間で紛争が始まった。買弁が行われる限り、占領者は強力であり続ける。だから、まずしなくてはならないのは、手先の一掃、弱体化だ。そうすれば占領者は自動的に出ていく。人民の抵抗が行われれば、それがあらゆる侵略に立ち向かう解決策になる。軍事的能力がなければ、人民の抵抗が解決策だ。

(トルコの占領への抵抗に関して)同じ枠組みで行われる。侵略が行われれば、第1段階として人民の抵抗が行われるだろう。もちろん、シリア軍が駐留する場所もあるが、シリア国内のすべての地域に展開はしていないからだ。軍事的な状況が直接対峙を許すのであれば、我々はそうする。これは2年半前に、シリア軍とトルコ軍の間で衝突が起きた際に実際に行われた。

(イドリブ県に関して)占領地として、シリアの軍事的、政治的な計画に従って、解決に向けて対処される…。トルコによる占領地であれ、テロリストによる占領地であれ、じきに解放されるだろう。

さまざまなアラブ諸国の複数の企業――国家ではないが――が、復興への参与の意志を表明した。もちろん、西側によって制裁がかけられているシリアで投資を行おうとする企業には圧力に晒される。だから、このプロセスはゆっくりしたものとなっている…。だが、我々がより広い意味で復興について話すなら…、現在の状況は、広い意味では復興を可能としている。それゆえ、復興は、小さな枠組みのなかであったとしても、自分たちの設備の復興を進める投資家、企業、個人によってすでに始められている。また、国家が一部大都市で、生活や経済にかかる基幹部門の復興を行っていることと関係している部分もある。

(アサド大統領のUAE訪問に関して)シリアはこれまと同じままで…、自らの方法、原則、ヴィジョンに従って対応している。だが、シリアとアラブ諸国の関係は戦時下でも、その内容において大きく変化はしていない。ほとんどのアラブ諸国は道義的にはシリアとともにあった。

外交団を引き上げても、関係は維持されていた。シリアへの好意的感情は維持されていた…状況は今も同じで、表面的な変化があるだけだ。それがより明白に見えるのは、おそらくは地域情勢や国際情勢が変化したらだ。

(シリアのアラブ諸国への憎悪の有無について)第1に、憎しみは弱さの証だ。第2に、憎しみは何ももたらさない…。第3に、我々は一部の国が犯した政治的過ちと、それらの国の国民を区別しなければならない。我々はアラブ・アラブ関係を切望している…。憎しみなどない。第4に、アラブ諸国にはそれぞれの状況がある…。多くのアラブ諸国はおそらく「いや」と言えない…。相手を非難しても何も結果はもたらされない。未来を見つめよう。すべての対話で我々はこう言っている。

(次回のアラブ連盟首脳会議がアルジェリアで開催されることに関して)この首脳会談の唯一の意義はおそらくはアルジェリアで開催されることにある…。(シリア・アルジェリア)両国民は信頼し合えるものがある…。だが、アルジェリアでの首脳会談にかかわらず、アラブ連盟について言うと、問題はシリアが復帰するかしないかではない。復帰という言葉は間違っている。なぜなら、シリアは今も連盟加盟国であり、加盟資格を凍結されているだけだからだ…。問題は、アラブ連盟が将来何をするかということだ…。。アラブ諮問の希望のために何を実現するかだ。過去30年間にわたってことを成し遂げたとは考えていない。過去10年で、リビア、シリアなどへの侵略を覆い隠してきた。問われるべきは、こうした方法を改めるのか、続けるのかだ。もし続ければ何も変わらない…。

我々アラブ諸国は、すべての問題において外国の圧力を受けている。我々は従属を続ければ、結果は変わらず、否定的なものとなる…。

(チュニジアでのアラブ連盟首脳会議への出席の有無について)どのアラブ諸国であっても訪問することを嬉しく思う。そのことは確かだ。だが、それは招待なしには行われない。アラブ諸国訪問を検討していることは当然のことだし、自明のことだ。なぜなら、アラブ諸国の状況が悪くても、我々は損害を最小限にし、さらなる衰退を回避しなければならないからだ。アラブ諸国、アラブ首脳との対話は基本的な問題だ。

(アラブ諸国との関係改善とイランとの友好関係のバランスについて)第1に、いかなる国であれ、シリアとの関係は、世界のいかなる勢力との議論には従わない。シリアが誰と関係を結び、誰と結ばないかを決めることができる者はいない…。誰も我々の決定に介入しないし、我々も彼らの決定には介入しない。この問題は議論の余地がないし、テーブルの上に提示されてもいない…。これはイランとの対話についても同じだ…。第2に、イランは重要な国だ。中東の安定について言うと、我々はこうしたすべての国との関係を必要としている。こうしたことを踏まえると、各国との関係のバランスについて話したいのであれば、その原則は間違っている…。

バランスという発想に基づいてはいない。なぜなら、バランスとは、対立し合う当事者がいて、我々がその間でバランスをとることを意味しているからだ。しかし、我々はそのようには見ていない。我々はこれらの国すべてと共通の利益があると見ている。必要なプロセスは関係のバランスではなく、開放だ、良い関係だ。

(サウジアラビアとの国交回復後、イランとの関係を仲介できるかとの問いに対して)もちろん…、良好な関係を持っている当事者どうしの間に意見の相違があれば、仲介役を担うことは当然だ…。だが、我々は今のところ、すべての当事者とこうしたあるべき関係を持ってはいないため、現時点ではできない。

(イスラエルと一部アラブ諸国が関係正常化したことに関して)まず、関係正常化という概念は間違っている。我々シリアは1990年代の中東和平プロセス開始以来、関係正常化という概念を拒否してきた。なぜなら…、正常化のプロセスは水のように障害なく進むものでなければならず、強制的であったり、人為的であったりしてはならないからだ。関係正常化とは人為的な言葉で、アラブ人にイスラエルに代償なしに譲歩させようとする狙いがある…。

我々は、和平プロセスと結びついたある通常の関係について話している。和平プロセスとは、権利回復と結びついている…。もう一つの側面として、我々はイスラエルと関係を持つことに反対している。それを関係正常化と名づけようが、他の呼称で名づけようがだ。エジプトが1970年代半ばにそれを初めてから、この瞬間にいたるまで、我々は同じ場所にいて、いかなるプロセスにも同意していない。一連のプロセスはシリアの観点では、シリアの大義に害を与えると考えている…。シリアの姿勢はゴラン高原という占領地がある限り変わらない。ゴラン高原が返還された時…、関係正常化ではなく、どの二国間関係にもある通常の関係がもたらされるだけだ。

(イスラエルによる度重なるシリアへの爆撃に関して)これは(関係正常化とは)異なった話題だ。ただ、同じ問題に最終的に修練するのだとすれば、それは、シリアに譲歩を迫ろうとするものである。しかし、イスラエルの介入は当初から、シリアでのテロリストの衰退と完全に結びついていた。なぜなら、我々にとってのテロリストとは、イスラエルの軍でからだ…。テロリストが衰退を始め、士気が低下した時、イスラエルはテロリストの士気を高め、再び活動させようとして介入しなければならない。今イスラエルによって行われていることは、こうした動きの一環で、それ以外の何ものでもない。

AFP, June 9, 2022、ANHA, June 9, 2022、al-Durar al-Shamiya, June 9, 2022、Reuters, June 9, 2022、SANA, June 9, 2022、SOHR, June 9, 2022などをもとに作成。

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