最高憲法裁判所のムハンマド・ジハード・ラッハーム議長は記者会見を開き、同裁判所が大統領選挙への立候補届を受理した立候補者3人の審査を終え、3人の申請に法律上の不備がないことを確認し、正式にこれを受理したと発表した。
ラッハーム議長はまた、立候補届の受理にかかる最高憲法裁判所の決定に対して6件の異議申し立てが行われたとしたうえで、裁判所がその内容を精査、これらすべてを却下したことを明らかにした。
なお、選挙活動期間は5月16日から24日まで、投票は5月26日に予定されている。
**
最高憲法裁判所は、立候補届が正式に受理された3人の立候補者の略歴を発表した。
発表された3人の略歴は以下の通り:
**
アブドゥッラー・サッルーム・アブドゥッラー氏
1956年アレッポ県生まれ。法学士。統一社会主義者党アレッポ支部学生局、生活局での勤務を経て、1993年に同党中央委員会委員に就任。2001年に同党ダマスカス支部指導部メンバーとなり、指導部書記長に就任。2002年に同党政治局員に就任。1985年から2005年にかけてシリア学生国民連合執行局メンバーを務め、在任期間中、アラブ諸国における会議や国際会議でシリア・アラブ共和国の代表を務める。人民議会では、2003年から2007年の第8期(旧憲法)人民議会議員、2012年から2016年の第1期(現行憲法)人民議会議員を務める。2016年から2020年には人民議会担当国務大臣を務める。既婚。2女3男の父。
**
バッシャール・ハーフィズ・アサド博士
1965年9月11日ダマスカス県生まれ。ダマスカスの殉教者バースィル・アサド学校(旧ラーイーク学校)で学んだのち、1982年にイフワ学校で高等教育を修了。1979年にバアス党に入党。ダマスカス大学医学部に入学し、1988年に卒業。大学3年次に軍武装部隊に志願。医学士取得後、1992年から1994年にかけてティシュリーン軍事病院で医学を専攻し、研修を行う。その後、英国の専門病院(ウェスタン・アイ病院)で研修と研究を続ける。帰国後は、軍の道に進み、機甲科をはじめとする多くの課程を修了するとともに、軍務および医務に従事する。1996年から2000年にかけてシリア情報科学協会(SCS)の会長を務め、シリア社会への情報文化の普及に努める。また在任中に国民情報プログラムを開設し、シリアでテクノロジーの活動を拡大するため、無償での研修センターを開設するなどして、すべての人がインターネットにアクセスできる環境作りに努める。2000年7月にシリア・アラブ共和国大統領に選出され、2012年に施行された新憲法のもと、2014年には複数の候補者との選挙戦に勝利し、大統領に就任している。既婚。2男1女の父。
**
マフムード・アフマド・マルイー氏
1957年ダマスカス郊外県生まれ。1993年にダマスカス大学で法学士を取得。1993年に弁護士組合に弁護士として登録。シリア・アラブ人権機構の創設者の一人で、2010年まで同機構理事会の会長を務める。民主的変革国民調整委員会創設者の一人で、同委員会の執行局メンバーと青年局長を2年にわたって務めるが、2012年に委員会を退会する。アラブ社会主義連合民主党の政治局メンバーを務めていた。2012年には「民主主義のためのシリア人」潮流を結成。2012年以降、現在に至るまでシリア連邦副議長を務める。また2014年以降、現在にいたるまで国民民主行動委員会の書記長を務める。シリア政府と反体制派の対話が行われた「モスクワ1」、「モスクワ2」に出席。ジュネーブで開催された数々の会合に、国内の反体制派の使節団として参加、シリア人どうしの対話ラウンド(制憲委員会)に出席した。2018年には野党のシリア民主戦線の書記長に就任した。同戦線は、6つの組織(認可を受けている政党、未認可の政党、そして無所属の個人)からなる。既婚。5男の父。
**
SANA(5月10日付)が伝えた。
AFP, May 10, 2021、ANHA, May 10, 2021、al-Durar al-Shamiya, May 10, 2021、Reuters, May 10, 2021、SANA, May 10, 2021、SOHR, May 10, 2021などをもとに作成。
(C)青山弘之 All rights reserved.