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アサド政権の動き
バッシャール・アサド大統領は人民議会で国民に向けて演説を行った。大統領の演説したのは、シリアの各都市で反体制デモが始まって以降初めて。
アサド大統領は、シリアが「大きな陰謀に曝されており、その糸は遠い国々や近隣諸国から伸び、その何本かはすでに祖国に至っている。この陰謀はアラブ諸国で起きていることの形式ではなくタイミングを利用している」と警鐘を鳴らした。
そのうえで「暴動の鎮圧は国民的、道徳的、合法的義務であり、鎮圧に寄与できるのに何もしない者はすべて暴動の一部をなす」と明言した。
大統領は「何者かが暴動、改革、日々のニーズを混同した」と指摘した。
また改めて改革への支持を表明しつつ、「最速ではなく最善をめざす、我々は急ぎたいが、急かされたくはない」と述べた。
そのうえで「危機的状況は、それを制御でき、勝者として脱却できれば、良いことである」と続けた。
アサド大統領は「シリアは大きな陰謀に曝されている…。彼らは非常に巧みに暴動、改革、日々のニーズという三つの要素を織り交ぜている。大多数のシリア国民は改革を求めている。大多数のシリア国民にはいまだ応えられていないニーズがある…。しかし暴動がこうした問題に介入し、改革と日々のニーズという二つの要素を支配し、それを覆い尽くし始めた。はじめは善意で街頭に出ていた人々が容易に欺かれたのはそのためである。我々は街頭に出たすべての人々が陰謀者と言うことはできない。なぜなら陰謀者は常に少数だからである」と述べた。
一方、政党法と非常事態(解除)法の草案は以前からあったとし、「我々は遅れてしまった。否、遅からずこの問題を国民の判断に委ねるだろう。しかしそもそも我々がこれらの改革を望んでいなかったなら、2005年に改革を実行せず、今日圧力のもとで改革を実行する」という問題ではないとしたうえで「問題はルーティーン、怠慢、遅延に関わる問題である」と述べた。
さらに「改革が肯定的であることは疑う余地のないことだが、重要なのは、我々がこの改革の内容を知ることにある。我々は正確には何を計画してきたのか?まもなく選挙が実施されるだろう新しい人民議会があり、地方自治体の選挙があり、現段階で総辞職しようとした内閣がある。バアス党地域大会もある。我々は2011年に新たな血導入されると考えていた。これらの新たな血が新たな段階への至らねばならないのである」と付け加えた。
また次のようにも述べた。「改革はファッションではない。それが地域に及ぶ波を反映しているものに過ぎないなら、その内容のいかんにかかわらず壊滅的だと言える…。障害はない。延滞はない。反対者もいない。反対する者は利権を握り腐敗した者だ。貴方たちは知っているはずだ。そうした一握りの人々が存在したが今はもういないことを…。現在挑むべきは、我々が到達しようとしている改革の質がどのようなものになるのかということに関わっている。また我々は、逆効果にならないよう一過性の現状に改革の作業を従属させることを回避せねばならない。基本的な挑戦とは、いかなる改革を我々が望むかということに関わっている。近く提示される法律をめぐって議論を始める際にシリア人として創意工夫が行われるだろう」。
また、戒厳令解除、政党法、情報法など先週木曜日(3月24日)に宣言された政策実施の決意に関して、「挙国一致、腐敗撲滅、情報、就労機会増大」に関わる措置が検討終了後に実施・宣言されるだろう」と述べ、「前内閣はそれを開始し、新内閣ではそれが優先事項の一つになる」と明言した。
また「人民議会で今、日程を宣言するよう求める者もいるが、いかなる問題であれ日程発表は技術的なものである」と続けた。
アサド大統領はさらに「暴動の鎮圧は国民的、道徳的、合法的な義務であり、鎮圧に寄与できるのに何もしない者はすべて暴動の一部をなす」と明言した。
聖コーランにも書かれている通り、「騒擾は殺人よりもっと悪質であったのだ」。「意図しようがしまいがそれに関与する者はみな、祖国での殺戮に荷担している。また中庸な立場をとる者にも居場所はない。問題は国家ではなく祖国に関わるものだ。陰謀は大きく、我々は戦いを望んでいない。シリア国民は平和と友愛を好む国民である。しかし我々は我々自身の大義、国益、原則の防衛に一時たりとも躊躇しない。もし我々が今日戦わねばならないのであれば、喜んで戦おう」と明言した。
アサド大統領の演説の全文はhttp://www.sana.sy/ara/2/2011/03/31/339278.htmを、英語訳はhttp://www.sana.sy/eng/21/2011/03/30/339334.htmを参照。
反体制運動
アサド大統領が人民議会での演説を終え、議事堂前から車で立ち去ろうとした際、女性が大統領に近づき、その場が混乱する映像がシリア・アラブ・テレビによって配信される。http://www.youtube.com/watch?v=oyS3WkwZAjMを参照。
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AFP(3月30日付)は、アサド大統領の演説後、約300人が不満の意を表明すべくラタキア県ラタキア市でデモを行った。
市内の複数の目撃者によると、「平和と自由」というプラガードを掲げたデモ参加者に治安部隊が発砲、排除した。
しかし、複数の目撃者によると、軍も現場の近くに展開したが介入はしなかった。
一方、住民によると、1台の車が集会現場の近くを通り過ぎる際に発砲したとのことだが、その真偽は定かでない。
環境社会開発センター所長でジャーナリストのイサーム・フーリー氏はAFP(3月30日付)の電話取材に対して、「(ラタキア市南部)のスライバ地区で複数の銃声が聞こえたが、詳しいことは分からない」と述べた。
シリア・アラブ・テレビ(3月30日付)はラタキア市で「武装集団」が発砲したと報じたが、詳細については明らかにしなかった。
ロイター通信(3月30日付)は発砲で負傷者が出たと報じ、BBCアラビア語放送(3月30日付)は複数が死亡したと伝えた。
「アフバール・シャルク」(3月30日付)によると、ラタキア市では、スライバ地区などで抗議の座り込みが恒常化している、という。
シリア人権委員会は声明を出し、ラタキア市で25人の市民が殺害されたと非難した。
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ダルアー県ダルアー市でも、アサド大統領の演説直後に不満の意を示すデモが発生する。「アフバール・シャルク」(3月30日付)によると、数千人が参加。
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ハイサム・マーリフ弁護士はAFP(3月30日付)の取材に対して、アサド大統領の演説が「何も言っていない。前にも聞いたことがある。彼らはいつも変革の必要があると言い、何かしなければならないと言うが、実際には何も起きない」と述べ、失望感を露わにするとともに、今後もデモは続くだろうと述べた。
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シリア・クルド進歩民主党(アブドゥルハミード・ダルウィーシュ派)はに声明を出し、アサド大統領の演説内容を不十分と非難、すべての政治犯の釈放、非常事態解除、国籍を剥奪されたクルド人の権利回復、政党法制定を求めた。
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ミシェル・シャンマース弁護士はAFP(3月30日付)に対して、3月16日の内務省前で抗議行動を行い逮捕されていた政治犯家族のうち7人が保釈金7,000SPを支払い、釈放されたと述べた。
釈放されたのは、ナーヒド・バダウィーヤ氏、バドルッディーン・シャッラーシュ氏、バシャル・ジャウダト・サイード氏、サアド・ジャウダト・サイード氏、ナーラト・アブドゥルカリーム氏、ディヤーッディーン・ダグマシュ氏、ナスルッディーン・イフミー氏。
諸外国の動き
米国高官は、アサド大統領の発言に対する第一声として、「国民が要求し、アサド大統領の顧問が実施を提案した改革に応えるものではなかった」ことで、「シリア国民が失望」しただろうとの立場を示した。
そのうえでアサド大統領に改革に向けた「具体的措置」実施と、政府・国民間の「対話」開始を呼びかけた。
また「シリア国民が最終的には、我々が(アサド大統領の演説で)聞いたことを評価する。政府が国民の要求に応え、政治、経済、社会改革の呼びかけに耳を傾けるべく前向きな動きを示すのかを」と述べた。
そのうえでアサド大統領が演説で「早急に2005年に約束した改革に向かって」行動すると誓約したと指摘し、大統領には「国民に対して、この言葉とどのような意味を持ち、この約束に沿って具体的な政策・行動をとり、改革のアジェンダを実現する責任がある」と述べた。
さらに「暴力はシリア国民の不満解消の答えではない。求められているのは、政府と国民の意味のある対話だ。政治敵変革の道のりは、さらなる自由、さらなる機会、そして公正をシリア国民にもたらすだろう」と付け加えた。
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『サフィール』(3月30日付)はレバノンのミシェル・スライマーン大統領がアサド大統領と数度にわたって電話会談を行い、アサド政権への支持を表明したと報じた。
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レバノンのナビーフ・ビッリー国民議会議長は、在ベイルート・シリア大使館からレバノンのすべての政治指導者たちに、最近のシリアのデモにレバノンの政党・政治家が関与していると伝えられたとしたうえで、「このようなことは受け入れられず、シリアとレバノンの治安が維持されるべ対処されるべきである」と述べた。
またビッリー議長はアサド大統領と電話会談を行い、「シリア情勢は既に安定しており、今後もアラブ性の砦たりつづけるだろう…。(アサド政権は)シリア国民だけでなく、アラブ世界全体の立場を代表している」と述べた。
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レバノンの3月14日勢力執行部は声明を出し、シリアのデモに干渉しているとの一部報道を否定した。
AFP, March 30, 2011、Akhbar al-Sharq, March 30, 2011、al-Hayat, March 31, 2011、Kull-na Shuraka’ , March 30, 2011、Naharnet.com, March
30, 2011、al-Safīr, March 30, 2011、SANA, March 31, 2011などをもとに作成。
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