シリアの反体制派の重鎮リヤード・トゥルク氏(93歳)が滞在先のパリで死去した。
死因は不明で、娘のニスリーン・トゥルク氏がフェイスブックを通じて父に別れの言葉を送ったほか、シリア民主人民党、反体制系メディア、活動家らがSNSなどを通じて弔意を示した。
トゥルク氏は1930年ヒムス県ヒムス市生まれ。
若くしてシリア共産党に入党、1967年にパレスチナ解放とアラブ統一を世界革命に優先することを主唱し、ソ連の後押しを受ける党主流派と対立、離反して、シリア共産党政治局派として反体制活動を続けた。
その活動ゆえに、アディーブ・シーシャクリー政権下の1952年、エジプトとの合邦期の1960年に逮捕を経験、またバアス党政権下では、ハーフィズ・アサド政権下の1980年に逮捕・投獄された。
投獄中の拷問で片耳の聴力を失った。
1998年5月30日に、ハーフィズ・アサド大統領(当時)の恩赦を受けて、釈放されると、反体制活動の再開を模索した。
だが、1999年9月7日、ラタキア市某所で本サイト主催者である東京外国語大学教授の青山弘之氏(当時JETROアジア経済研究所研究員)が面談した際、トゥルク氏は、以下の通り述べ、反体制運動の低迷ぶりを悲嘆していた。
シリア国民は三つのカテゴリーに分けられる。かつて自らが与した運動は挫折したという口実のもとに、現実を直視しない者。自分の政治的願望は他の誰かが実現すると確信して、運動に参加しない者。そして、政治や経済への不満を日々、身近な人々に漏らしているにもかかわらず、部外者の前では閉口する者、である…。卓越した政治手腕を発揮してきたハーフィズ・アサドの存命中は抵抗運動をモラトリアムする、という暗黙の合意が、反対勢力全ての間でなされてしまったかのようだ。
2000年6月にハーフィズ・アサド大統領が死去し、次男のバッシャール・アサド氏が後継大統領になると、「体制の私物化」を非難、「ダマスカスの春」、「第2次ダマスカスの春」といった反政府・反体制活動に参加、2001年から2003年に逮捕・投獄された。
「アラブの春」がシリアに波及して以降、国内で反体制活動を続けたが、2018年にトルコに脱出、その後フランスのパリに移った。
2020年にBBCのインタビュー番組に出演し、そのなかで、シリアの反体制派が体制打倒という目的の実現に失敗、活動家が、アサド政権が倒れなかったからではなく、諸外国がシリアの趨勢を握るにいたったがゆえに絶望しているなどと述べていた。
AFP, January 1, 2024、ANHA, January 1, 2024、‘Inab Baladi, January 1, 2024、Reuters, January 1, 2024、SANA, January 1, 2024、SOHR, January 1, 2024などをもとに作成。
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