『クドス・アラビー』(10月6日付)は、イスラエルのレバノン攻撃激化を受け、イドリブ県に帰還したシリア難民の避難の経緯をインタビューなどをもとに報じた。
それによると、イドリブ県ビンニシュ市出身で、2011年にシリア軍の砲撃を避けてレバノンに避難、子ども2人とともに滞在していた首都ベイルート南部郊外のブルジュ・バラージナ地区から避難したというマイサーを名乗る女性は、アレッポ県とイドリブ県の出身の知人や隣人数十世帯とともに夜中に首都ベイルート南部郊外をバスや車で脱出、シリア政府支配下にあるタルトゥース県のアリーダ国境通行所(タルトゥース国境通行所)を通過、そこからヒムス市、アレッポ市を経由して、北・東シリア地域民主自治局とシリア政府の共同支配とトルコ占領下の「ユーフラテスの盾」地域を繋ぐアレッポ県のアウン・ダーダート村の通行所を通過し、「ユーフラテスの盾」地域の拠点都市の一つであるジャラーブルス市に入った。
マイサーさんによると、アウン・ダーダート村の通行所を通過するまでに4日間にわたって野宿を余儀なくされ、その間数十ヵ所の軍の検問所で足止めされたという。
また、アブドゥッラー・イドリースを名乗る男性も、レバノン国内の避難センターがシリア人の受け入れを拒否しているために、家族6人とともに、マイサーさんとほぼ経路で避難したと証言した。
イドリース氏によると、この間、アウン・ダーダート村の通行所で1夜、ジャラーブルス市で4日放置された末に、ようやっと通過を認められたという。
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シリア人女性ジャーナリストが運営する反体制系ニュース・サイトのシリア匿名ジャーナリスト(10月6日付)も、イスラエルのレバノン攻撃激化を受けて、滞在先のレバノンからシリアに避難したというイドリブ県ビンニシュ市出身のユースフ(55歳)を名乗る人物に避難の経緯についてのインタビューを行った。
それによると、ユースフ氏は家族とともに、旅行代理店に密入国の手配を依頼、15日間にわたって入国に順番が来るのを待たされた末に、ベイルートからシリア国境に向かい、ヒムス県農村地帯の密輸ルートを通じて、シリアに入国、ハマー県、アレッポ県農村地帯を経て、北・東シリア地域民主自治局の支配地とトルコ占領下の「ユーフラテスの盾」地域を結ぶアレッポ県のアウン・ダーダート村の通行所を通過、アアザーズ市方面に向かったのち、イドリブ県に到着したという。
ユースフ氏は、シリア政府支配地内の検問所で賄賂を渡して無許可で通過、またアウン・ダーダート村の通行所の検問所は、シリア国民軍憲兵隊の許可を事前に得て通過したという。
なお、ユースフ氏は8月にも同じルートで、ビンニシュ市を訪問していたという。
AFP, October 6, 2024、ANHA, October 6, 2024、‘Inab Baladi, October 6, 2024、al-Quds al-‘Arabi, October 6, 2024、Reuters, October 6, 2024、SANA, October 6, 2024、SOHR, October 6, 2024、Syrian Anonymous Journalists, October 6, 2024などをもとに作成。
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