バアス党(正式名アラブ社会主義バアス党、1940年に秘密結社として結成され、1947年に政党として正式発足)はシリアの首都ダマスカスで第14回民族大会を開幕し、民族指導部メンバー、シリア地域指導部メンバー、レバノン、パレスチナ、ヨルダン、イラク、イエメン、スーダン、チュニジア、モーリタニアの代表、そしてシリア地域の中央委員会および検閲査察委員会メンバー多数が出席した。
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民族大会は、アラブ民族(アラビア語で「ウンマ」(أمة)全体の党活動を統括する最高執行機関の民族指導部を選出するための党大会で、1954年の第2回党大会で設置された。
なお第2回党大会では、各国(アラビア語で「クトル」(قطر)の党活動を統括する最高執行機関として地域指導部が設置され、シリア、イラク、イエメン、レバノン、ヨルダンといった一定規模の党組織を持つ国がそれぞれ地域指導部を持つことになった。
その後、バアス党はシリアとイラクで政権を掌握したが、両国の党組織はイデオロギー対立、権力闘争を激化させ分裂、民族指導部は、長らくシリアのハーフィズ・アサド前大統領とイラクのサッダーム・フサイン元大統領をそれぞれ書記長とする二つの指導部が併存した。
また、各国の地域指導部もシリアの民族指導部の傘下に身を置く指導部とイラクの民族指導部の傘下に身を置く指導部が併存した。
イラクの民族指導部は2003年のイラク戦争で崩壊、シリアの民族指導部は、ハーフィズ・アサド前大統領が死去して以降、書記長を選出しないまま事実上休止状態となっていた。
シリア側の民族大会が開催されるのは、1980年入り実に17年ぶり。
シリア地域指導部書記長兼中央委員会書記長を務めるアサド大統領は大会には出席しなかった。
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SANA(5月14日付)によると、党大会は、時代の変化や若者世代のヴィジョンや志向の変化に対応するかたちで、よりふさわしい組織体系を再構築することを目的とし、大会ではまず、アブドゥッラー・アフマル副書記長以下現民族指導部が辞表を提出、各国の代表全員から構成される「民族評議会」という新たな枠組みを設け、定期会合を通じた集団指導体制をとることが決定された。
また、第18回民族大会は「創設指導者ハーフィズ・アサド大会」と名づけられ、シリア地域指導部のヒラール・ヒラール副書記長が大会議長に選出、党の組織基盤、「民族評議会」の役割や権能についての審議が行われた。
大会議長を務めたハラール・シリア地域指導部副書記長は、この審議において、出席者に対して、「民族評議会」の次回定例会合で審議する「バアス民族憲章」に関する提案をあげるよう要請した。
AFP, May 14, 2017、AP, May 14, 2017、ARA News, May 14, 2017、Champress, May 14, 2017、al-Hayat, May 15, 2017、Kull-na Shuraka’, May 14, 2017、al-Mada Press, May 14, 2017、Naharnet, May 14, 2017、NNA, May 14, 2017、Reuters, May 14, 2017、SANA, May 14, 2017、UPI, May 14, 2017などをもとに作成。
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