アサド大統領は大ウマイヤ・モスクでの預言者生誕祭の祝典に出席し、午後の集団礼拝に参加、宗教教育に携わる女性教師に「いわゆる宗教改革というものはない。なぜなら宗教が人間を改革するからで、その逆ではないからだ」と説く(2022年10月9日)

アサド大統領は、宗教関係省がダマスカス県旧市街中心部にある大ウマイヤ・モスクで主催した預言者生誕祭の祝典に出席し、午後の集団礼拝に参加した。

集団礼拝は、ダマスカス郊外県宗教関係局長のハドル・シャフルール師の主導のもとに行わわれ、アサド大統領のほか、ムハンマド・アブドゥッサッタール・サイイド宗教関係大臣、シャームのくにぐにのウラマー連合議長のムハンマド・タウフィーク・ラマダーン・ブーディー師、政府・議会高官、バアス党幹部らが出席した。





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また、アサド大統領は祝典後に、学校でコーランやシャリーアについて教えている女性教員らに対して、「いわゆる宗教改革というものはない。なぜなら宗教が人間を改革するからで、その逆ではないからだ」と説いた。

アサド大統領の主な発言は以下の通り:

この祝典に女性の説教師のみなさんが参加したことを嬉しく思っている。ここで、私は二つの点について話したい。第1は、私が目の当たりにした慈愛だ。宗教分野で誠実に活動し、宗教を理解し、この教義に正しく身を置く人は、愛されないはずはない。

第2は、女性は社会の半分を構成していると言われる。だが、この半分という言葉で何を意図しているのか私には分からない。数なのか? 社会が男性、女性、そして子供たちのうえに成り立っているからなのか? 社会は数では計れない。割合でも計れない。統合と調和によって計られるものだからだ。我々が社会を見るとき、一つのまとまり、一つのものを作り出す調和したまとまりとして見るからだ。

私はウラマー諸氏とこのラマンダーンに、いわゆる宗教改革なるものについて話した。その時私はこう述べた。我々には宗教を改革することなどできない、なぜなら、宗教こそが人間を改革し、その逆ではないからだ。しかし、この改革は、社会の改革なくしては起こり得ない。社会の改革は女性が男性の協力者として基本的な役割を果たすことなくして起こり得ない。この協力関係とは、対等な関係、あるいは協業を意味するのではなく、役割の分担と補完を意味している。男性には長所があり、女性にも長所はある。男性には弱点があり、女性にも弱点はある。

女性は感情的だという者もいる。だが、女性は時と場合によっては、男性以上に断固たる決意を持ち、より厳しい。男性もよりしなやかに、そして感情的になることもある。これが役割の分担だ。

女性がこの祝典で我々とともにいるというのは、当然のことだ。宗教、そしてイスラームは、しばしば後進的な女性、抑圧された情勢、受け身の女性といったイメージと結び付けられてきた。今日、あなたたち女性は、完全なる役割を果たしている。あなたたちみなが、力強く、行動力があり、活発な女性だ。だが、外見だけでしか理解しようとしない者にとって…、私たちにとってこの外見さえも、教義が伝えているメッセージを貫徹するうえで必要ではあるのだが…、イスラームは単なる内容ではなく、形式でもある。

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SANA(10月9日付)が伝えた。

AFP, October 9, 2022、ANHA, October 9, 2022、al-Durar al-Shamiya, October 9, 2022、Reuters, October 9, 2022、SANA, October 9, 2022、SOHR, October 9, 2022などをもとに作成。

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