シリア大統領府のテレグラムの公式アカウント(https://t.me/SyrianPresidency/)は、辞任したアサド大統領のシリア出国に関する声明を発表した。
声明はアラビア語と英語で発表された。
フェイスブックの公式アカウント(https://www.facebook.com/SyrianPresidency/)でも公開されたが、発表から約30分後に、10月24日以降の投稿と併せて削除された。
声明の内容は以下の通り。
シリア出国に関するバッシャール・アサド大統領声明
モスクワ:2024年12月16日
テロがシリアに拡大し、2024年12月7日土曜日の夜までに首都ダマスカスに達したことを受け、大統領の行方や所在についての疑問が浮上し、真実からかけ離れた誤情報や噂があふれ、国際テロリズムが「シリア解放革命」なるものを仕立てるプロセスを支えることになった。
祖国にとっての歴史的な分岐点において、真実には居場所があるべきで、簡潔な声明を通じて説明が必要となることがある。こうした状況、そして安全上の理由でその後の連絡が完全に途絶えてしまったことが、説明を不可能とし、簡潔に要点を述べるだけでは十分なものとはならない。だが、後に機会が訪れれば、すべての詳細を明らかにするつもりだ。
まず始めに、私が計画的に国を離れたというのは事実ではない。また、戦闘の最後の数時間で国を離れたという噂も誤りだ。私は12月8日日曜日の早朝までダマスカスに留まり、自らの責務を果たし続けた。ダマスカスにおけるテロの拡大に伴い、ロシアの友人たちとの調整し、ラタキアに移動し、戦闘状況を追跡しようとした。だが、フマイミーム航空基地に到着した朝、軍の撤退が確認されたのである。
全戦線が崩壊し、軍の最後の拠点も陥落した。軍の状況は悪化を続け、ロシア軍基地への無人航空機の攻撃も激化した。基地からどの方面にも脱出できなくなった状況下で、モスクワは基地の指揮官に対し、12月8日日曜日の夜、ロシアへの避難路を即時に確保するよう指示した。これは、ダマスカス陥落の翌日である。最後の軍事拠点が陥落し、その後、国家機関は完全に機能停止に陥った。
一連の出来事の間、亡命、あるいは退任について、私自身からも、そしていかなる個人、勢力からも提案されることはなかった。唯一の選択肢は、テロの攻撃に対抗するため防衛戦を継続することだった。
この文脈で強調したいのは、戦争が始まった日から、自身の安全のためだと言って、救済すべき祖国を売り渡すことを拒否した者、そしてさまざまな誘惑や提案に妥協するのを拒否した者。彼らこそが、もっとも激しく危険な戦闘地域でテロリストと数十メートルの距離で対峙した最前線の将兵らを支え続けてきた者だということだ。こうした者こそが、家族や国民とともに、砲撃のなかであっても、そして首都へのテロリスト侵攻の危機が迫っていても、逃げ出さなかった者なのだ。
14年に及ぶ戦争の間、パレスチナやレバノンでのシリア以外の人々の抵抗、そして自らを支えてくれた同盟者を見捨てなかった者は、自らが帰属する国民を裏切る者になることも、国民、そしてその軍を裏切る者になることもないだろう。
私は、これまで一日たりとも地位や個人的な役職を求めたことはない。私は愛国的プロジェクトの担い手であり、これを信じる国民からによって支えられてきた。この国民が、自らの国家を維持し、自らの国家機関と自らが選んだものを最後の瞬間まで守る意志と能力を持っているを確信してきた。しかし、国家がテロの手に陥ち、何も提供できなくなってしまえば、地位というものは空虚で意味のないものとなる。それを担ってきた者がそこに留まる意味もない。これは、いかなる状況においても、シリアとその国民への真の愛国的帰属を放棄することを意味しない。それは地位や状況に左右されない確固たる帰属意識であり、シリアが自由で独立した国家として復活することへの希望に満ちた帰属である。
完
AFP, December 16, 2024、ANHA, December 16, 2024、‘Inab Baladi, December 16, 2024、Reuters, December 16, 2024、SANA, December 16, 2024、Sham FM, December 16, 2024、SOHR, December 16, 2024などをもとに作成。
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