SANA(6月28日付)は、大統領府筋の話として、「副大統領補ムハンマド・ナースィーフ(・ハイルベク)退役少将は今朝、難病の末に主の側に召された」と発表、同補佐官が死亡したと発表した。
ムハンマド・ナースィーフ・ハイルベク氏は、1936年生まれ。ハマー県ラクバ村出身、アラウィー派の名望家の出。
ハーフィズ・アサド前政権時代の1970年代半ば以来、総合情報部次長兼同内務課長として同部を実質的に統括。
1999年4月に定年により次長職と内務課長職を解かれ、退役。その後同年9月、総合情報部次長に就任(復職)。
2006年2月、ファールーク・シャルア外務情報政策担当副大統領の補佐役となり、同年4月に正式に同副大統領補に就任。
ハーフィズ・アサド前大統領時代以来、ヒズブッラー、アマル運動、そして両組織と関係が深いイランといったいわゆる「シーア派ファイル」を担当。
レバノン日刊紙『ディヤール』(2010年12月27日付)によると、2010年末に脊髄の手術を受けるなど、シリア、レバノンの病院で闘病生活を送っていた。
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Elaph(6月28日付)は、信頼できる消息筋の話として、ファールーク・シャルア前大統領が自宅軟禁状態に置かれたと報じた。
同消息筋によると、アサド大統領は、ムハンマド・ナースィーフ副大統領補の死去を受けるかたちで、「側近以外に大統領自身が犯した罪を目撃した者を抹殺する必要がある」と考えており、真偽はともかく、シャルア前副大統領の暗殺すら決定したという。
AFP, June 28, 2015、AP, June 28, 2015、ARA News, June 28, 2015、Champress, June 28, 2015、Elaph, June 28, 2015、al-Hayat, June 29, 2015、Iraqi News, June 28, 2015、Kull-na Shuraka’, June 28, 2015、al-Mada Press, June 28, 2015、Naharnet, June 28, 2015、NNA, June 28, 2015、Reuters, June 28, 2015、SANA, June 28, 2015、UPI, June 28, 2015、http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/aljabal/biladalsham/syria/m/02_02.htmなどをもとに作成。
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