アサド大統領で長男のハーフィズ・バッシャール・アサド氏のものとされるSNSのアカウントが政権崩壊時の状況やロシアに脱出した時の様子を詳細に綴ったポストをアップ(2025年2月10日)

アサド大統領で長男のハーフィズ・バッシャール・アサド氏のものとされるXのアカウントで、政権崩壊時の状況やロシアに脱出した時の様子を詳細に綴ったポストがアップされた。

ポストの内容は以下の通り。

ダマスカス退去、ましてやシリア退去には、何らの計画はなく、予防措置もなかった。
過去14年間、シリアは困難で危険な状況を幾度となく経験してきたが、昨年11月末から12月初めにかけての状況はそのどれにも劣らないほど深刻であった。
逃げたい者はその間に逃げた。とりわけ、ダマスカスが包囲され、毎日のように砲撃を受け、テロリストがその郊外に迫り、首都中心部に侵入する危険が可能性さえあった初期にそうであった。
最近の出来事が起こる前、私は11月20日にシャーム・ウィングス航空に搭乗してダマスカスからモスクワへ向かった。11月29日に博士論文の口頭試問を控えていたためである。
この時、母は夏の終わりに骨移植手術を受け、治療のため隔離が必要であったため、モスクワにいた。私は口頭試問後に学位取得手続きを進めるため、しばらくモスクワに滞在する予定であったが、シリア国内の状況悪化により、12月1日にシリア航空でダマスカスへ戻り、父と弟と共に過ごすことにした。母は治療の継続のためモスクワに残ることとなった。
妹のゼインは彼女とともに残った。
12月7日の土曜日と8日の曜日の出来事についてであるが、弟は土曜日の朝、ダマスカスの応用科学技術高等研究所で数学の試験を受けた。彼は同校で学んでおり、翌日から授業に戻る準備をしていた。
妹はまた、次の日、つまり日曜日にシリア航空でダマスカスへ戻る便を予約していた。
土曜日の午後、私たちが国外に逃亡したという噂が広まった。私たちがダマスカスにいるかを確認しようと多くの人々が私に連絡してきた。これを否定するため、私はムハージリーン区にあるナイラビーン公園へ行き、そこで自撮りをしてインスタグラム個人のアカウント(公式のアカウントではなく、現在は非公開)に写真を投稿した。
その後、写真はすぐにいくつかのSNAのページで拡散された。
その時点では、遠くから銃声が聞こえたものの、戦争初期の頃から慣れ親しんだ日常の範囲内に過ぎなかった。
状況はこうした状況で続き、軍はダマスカス防衛の準備を進めていたが、ホムスからの軍撤退のニュースが流れるまで、混乱が起きそうな兆候はなかった。しかし、以前にハマー、アレッポ、イドリブ郊外からの軍撤退があった時と同じように、そのニュースは突如流れた。
しかし、これを予告するような準備や兆候は何もなかった。
真夜中、つまり日曜日未明、マーリキー地区にある私たちの家にロシア側関係者がやって来て、ダマスカスの状況が危険だとして、大統領を数日間ラタキアに移動させるよう求めてきた。沿岸とガーブ平野の前線が依然として戦闘中で、そこから指揮を執る可能性を踏まえてのことだった。
いとこたちに知らせずに私たちがダマスカスを離れたという噂について、私は移動をすると知った直後に何度も彼らに連絡を取った。そして、彼らの家で働く人々から、彼らがどこに向かったことを知らされた。
その後、深夜3時頃にダマスカス国際空港に到着、そこでおじのマーヒルに会った。管制塔も含め、空港には従業員はもぬけの殻だった。そして、私たちはロシア軍の軍用機に乗り込み、ラタキアの向かい、夜明け前にフマイミーム空港に着陸した。
早朝、つまり日曜日、私たちは、基地から40キロ以上離れたブルジュ・イスラーム地区にある大統領の別荘へ向かう予定でだった。だが、そこで勤務していた者への連絡の試みはすべて失敗した。連絡をした電話もすべて繋がらず、ことは始まった…。
テロリストとの前線では軍が撤退し、最後の軍事拠点も陥落したとの情報が入った。
同時に、無人航空機による断続的な攻撃が始まり、基地が標的となった。これと合わせて、その周囲のあちこちから銃撃戦があった。私たちがそこに滞在している間、こうした状況が続いた。
午後になると、基地司令部は周囲の危険だと警告し、基地からの脱出は不可能だと伝えてきた。テロリストの展開と混乱、基地の守備隊の基地からの撤退、さらにはすえての軍司令部との通信が途絶したためだった。モスクワとの協議を経て、モスクワは私たちをモスクワに移送の安全を確保するよう要請し、私はロシア軍用機に乗ってモスクワへ向かい、夜に無事到着した。日付は12月8日日曜日の夜だった。

ポストをアップした直後、Xのアカウントは凍結された。

しかし、このポストと前後して、12月9日にハーフィズ・バッシャール・アサド氏のものとされるテレグラムのアカウントが開設され、10日に同じポストを英語とアラビア語でアップされた。


(C)青山弘之 All rights reserved.