サーリフ・ムスリム民主統一党(PYD)党首が『ハヤート』の単独インタビューに応じる「ダーイシュ(イスラーム国)は、他の誰かが目的を実現するために利用している破壊の道具だ」(2015年7月25~28日)

『ハヤート』は、7月25から28日までの4日間にわたり、西クルディスタン移行期民政局を主導するクルド民族主義政党「民主統一党」(PYD)のサーリフ・ムスリム共同党首に行った独占インタビューを連載した。

インタビューにおけるムスリム共同党首の主な発言は以下の通り:

al-Hayat, July 25, 2015

al-Hayat, July 25, 2015

Contents

7月25日付

「我々は、ダーイシュ(イスラーム国)が、他の誰かが目的を実現するための破壊活動に利用している道具そのものだと考えている…。ダーイシュのやり方は、イスラーム教にもカリフ制にも寄与しない。ダーイシュをはじめとする組織は、現状を破壊し、別の何かを作ろうとする計画の一部をなしている…。我々の経験から明らかなのは、ダーイシュが一日たりとも、一つの頭、一つの体の組織であったことはない、ということだ。クルド人に対抗するために利用されているダーイシュは当然、クルド時の敵がそれを動かしている。つまり、クルド人を根絶し…、クルド人が暮らす地域の人口動態を変更しようとしている者たちがである」。

「ダーイシュを指導、支援している主要な当事者とは以下の二つである。第1にクルド人地域の人口動態を変更し、クルド人を根絶しようとしている当事者、第2にシリアのクルド人地域で民主的に問題が解決することを恐れている当事者」。

「我々はこの問題(トルコとダーイシュの関係)に大いなる疑いを抱いている。(トルコがダーイシュを操っていることについて)多くの証拠もある。とりわけ、コバネ(アイン・アラブ)市へのダーイシュの攻撃に関して、国境監視を通じて、トルコ国境を渡ってダーイシュに参加した者がいるという証拠が出ている。トルコ軍とダーイシュが国境地帯で会合を持っていたという証拠もある…。タッル・アブヤド地域はトルコとラッカのダーイシュを結ぶ主要な通行所となっている」。

「正規軍(シリア軍、イラク軍)はダーイシュと戦うことができない。正規軍はラッカ、アイン・イーサー、そしてハサカでダーイシュに敗北してきた…。これに対して、人民防衛隊(YPG)は、イデオロギーや戦闘経験、そして士気といった点で、ダーイシュをしのぐ戦術を持っている…。シリア軍は恥ずべき状態だ…。ハサカ周辺の戦略的要衝を維持することもできなかった。もちろん、シリア軍には空軍や重火器があるが…、多くの場合、ダーイシュの攻撃には持ちこたえられない」。

「シリア軍との間で調整はなされていない…。時には交戦があり、犠牲者は出るが…、シリア軍はクルド人部隊を標的とはしない…。我々が一つの敵と戦っているのは事実だが、我々の存在、権利を未だに承認しようとしないシリア政府と一致協力することはあり得ない」。

「シリア軍の一部がダーイシュに武器を供与していることは疑う余地がない…。士官が関与しているかどうかは分からないが、ダーイシュの手に武器が渡るようにしている者がいる…。こうしたことが行われていなければ、なぜダーイシュはこれほどの武器を手にできようか」。

「トルコは、コバネが陥落するだろうと考えていた…。レジェップ・タイイップ・エルドアン首相(当時)は、「今日コバネが陥落しないとしても、明日陥落するだろう」とさえ言っていた…。彼らは…クルド人地域の人口動態を変更したいと思っているのだと思う。コバネはシリア国内のクルド人地域の中枢だからだ」。

「(コバネでの戦いにおいて)自由シリア軍は、ユーフラテス火山作戦司令室、ラッカ革命家戦線、北の太陽大隊などがいた。彼らはYPGとともに戦う小規模な部隊だった」。

「(西クルディスタン移行期文民局に関して)我々は、ジャズィーラ地区、コバネ、アフリーン地区という三つの地区を「強制的」に発足すると宣言した。なぜ「強制的」なのか?… それは、シリア情勢がどこに向かうかのイメージが存在しなかったからだ…。我々は住民が決め、合意することを尊重したい…。彼らが統合したいと決めれば、彼らの希望を尊重したい」。

「(YPGによる)民族浄化などまったく存在しない…。シリア革命反体制勢力国民連立はダーイシュを支持していた。この組織はダーイシュがどこかで敗北する度に、ダーイシュよりも前に悲鳴を上げてきた…。(民族浄化を調査するために)シリア革命反体制勢力国民連立が設置した委員会は、現地を訪問する前に民族浄化についての声明や非難を発表している…。エルドアンが疑いをかけた数時間後に、彼らが疑いかけてくる…。連立はイスタンブールにとどまっている限り、自由な見解を持つことはないだろう」。

「YPGの隊員の数は約5万人いる…。アサーイシュは数千人いる…。外国人隊員の存在はシンボリックなものに過ぎない」。

7月26日付

「YPGについて言うと、彼らは数ヶ月にわたって訓練を受け、自らの生活を自衛活動と結びつけているプロである。彼らは志願して隊員となっている。徴兵されている者もいるが、そうした者はYPGには所属せず、「自衛隊」と呼ばれている。すべての世帯から、1人が徴兵され、6ヶ月間教練を受け、武器を与えられ、その後、自分たちの村が攻撃に曝された場合に、村を守るため、家に戻されているのが「自衛隊」である。

「問題は、ダーイシュが自爆を選択しているということではない。問題は、彼らが近代的な兵器で攻撃するようになったということだ。彼らは近代的な兵器を持ってはいるが、遅れた知能ゆえに、何をするかの予測が困難なのだ…。剣で戦っていたような者が、知的・人間的な発展を身を委ねないままに、戦車、TOWミサイルで戦っている」。

「過激なイスラーム主義者が釈放されたため、ダーイシュは拡大したのだろう。シリアのムハーバラートがこれら過激派…とともに工作員を送り込み、ダーイシュを作り出したことは疑う余地がない。ムハーバラートはこうした活動の経験を持っているからだ…。ダーイシュ、そしてその姉妹組織もそうだ。シャームの民のヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動、タウヒード旅団もある…。シリアの工作機関がおそらく危険なゲームをしているのだ」。

「ダーイシュは一つの頭、一つの体を持つだけの組織ではないと思っている。例えば、クルド人を攻撃するダーイシュは、トルコの当事者と関係がある」。

「シリアが前の時代、つまり、一党支配、一民族…の支配に戻るとは思っていない…。我々は、民主的で分権的なシリアのために努力している…。ドゥルーズ派、アラウィー派、イスマーイーリー派、トルクメン、キリスト教徒…、これらすべての集団が自分たちで表現すべきだ」。

「一国民の運命を一個人(アサド大統領)の運命と結びつけることは完全に間違っている。この人物(アサド大統領)は、解決策を生み出す移行期のなかで周縁に追いやることができる。シリア革命反体制勢力国民連立は2011年に、アサド大臣を条件とした。これは解決を望んでいないことを実質的に意味する。我々はカイロでの会合で反体制派に、大統領を6ヶ月間残留させたかたちでの移行期を6ヶ月設けるとの文言を提案した。しかし、一部の反体制派がこれを拒否した。勢力バランス、解決策の実行可能性を踏まえて現実的に対処しなければならない」。

「こんな状況が起きてしまった今となっては、アサドがシリアの未来を担うとは思っていない。しかしこうしたことを決める権利は国民にあると言わせて欲しい。個人的にはアサドが残留することは不可能だと思っている。シリア国民がそれを受け入れるとは思っていない。あるいは、彼が残留することで戦争が終わるとは思っていない」。

「(もしシリア軍が)新たなメンタリティと新たな条件をもって(クルド人地域に)戻ってきたら、なぜそれを拒否するのか? YPGはシリア軍の一部だ。しかし、軍がバアス主義的、ムハーバラート的なメンタリティのまま戻ってきたら、決して受け入れることはできない」。

「シリア・アラブ共和国は我々にこれほどまでの苦難を与えてしまった。すべての社会成員を包摂するようなシリア民主共和国を試してみたい」。

(クルディスタン労働者党(PKK)に所属していたか、との問いに対して)「私は支持者のままだった…。しかし、イデオロギー的な面でPKKの影響はもちろん受けている。世界が変わったということは留意すべきだが、我々は社会民主主義を主唱している。我々は民主主義の欠如が社会主義陣営衰退の原因の一つだと考えている」。

7月27日付

(欧米諸国の支援はあるか、との問いに対して)「直接支援はない。しかし、欧州のNGOが我々を支援してくれている。多くの場合、それは人道支援だ…。武器はブラック・マーケット、そしてクルド組織、ペシュメルガ、PKKから手に入れている」。

「我々は、トルコの当局がダーイシュと協力し合っていると思っている…。トルコとダーイシュの関係は一貫して曖昧なものだ…。一方、シリア政府は、我々がダーイシュの攻撃に曝されていても、介入しないことがある…。シリア政府はおそらく目を反らしているのであろう。しかし、シリア政府に正統性があるのなら、市民を守らねばならないはずだ…。私はこの点が重要だと思っている。なぜなら、我々は、シリア政府が市民を守ることができないのなら、正統性はないと考えているからだ…。私はシリア政府が正統性を失っていると思っている。政府は我々のために何も守ってはくれなかったし、何もしてくれなかった」。

「シリア政府との間に政治的な関係は皆無だ」。

「我々は分離を主唱しているのではない。我々がシリア政府と戦ったとしても、分離はしない…。我々は国民の利益を考えており、国民のためになることを実践する。我々は自分たちの考え、データに基づいて行動するのであって、他人から命令を受けることはない」。

「トルコは、自国の隣に民主的なシリアが成立することを望んでいない。トルコはまた、シリアのすべての社会集団が民主主義を享受することを望んでいない。だから、自らの利益に従って指示を下すため、これらの反体制派(シリア革命反体制勢力国民連立)を保護したのだ…。陰謀はシリア革命当初、すなわち2011年6月のアンタルヤでの会合以来存在していた…。トルコは民主的体制がシリアに広まることを恐れている…。それは、クルド人、シリア正教徒、アラウィー派…、ドゥルーズ派、キリスト教徒…が民主的権利を得ること、そしてこれらの宗派が自由になること…を意味するが…、トルコでは、シリア正教徒、アルメニア教徒…、クルド人…の文化が禁止され、権利が禁止されている」。

「トルコは、ダーイシュをシリア、さらには地域全体で破壊のための道具として利用し、破壊後に自分たちが作りたい者を作ろうとしている。ただ、ダーイシュを作り出し、その活動に影響力を行使している当事者は一つだけではない…。シリア政府とダーイシュとの関係は曖昧だが、ダーイシュの活動の一部がシリア政府に資していることだけは疑う余地はない…。例えば…ダーイシュとその姉妹組織との紛争がそうだ」。

「シリア革命反体制勢力国民連立の一部がダーイシュを支援していることは明らかだ。クルド人と戦うダーイシュは、連立の一部から全面支援を受けている」。

(自由シリア軍が終わったと思うか、との問いに対して)「いいえ、自由シリア軍は存在する。しかし、非常に弱小だ。彼らはもともとは、国民のために民主主義、世俗主義、自由をめざす離反兵からなっていた。しかし、現地でこのような勢力はあまりいない。小規模な部隊、グループの一部が我々と共闘しており、我々は彼らと調整の用意がある…。自由シリア軍が皿フィー主義者、ヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動などになることはあり得ない。自由シリア軍はこうしたサラフィー・ジハード主義イデオロギーを遠ざけている諸部隊だ」。

(イスラーム教スンナ派のアラブ人との間に問題はあるか、との問いに対して)「我々は誰との間にも問題は抱えていない。宗教を政治に利用するすることを遠ざければ、すべての問題は解決する」。

7月28日付

「イランのクルド人は抑圧されており…、自らの伝統、文化を自由に実践できない。彼らの政治的関係も抑圧されている…。もし問題が民主的に解決されなければ、事態は暴発するだろう…。トルコでも問題は同じだ」。

(これまで暗殺未遂に遭ったことはあるか、との問いに対して)「いいえ。なぜなら私は貧乏人なので、暗殺される理由などないです…。しかし犠牲になってきた国民が、シリアにおいて役割を演じているのです」。

「私の息子のシャルファー(アラビア語で戦闘員の意味)は、コバネで戦死した。彼はYPGに従軍しており、狙撃手としての訓練を受け、コバネで活躍していた。10月9日に、狙撃され22歳で戦死した…。私には息子が4人、娘1が人いる。今は息子3人と娘1人です」。

(シリア国内に行くことはあるのか、との問いに対して)「もちろんです。1ヶ月前もそこにいました…。私はトルコには正式に招聘されなければ行きません。私は通常はイラク・クルディスタン地域を経由してシリアに入ります」。

「バアス党にすべての責任がある。バアス党に、シリア、イラク、そして中東全体の破壊の責任がある…。私は誇張して言っているのではない…。アラブ世界におけるバアス党の実験は悲劇だ…。バアス党にはまた、ダーイシュのような潮流が出現したことの責任がある。ダーイシュとは過激な宗教思想と民族主義的ショービニズムの結節点だ。その証拠にサッダーム・フセインの軍の士官らがダーイシュにおいて指導的な地位を占めている。サッダームの士官少なくとも80人がダーイシュの戦闘に参加していると聞いたことがある…。シリアでは…、バアス党は国を刑務所にしてしまった。国をスローガンやムハーバラートの力で運営した。バアス党は国家という考え方を破壊し、社会的な調和を破壊した」。

(2012年6月のジュネーブ合意が問題解決の基礎をなすか、との問いに対して)「はい、問題はジュネーブ合意に基づいて解決され得る」。

「ロシアは政治的解決を呼びかけるその言葉を何ら変えてはおらず、そのなかでクルド人の権利を保障するように言っている。しかし、政権はロシアの忠告に耳を貸さず、その手法を変えることなく、力に頼ろうとした」。

「イランを訪問して、イラン外務省の高官とあったが、我々を政権側につかせようとしていることは、彼らの話から明らかに思えた…。しかしこれは無理だ。我々を承認しない政権をなぜ支持できるのか?」

al-Hayat, July 26, 2015、July 27, 2015、July 28, 2015、July 29, 2015をもとに作成。

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