アサド大統領は、首都ダマスカスのアサド図書館で開催されている「米・シオニズム・退行的アラブ同盟に対抗し、パレスチナ人民の抵抗を支援するためのアラブ・フォーラム」に出席し、同会議に参加しているアラブ各国の政党・政治勢力代表や活動家を前に演説を行い、アラブ民族が直面する諸問題に対峙し、民族主義思想を再び開花させる必要を強調した。
演説の映像(https://youtu.be/BMC-n4Eg-7M)と全文(http://www.sana.sy/?p=659687)はSANAを通じて公開された。
アサド大統領の主な発言は以下の通り:
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「敵が用いてきた呼称である「アラブの春」は(民族的)帰属を破壊するのが目的だった。同時に、民族的帰属が弱まらなかったら、そして民族感情が弱まらなかったら、この「春」はアラブ地域では発生しなかった…。アラブ社会の一部の階層は、残念ながら、時間の経過のなかでこの帰属意識を失い、別の志向に向かう準備をしてしまっていた…。外国の庇護のもと…、あるいはイスラーム過激主義の庇護のもとにである。とりわけ、後者はアラブ・アイデンティティへのオルターナティブとみなされた。もちろん、それはアラブ・アイデンティティとも、イスラームとも、いかなる天啓宗教とも関係のない、逸脱した異常なアイデンティティに過ぎない」。
「敵は過去数十年にわたり、たとえ部分的だったとは言え、社会構造を破壊するのに成功した。この社会は複数の集団に分断され、互いに距離を置き、否定し…、争い合うようになってしまった」。
「(民族的帰属が弱体化した)問題は表面的なものでも、一時的なものでもない。西側は巧みに行動してきた。罠を仕掛けるのがうまかった。我々はこうした罠にあまりにうまくはまってしまっていた。西側は我々が身を置く現実に対して計画を企ててきた…。彼らは能動的で、我々はそれに対して受動的だった」。
「我々が民族主義的行動のレベルにおいて直面する第1の大きな問題とは、イスラームとウルーバ(アラブ性)の関係が打撃を受けたことだ。彼らはウルーバが世俗的な性格を持っていると疑い、貶め、世俗主義が無神論だと評してきた。そのうえで、ウルーバと世俗主義と無神論を一つに結びつけ、善良な市民にこう語りかけた。「信仰か無神論のいずれかを選ばねばならない」。こう質問されたら、もちろん信仰を選び、信仰やイスラームに対立するあらゆる帰属に反対するだろう。しかし、ウルーバはこのように選択した人にとって、(信仰への)帰属の一部をなしている」。
「その先駆者がムスリム同胞団だ。我々がシリアで悪魔同胞団と呼んでいる者たちだ」。
「ウルーバとイスラームには有機的な結びつきがある…。両者には隔たりがあり、必ずしも完全に合致していない。だが、それは周縁部分だけであり、両者に矛盾など決してない…。しかし、この関係はイスラームの過激化によって打ちのめされ、それがウルーバを打ちのめし、イスラームからの逸脱、そして過激派へと至らしめてきた。イスラームはウルーバから分離することで弱体化し、ウルーバも弱体化した」。
「第2の点は、アラブ民族主義は他の民族(エスニシティ)と対立しているものと捉えられた…。そのうえで、民族主義は歴史を通じて様々な地域で発生したが、これらの民族どうしには戦争などなかったなどと言う…。では、今なぜこの紛争が生じているのか。それは、植民地主義が独立期に民族どうしの内紛の種を植え付け…、民増主義思想の敵がそれに水を与え、育てていったからだ」。
民族主義的行動に影響を与える別の要因もある。アラブ世界の政治状況のなかで積み重ねられてきた要因だ。それはアラブ人民の利益に反するアラブ諸国における悪しき政治によるもので…、一連の事件が始まるなか、とりわけ一部のアラブ諸国、そしてアラブ連盟がリビアへの干渉や破壊を擁護し、その後はシリアにおいて役割を果たすようになったなかで顕在化した。しかし、この役割とは多くの人を散り散りにした…。「これが民族主義なら、これがウルーバなら、そんなのは要らない」、「こうした者たちがアラブ人なら、アラブ人でありたくない。別の何かになりたい」といった言説が飛び交った。しかし、何がオルターネティブとなるのか。オルターナティブなどないのだ。こうした人々は一部のアラブ諸国がそれ以外のアラブ諸国、諸国民に対して仕掛けた陰謀の結果反応したのであって…、しかも特定のアイデンティティへの帰属と、特定の政治体制への帰属を区別していなかった」。
「この社会の多くの人々がこの民族主義に帰属している一方で、政治活動に関与はしていない…。では彼らはどのようにこの帰属を表明するのか…。彼らにとってこの帰属とは社会への帰属、文明への帰属なのである。ここで質問が生じる。我々の民族主義的行動における非政治的側面とはどこにあるのか」。
「ウルーバとは文明的状態であり、この文明的状態においてもっとも重要なのは、それが擁している文化であり、文化は言語によって表現される…。言語がなければ、文化は送電線のない大きな発電所のようなものに成り下がってしまう…。しかしこれこそが、「インターネット・グローバル化」のもとでの我々の現状だ。私は言語を失い始めている和解世代のことを話している。言語の喪失とは絆の喪失だ。より正確に言うのなら、それは、その人が属する文化と疎遠だということだ」。
「シリアにおいて、我々は大きな問題に苛まれてはいない…。シリアでの教育はすべてのレベルにおいてアラビア語によって行われているからだ」。
「(シリアで起きている)戦争の本質は、二つのグループがいることになる。第1は帰属を失った人々。具体的には民族的帰属と国民的帰属を失い、アイデンティティ、道徳、そして祖国を失した人々だ。外国が介入に際してよりどころとする基礎がここにある…」。
「これに対して、もう一つのグループは、シリア・アラブ軍に基本体現されているグループだ。この祖国を守るために戦い、犠牲を捧げてきた人々だ。しかし、彼らは何をよりどころにしているのか。彼らの英雄的行為は無から生じているのではない。シリア・アラブ軍は愛国軍である以前にイデオロギー的愛国軍で、明確な教義に根ざしているのだ」。
「我々の敵はこのことを理解している。だからさまざまな会議、移行政府、連邦制などをめぐって行われる政治活動、そしてあなた方が耳にするさまざまな概念は、たった一つのことを表明しており、求めてきた。それはこうした思想の破壊である。もちろん、軍は象徴に過ぎない。しかし、彼らは国を形づくる制度、そして社会を標的にしている…。戦争とは民族主義思想の破壊をめざすものだ」。
「これらの犠牲が生じるようになって7年を経て、改めて強調したい。我々は…教義や民族的帰属に関して譲歩することは1秒たりとも考えることはできない」。
「民族主義的行動を改善するうえで求められているのは何か…。我々は行動したいと考えている。我々にとっての民族主義とは生産であり、実践であり、情緒やロマンティックな帰属などではない。我々は政治的、文化的、社会的な側面で一つの帰属意識を持つのは当然だ…。しかし、我々がここに集まって、対話するのは、我々が成果を得ていないことを意味しない。実際のところ、成果は実施の仕組みを作り出すことで始まっている」。
「連邦制…、民族に基づく連邦制について言及する者もいる…。この問題は、シリア、イラク、アルジェリア、マグリブ諸国、さらにはそのほかの地域でも提起されている。しかし我々は強調しなければならない。ウルーバという概念は包括的で文明的な概念だということを。つまり、ウルーバとは人種主義よりも大きなものなのだ。文明という概念はすべてを包摂している。すべての人種、宗教、宗派を包摂している。ウルーバとはアラブ人が作り出したものではない…。ウルーバとは、この地域にいるすべての人が例外なく貢献してきた文明的状態なのだ」。
「アラビア語とアラブ民族主義は、すべての人種、宗派、宗教を一つにするものだ。また、同時に、それぞれの個性を守るものだ」。
「民主主義が建設的なものであるには、それが国民的帰属、民族的帰属と結びつかねばならない」。
AFP, November 14, 2017、ANHA, November 14, 2017、AP, November 14, 2017、ARA News, November 14, 2017、Champress, November 14, 2017、al-Durar al-Shamiya, November 14, 2017、al-Hayat, November 15, 2017、al-Mada Press, November 14, 2017、Naharnet, November 14, 2017、NNA, November 14, 2017、Reuters, November 14, 2017、SANA, November 14, 2017、UPI, November 14, 2017などをもとに作成。
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