シャルア暫定大統領は、英国のポッドキャストの「The Rest is Politics」のインタビューに応じる(2025年2月10日)

アフマド・シャルア暫定大統領は、英国のポッドキャストの「The Rest is Politics」のインタビューに応じた。

イナブ・バラティーによると、シャルア暫定大統領はインタビューのなかで以下のように述べた。

妻は1人だけだ。メディアではそれ以外の噂も流れていますが、事実ではない。
私には3人の子どもがいる。我々は非常に困難な状況のなかで暮らしてきたが、家族をあらゆる危険から守るよう努めた。ダマスカスに入る前は、厳しい治安状況のため、家族に関する情報を非公開にしていた。戦争が続いていたため、家族を守るため、最大限の注意を払う必要があった。
私が今日担っている役職では、家族が公の場に登場することは自然なことだ。政治活動に関わるわけではないが、国民には私の家族が誰であるか、どのように生活しているかを知る権利がある。現在のシリア大統領としての私の役割は、イドリブ県での行政とはまったく異なっている。だが、それは私が引き受けなければならない責任の一部なのだ。
私はサウジアラビアで生まれ、ダマスカスで育ち、その後イラクに渡り、最終的にシリアに戻った。人生の様々な段階を経験し、その旅路のなかで多くの思想に触れることができた。
幼少期は他の子どもと変わらず、中流・上中流階級の家庭で育ったた。首都ダマスカスで初等教育を受け、中学・高校を経て大学に進学したが、大学1年のときにイラク戦争が勃発し、イラクに向かう決断をした…。家では、いつも政治の話をしていた。

若い頃に捕えられ、有名なアブーグライブ刑務所に送られた。そこでは、人々が拷問を受けていた。その後、ブーカ刑務所、さらにクーパー刑務所、最終的にはタージ刑務所に移送され、最終的に釈放された。
これらの刑務所での経験を通じて、多くの人々と出会い、政治的に成熟することができた。当初、私が信じていたものと、刑務所で他の囚人たちから聞いた思想には大きな隔たりがあり、特にイラクで激化していた宗派対立に関する話は衝撃的だった。
(番組ホストで、かつてイラクで従軍していたアラステア・キャンベル氏と対話していることをどう思うかとの質問に対して)この質問には非常に長い答えが必要であり、おそらく10回の放送が必要なほど大きなテーマだ。私の立場を考慮すると、この質問に短い回答をすると、シリアが大きな批判を受けることになるため、今この場で触れるのは適切ではない。

私の人生は常に秘密に覆われていたわけではない。日常的に多くの会議や人との交流があった。ただし、戦闘や戦争に関わる状況では、慎重さが求められる場面も多々あった。
私は完全に旋風くして暮らしていたわけではない。人々と一緒に生活していたが、一部の情報を秘密にする必要があった…。だが、我々が直面していた過去の状況とは完全に異なる新しい段階に入った。
状況によって必要とされることは異なる。イドリブ県では公然と人々と接し、地域社会の様々なグループと交流していた。あの時も政治家だったが、首都ダマスカスでの今とは立場が異なる。戦時中と平時では演説の内容や要求も変わる。

(米国から懸賞金を懸けられていたことについた)その件については全く恐れていなかった。
私は外国の使節団と会い、記者たちとも多く交流していた。大学の教授、さまざまな省庁との定期的な会合にも参加していた。私の任務は人々に奉仕し、彼らを守り、機関を構築し、首都ダマスカスに突入して、旧体制を崩壊させ、シリア国民を解放することだった。懸賞金については、ほとんど気にしていなかった。誰も人々に奉仕し、誠実に働く者を殺して、賞金を得ようとは考えないだろうと思っていたからだ。

(支配欲が強いと言われていることについて)人は自分自身を評価することはできない。判断は他人に委ねるべきだ。私は仕事を完璧にこなすことを好み、すべての人が自分の責任を認識しているべきだと考えている。それは統制の問題ではなく、指導部の責任だ。
規律や意思決定への尊重がなければ、国全体が混乱し、国家の安定が脅かされるだろう。我々がアレッポ、ハマー、ホムスを経て、ダマスカスに進軍した際、旧体制の政策によって、社会は分断されていた。もし、部隊の組織や統制がなければ、不正行為が発生し、さらなる不安定を招いていただろう。

(大統領になることを望んでいたかとの問いに対して)我々のような経験をした者にとって、役職はあまり重要ではない。我々が生きている時代は、リーダーが役職を作る時代であり、役職がリーダーを作る時代ではない。我々は多くの課題に直面し、高い倫理的誠実さが求められていた。大統領の座を最終目標とするのは間違った考え方だ。我々はどの役職に就いても人々に奉仕することを目指している。
革命家の精神では国家を建設することはできない。国家建設や社会運営には別の考え方が必要だ。私にとって、革命は旧体制の崩壊とともに終わった。
我々は今、国家再建、経済発展、地域の安定と安全保障の確立、そして隣国との信頼関係構築という新たな段階に進んでいる。
私は戦闘員ではあったが、それは戦いたかったからではない。今、大統領になったが、望んでそうなったわけではない。戦闘中、民間人が被害を受けないよう常に注意してきた。過ちもあった、民間人を傷つけるような行為はしていない。

シリアは今、幾つかの段階を経ているところだ。まずは政府の安定を優先し、国家機関の崩壊を防ぐ必要があった。イドリブの内閣はダマスカス制圧後すぐに業務を引き継ぐ準備を整え、最初の3ヵ月間でその目標を達成した。その後、次の段階として憲法宣言、国民対話会議、そして大統領選出に移行した。
新しい大統領は国際的な慣例に基づき、憲法専門家との協議を経て任命された。勝利した勢力が旧憲法を廃止し、旧議会を解散した。次のステップは、国民対話であり、社会の幅広い層が参加することで、新憲法制定への道が開かれる。暫定議会が設置され、そのもとで議会が憲法起草委員会を設置する。

旧体制による大量虐殺などの犯罪を理由に課された制裁は、体制崩壊とその解体後、正当性を失った。それゆえ、制裁は直ちに解除されるべきだ。
我々は完全に破壊された国家を受け継いだ。これがシリア人として立ち向かわなければならない挑戦だ。我々は国を再建しなければならない。確かに困難はあるが、不可能ではない。意志と努力があれば、シリアは再び立ち上がり、地域と世界の成功モデルになることができるだろう。

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