SANA(12月20日付)は、ヒズブッラーのメンバーで、約30年間(1979年に捕捉)のイスラエルでの投獄生活の末に2008年の捕虜交換で解放されたサミール・クンタール氏が19日晩、ダマスカス郊外県ジャルマーナー市南部にある住宅街に対する「テロ砲撃」で死亡した、と伝えた。
この砲撃では、クンタール氏のほかにも複数人が死亡したという。
これに関して、人民議会は声明を出し、クンタール氏殺害について「シリアと地域が曝されているテロは、イスラエル占領政体を筆頭とする欧米および中東地域諸国が指導するシオニスト・タクフィール主義という一つのテロだ」と非難し、イスラエルの関与を断じた。
一方、ヒズブッラーはマナール・チャンネルを通じて声明を出し、クンタール氏がイスラエル軍の空爆で殺害されたと断じた。
声明において、ヒズブッラーは「19日午後10時15分、シオニストの敵機がダマスカス郊外県のジャルマーナー氏の住居ビルを空爆し、イスラエルの刑務所での投獄後に釈放されたレバノン人捕虜の中心人物であるレジスタント、ジハード戦死のサミール・クンタール氏と多くのシリア人住民が殉教した」と発表した。
また、ウムラーン・ズウビー情報大臣、バアス党シリア地域指導部、そしてレバノンのエミール・ラッフード元大統領、シリア民族社会党アスアド・ハルダーン党首、レバノン民主党タラール・アルスラーン党首、アマル運動政治局、シーア派イスラーム評議会アブドゥルアミール・カバラーン副議長、ドゥルーズ派のナスルッディーン・ガリーブ師(シャイフ・ムワッハディーン)、PFLP-GC、ファトフ・インティファーダ派、バアス党イエメン地域指導部、イラン外務省が、イスラエルの越境空爆を非難するとともに、クンタール氏の死に哀悼の意を表明した。
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『ハヤート』(12月21日付)によると、ダマスカス郊外県への空爆に関して公式声明を発表していないが、対レバノン国境地帯での厳戒態勢を強化したという。
また、クンタール氏の死亡が報じられた数時間後、レバノン南部(カリーラ村)からカチューシャ・ロケット弾3発がイスラエルに向けて撃ち込まれたが、イスラエルのメディアによると死傷者、物的被害はなかったという。
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なお、9月30日にロシア軍がシリア領内での空爆を開始した直後の10月15日、ラタキア県フマイミーム航空基地に本営を構えるシリア駐留ロシア空軍とイスラエル軍は、ホットラインを開設し、シリア領空での飛行に関する情報交換をしており、以降、イスラエル軍は、10月30日、11月12日、11月24日、12月4日にシリア領空のヒズブッラー拠点やシリア軍拠点を攻撃するなど、越境空爆を頻発化させている。
また、クンタール氏が攻撃を受けた同市内の建物に滞在していた情報をイスラエル軍(ないしは反体制武装集団)がどのように入手したかは不明。
ジャルマーナー市はダマスカス県とダマスカス国際空港の間に位置する都市で、シリア政府支持者が多く暮らしている。
AFP, December 20, 2015、AP, December 20, 2015、ARA News, December 20, 2015、Champress, December 20, 2015、al-Hayat, December 21, 2015、Iraqi News, December 20, 2015、Kull-na Shuraka’, December 20, 2015、al-Mada Press, December 20, 2015、Naharnet, December 20, 2015、NNA, December 20, 2015、Qanat al-Manar, December 20、Reuters, December 20, 2015、SANA, December 20, 2015、UPI, December 20, 2015などをもとに作成。
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